月蜜の館
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「悪いな。わざわざ来てもらって」
メアリックさんは私たちを招き入れると、そう言いながらドサリとソファに腰を下ろした。
「いえ。次の出発の日程の相談もありましたし、どの道リーゼッテとリリアナの様子も見に来るつもりでしたから大丈夫ですよ」
「おぉ、そういや目ぇ覚ましたんだってな。大丈夫だったか?」
既に報告として情報は得ていただろう、その後の様子まで心配してくれたメアリックさんに感謝を伝える。
救出の日から今日までの数日、細かいところまでは私には分からないが、メアリックさんは寝る暇もないほど忙しそうにしていた。
「お陰様で二人とも幸せそうに眠ってるわ。他の子達も記憶をなくしてしまったけど健康そのものだし、逆に記憶がなくて良かったのかもしれないわね」
「まぁ……こちらとしては少し複雑だが、年端もいかぬ少女がこの先も苦しむと思うと俺も心が痛むからなぁ」
「まぁ、どうしようもない事を今更言っても仕方が無いだろう。無理やり思い出させるなんて真似、お前だってしたくはないだろう?」
ウドルフさんはそう言ってメイドが運んできた紅茶を啜っている。
「当たり前だ。あの娘たちは運の良い事に娼館での出来事のみ記憶が無くなっている。記憶を元に家族の元に戻る者にしろ、帰る場所がない者も、俺たち沿岸騎士隊が責任をもって面倒を見るつもりだ」
「本当に、運が良かったわよね。メアリックさん、あの子達のことよろしくお願いしますね」
メアリックさんは、家族の元へ帰れるものは責任をもって送り届け、また行き場をなくしてしまった者には、ここクレメオでの働き口まで面倒を見てくれると約束してくれた。
この沿岸騎士隊舎でも住み込みで働くメイドは常時募集中だと言うので、安心して任せられそうだ。
ちなみにこの先の予定を聞けば、次のフランジパニへの連絡船は半月後だと言う。半月かけてフランジパニを含めた周辺諸島を回るのだそうだ。
クレメオからフランジパニまでは船で約十日ほど。安全第一でゆっくりと航海するそうだ。
「それで、メアリックさん。頼みと言うのは?」
私は出された紅茶を一口飲むと、一番気になっていた話題を口にした。
リーゼッテを救い出してくれた事のお返しに、私にできることなら何でも協力したいと考えている。
メアリックさんはティーカップをソーサに置くと、姿勢をただし私に面と向かった。
「その事だが……どうかリリーの薬師としての知識を貸してほしいんだ」
「薬師……としてですか?」
「じつはな、俺の知り合いに娼館……と言ってもちゃんと合法的なところだぞ? そこのマダムをしているやつがいるんだが、信頼出来る相手に相談に乗ってもらいたい……と、相談されてな。話を聞くに、リリーなら何かいい知恵を貸してくれるのではと思ったんだ。詳しい話は俺から話すのもアレなんで、直接マダムの相談に乗ってやってはくれないだろうか? 報酬もきちんと出すと言っているし、次のフランジパニへの連絡船が出航するまででいいんだ。どうだろう?」
娼館かぁ。薬師としてって事は多分女性特有のアレコレな相談なのだろう。合法な娼館って事なら……そう考えていると「おいおいおい」と異議を唱える人がいた。
「娼館ってお前……」
「俺もそれには賛成しかねます」
ウドルフさんとクラウスさんだ。二人とも複雑そうな顔をしている。
先日の救出の為の闇娼館への潜入とは違い、営業中のお店へ出向くのをよく思っていないようだった。
「もちろん、リリーが抵抗あるって言うなら無理に引き受けなくても良い。ただ……やはり中々相談できるような人間がいないみたいでなぁ。そこのマダムは娼館で働く女達は自分の娘だと言い切るような良い奴なんだ。そこで働く女達のためにもどうか相談に乗ってやってはくれないだろうか?」
この国の娼館で働く女性たちには、様々な経緯があると言う。
家族の借金を返すために働く者、身寄りが無く小さな頃に娼館に引き取られた者、親に売られた者……中には娼館で生まれ育った者もいると聞く。
これだけ聞けば不憫に思うだろうが、一人で生きて行けぬ女性達にとっては大事な生きる手段なのだ。
