ウィステリア
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それはクレメオで忙しく続いた日がようやく落ち着いてきた頃だった。
後はフランジパニへの連絡船を待つばかり。さぁ、次は何をしようか……そんな事を考えながらベッドの中で微睡んでいた。
まだ朝日は登っておらず、聞こえるのはさざ波の音と、海に聳え立つコテージの柱に打ち付ける波がトプン、チャプンと音を鳴らしている。
そして、私が起きようか、もう一眠りしようかと悩んでいた時だ。
ーーようやくだよ……もうすぐ……
「ん? 誰?」
微かに聞こえたその声に、誰かいるのかと上半身を起こしたが、聞こえるのは波の音とアニーさんの寝息だけ……
「おかしいな、気のせい……?」
気のせいだろうともう一度ベッドに横になれば、今度は鼻を擽る良い香りがふわりと広がった。
「何だろう……この香り……」
当たりを見回しても何も無い。そして、そうこうしているうちに完全に目が覚めた。
アニーさんを起こさないように、そっとベッドから足を下ろすと、髪の毛を簡単にまとめた。
ーー早くおいでよ……
まただ、やっぱり聞こえる。
「ねぇ、誰なの? 誰かいるの?」
静かに声をかけるも、やはり返事は返ってこない。
アニーさんを起こそうかと思ったが……何だか様子が変な事に気が付いた。
アニーさんは騎士だ。しかも、今回は私の護衛として来てくれている。そのアニーさんが、小声で話していたとしても気付かない訳が無い。それなのに全く起きる気配がない。
ーー行こう……
「行こうって……どこに?」
正体の分からぬ存在に声を掛けるも、その後は返事が帰ってこなかった。
その代わり、紫色の光の塊が私の周りに飛び回り、蝶の鱗粉が零れるかのように光を零している。
そして、まるで私を導くかのようにコテージの外へと光は続いた。
コテージの外は夜明け前だからと言う理由ではなく、薄紫の靄が掛かっている。それは決して視界が悪い程では無いので歩くのには支障はない。
周囲を見渡せば、誰一人起きている者はいない。まるで世界に自分一人しかいないようだ。何とも不思議な光景だ。
何処まで行くんだろう……そう考えていると、光は町外れの方に向かっていることに気が付いた。
その方角には……私の箱庭がある。
そう気が付けば、あっという間に光の正体に見当がついた。
「もしかして……あなた……」
そう言えば、光は嬉しそうに右に左に揺れ、私を置いてあっという間に箱庭の方角へと飛び去った。
「あ、待って!」
私は光の向かっただろう方向へ走った。きっとあそこだ。
箱庭へ足を踏み入れると今度は荒れた息を整えながらゆっくりと歩いた。自然と足はとある花の元へ向かう。
藤の花が咲き誇る、藤棚へと。
「綺麗……」
藤の花はまるで夜にライトアップされたように光り輝いている。藤棚全体が不思議な光に包まれていた。
この藤棚が出来てからと言うもの、ローズガーデンと藤棚を行ったり来たりしてお茶会を開いたものだ。
時折、意志を持ったように動く蔓がクラウスさんやロジーにイタズラをしていたっけ。
きっとヤキモチを焼いていたのだろう。
ーー待っていたよ……
藤の花はそう言うと、嬉しそうに花房をザワザワと震わせ……そして花を散らした。
ロジーの時と一緒だ。
花が散ると今度は街中に広がっていた薄紫の靄が藤棚へと急激に吸い寄せらる。
集められた靄は段々と一点に凝縮してゆき……やがて輝く宝石のようなが物が出来上がった。精霊の核だ。
ーー名を……私の名前を呼んで……私に名を授けて。
まだ姿の見えぬ相手が私に名付けを乞う。名を付けた瞬間から私と精霊との間に契約と言う名の絆が結ばれるのだ。
ロジーの時は知らず知らずに名を付け、事実を知ったのはスノーの名付けの時であった。
私に名付けのセンスはない。ロジーの時もバラの英名ローズから、スノーはスノードロップからと安易なものだった。
二人は自身の名前を気に入ってくれているので、失敗だったとは思わないが、もう少し凝った名前にしても良かったのでは? とは思う。
藤の花、色は紫……バイオレット……はすみれだし、核は薄い紫色……アメジスト? タンザナイト? いや、何か違う気がする。