ただ、娼館と言っても私が思うような娼館ではなく、酒場兼娼館のような場所で、お酒の相手をするだけのサービスや、娼館のスタッフとして働いている女性もいるそうなので、その女性たちの為にも何か出来ないかと考えた。
「分かりました。私でよければ皆さんのお役に立たせてください」
「そうか! 引き受けてくれるか!」
私が引き受けるとメアリックさんは安堵と共に満足そうな顔を私に向けた。
その後の話し合いにより、今日の夕方、開店の少し前をマダムとの相談の時間とした。メアリックさんは早速、私の訪問を伝えるべく、足早に騎士隊舎を出ていった。
「なぁ、リリー。本当に行くのか?」
「ええ、もちろん」
「いくら合法と言っても営業真っ只中の酒場に行くんだぞ?」
「分かってますって」
「「でもなぁ……」」
クラウスさんとウドルフさんは、私が娼館へ行くと決めてもなお、納得をしていない様子だ。
「そんなに心配なら……一緒に行く?」
そう提案してみれば、クラウスさんは「いや、それは……と言葉を濁した。
それもそうだ、少し前までは女性を避ける生活をしてきたのだ。そんな彼に愛と欲望の渦巻く娼館へ足を入れることは、容易にできることではない。
「だよね。大丈夫だって。マダムを紹介してもらうまではメアリックさんが付き添ってくれるし、相談中はメアリックさんは席を外すけど、すぐ側の酒場で待っててくれるって言ってるし」
「あ〜、じゃあ俺も念の為付いていくわ……おい、なんだよその目。俺だってプライベートと護衛の区別くらいつけれるわ!」
こうしてようやく納得した二人と様々な約束をさせられ、私は今、娼館【月蜜の館】の目の前に来ている。
月蜜の館は街の奥にひっそりと……という訳ではなく、堂々と目立つ場所に建てられていた。
「へぇ〜立派な建物……」
私は汗で肌に張り付いた衣服を摘み、ピラピラと仰ぎながら館を見回した。
なんで暑そうな格好をしているかと言えば、クラウスたちと、館に出向く際は肌の露出を控える格好をすると約束したからだ。
店の外観は高級宿を彷彿とさせるほど立派な建物だった。
合法とは言え、こんなにも堂々と営業できるのだ。やはり、この世界の娼館は私の想像とするものとは別のもののようだ。
「あっ! メアリック隊長!」
「まぁ、ホント! どうなさったの? まだ開店前よ?」
「あら、素敵な殿方……メアリック隊長のお友達?」
「わぁっ! いい体! 鍛えてらっしゃるのね!」
お店に入るなり、私たちは館の嬢たちに迎えられた。
嬢たちはお店の掃き掃除をしたり、テーブルを拭いたりと回転に向けて準備を進めていたようだが、メアリックさんとウドルフさんの姿を見るなり、甘い声で近づいてきた。
ちなみに私はメアリックさんとウドルフさんの背中に阻まれ、まだ彼女たちと対面することが出来ていない。
「やぁ、嬢たち。今日は開店前にマダムと約束があってね。魔女様が会いにやってきた……そう伝えてくれるかな?」
メアリックさんはそう言うと、ウドルフさんとすっと離れて、私を嬢たちと対面させた。
「こんばんは」
一言だけ……そう挨拶すると、嬢たちの空気が一瞬にして変わった。
「アリシア、マダムに魔女様のご到着をお伝えして」
そう言ったのは一人の女性……アリシアと呼ばれた嬢は足早にその場を立ち去り、残った嬢たちは先程の甘い雰囲気からガラッと態度を変え、とても丁寧に私に挨拶をしてくれた。
「魔女様、ようこそお越しくださいました。このような場所にわざわざ御足労いただきましてありがとうございます。直ぐにマダムが参りますので少々お待ちください」
彼女はここにいる嬢たちの代表だろうか、嬢たちの中でも十ほど年上に見える。
まだ若い嬢たちは好奇心に満ちた、期待の目で私を見ている。どの子もきっと色々な悩みを抱えているのだろう。
それにしても……何を食べてそんなに育ったのだろう……。どの嬢も、もちもちのお肌が弾けるようだ。
ほら、あの子なんて零れそうだし……。あっちの子はスカートの意味が無いんじゃないかしら?
すると、幾許もしないうちに館の奥より豊満な体付きの他では見た事のない美女がやって来た。ここにいる嬢とは格が違う。
「メアリック、本当にお連れしてくれたのね……ありがとう」
マダムは本当に嬉しそうに、誰しもを引きつけるような微笑みを湛えた。