そうだ、藤の英名って確か……そう思い出し、ポロッと言葉を口にしてしまった。
「ウィステリア」
藤の英名はウィステリア。その名をもじって何か素敵な名前を送ろう。
そう思っていた矢先だ。
『ウィステリア……私の名はウィステリア。ありがとうリリー』
「え? あ! ちょっと待って! 違う違う! そんな安直な名前じゃなくて、もっと凝った名前を!……」
精霊は先程私が口にしてしまった言葉をそのまま受け止めてしまい、後に続いただろう言葉は飲み込まざるを得なかった。
私が頭を抱えている間に精霊は既に人型で姿を現し、甘く柔らかな笑みを向けていた。
『やっと君の名前を呼べるね。リリー、ずっと話がしたかった』
藤の花の精霊ウィステリアはそう言うと、私の手を取り手の甲へと口付けをした。
ウイステリアは中性的な顔立ちをしていて、女性とも男性とも取れる見た目をしている。誰かに似ているなと思い出せば、エアさんっぽい。二人で並んだ姿はきっと壮観だろう。
まぁ、そもそも精霊に性別などないのだから男女で区別など必要のない事だ。
中性的な顔立ちになったのは、きっと私の名付けのせいだろう。ウィステリア、もしくはウィスタリアは女性に用いる名前が多い。
「ねぇ、ウィステリア……あのね、本当はもっといい名前をつけたかったのよ?」
『この名もとてもいい名前だと思うけど?』
「でも、藤の花の英名ってだけで安直すぎるわよ……」
『じゃあ、例えばどんな名前が良かったの?』
「そ、それは……えっと、例えばテリアとかリアとかテリーとか……ウィスティ……とか?」
自分で言っててやはり安直な名前しか出てこなくて段々と尻つぼみなってくる。やはり私にネーミングセンスは皆無だった。
そんな私を見てウィステリアはクスクスと笑う。
「笑わないでよ……」
『ごめんごめん。じゃあさ、こうしない?』
ウィステリアは私の両手を取り微笑んだ。
『私の真名はウィステリア、呼び名はウィスティ。ウィスティって名前も良かったから。それに、あの子達だって真名と呼び名が違うでしょ?』
そう言われてなんの事だろうと首を傾げると、ウィステリアは続きをおしえてくれた。
『ロジーとスノーの事だよ。私には分からないけどリリーには覚えがあるんじゃない? リリーが一番最初に思いついた名は何だった? ふふふっ、考えてみて』
ま、ま、まさか……。ロジーはローズでスノーはスノードロップが真名なの!?
『ほら、心当たりあるんでしょ? だから私の真名はリリーだけの物。二人だけの秘密。私の事はウィスティって呼んでね』
こうして私たちは名付けという名の契約を結んだ。
そこからは大混乱が待ち受けていた。
突然コテージから姿を消した私をアニーさんが半泣きで探し回り、それを聞いたクラウスさんもメアリックさんの協力を得ての大捜索。ウドルフ遠征隊も別枠で捜索隊を出すなど、大迷惑をかけてしまった。
「良かった! リリー、突然いなくなるから……私、騎士失格よ……なんのための護衛よ……」
「ごめんごめん! アニーさんはな〜んにも悪くないのよ! 説明するから、ね! ね?」
落ち込むアニーさんを慰め、色んな人に謝罪した。メアリックさんも、ウドルフさんも相当心配してくれたに違いない。
ウィスティは精霊化する際、これまで溜め込んできた私の魔力と自身の魔力をクレメオ全体へとその魔力を放出してしまったらしく、街全体に掛かっていた靄はその魔力だったようだ。
あまりにも濃い魔力は人々の意識を失わせるほどであった。
私の安全を確認すると、捜索隊は解散され、後にはクラウスさんを初めとする特務部隊とウドルフさんが残った。
クラウスさんは私の姿を見るなりきつく抱きしめ離してはくれなかった。周りの目なんてなんのその、私はされるがままクラウスさんの膝に横抱きで座らせられた。
「さぁ、リリー。説明してくれ。何がどうなって俺をこんなに心配させたんだい?」
クラウスさんは微笑んでいるが、目は笑っていない。相当心配をかけてしまった事に申し訳なく思った。
「ごめんなさい」
私はそうみんなに謝罪し、事のあらましを説明したのだった。
皆さん寒い中いかがお過ごしでしょうか? 私は凍った階段で滑って転んで頭をぶつけてしまいました。どうか皆さんもお気をつけてこの冬をお過ごし下さい。
……たんこぶ痛いです。