デビュタント
「リリー、私達は少し席を外そう」
「ヴェロニカ、私も少し挨拶回りをしてくるよ」
クラウスさんとロドリック様はそう言ってライアン様へ目配せし、静かにその場を離れようとする。
私もヴェロニカに目配せをし、心の奥で頑張るのよ! と強く頷いて見せた。
少し離れた場所で二人の様子を伺っていると、周りの様子も目に入ってきた。
殿下とお近付きになりたいと目論んでいたご令嬢方は、脇目も降らずにヴェロニカに歩み寄るライアン様を見て全てを察したように落胆している。
「ヴェロニカ、どうするのかしら。ライアン様と婚約するってことは未来の王妃様になるってことでしょ? きっとただの幸せな結婚生活とはならないわよね。私、二人には幸せになってもらいたいと思うけど、正直心配だわ。だってとてつもない重圧よね……二人が……普通の身分なら手放しで喜べたんだけど……」
「そうだね。でも……ヴェロニカは強い子だ。きっと何もかも乗り越えて幸せを掴み取ると思うよ。ほら、見てご覧、嬉しそうな顔してる。ライアンも……ふふふっ、あんな顔のライアンは初めてだよ」
クラウスさんにそう言われて改めて二人を窺うと、ライアン様が丁度ヴェロニカに片膝を着くところだった。
ライアン様は片膝を着き、ポケットから小さな小箱を取り出し ヴェロニカに開いてみせる。
そう、あれは婚約指輪。この世界では婚約指輪の概念はないのだが、いつだかライアン様に私の元の世界の婚約について聞かれたことがあったのだ。その時「へぇ、じゃあ左手の薬指に指輪をしている女性は既婚者って事なんだ」などと、興味津々で私の話を聞いていた。きっとその時の婚約指輪の話が気に入って自分自身で試したくなったのだろう。
せっかくクラウスさんに左手の薬指の指輪の意味を濁したのに、これではその意味を知るのは時間の問題だろう。
ちなみに婚約指輪だけではなく、結婚指輪の話もしたので、ヴェロニカがライアン様からの求婚を受ければ二人の左手薬指に指輪が光るのだろう。
ライアン様はヴェロニカの手を取り視線を外さずに言葉を紡いでいる。ヴェロニカは少し震えているようだったが、その口元からは小さく「はい」と言ったように見えた。そして、ライアン様は嬉しそうにヴェロニカの細い薬指に指輪を嵌めた。
これから先、ヴェロニカはライアン様の伴侶となるべく妃教育を受けることとなるそうだ。だが、あの二人ならきっとなんでも乗り越えられるような気がする。だって……あんなに嬉しそうなんだもの。
そのタイミングを見計らったように、ゆったりとしたワルツが流れ、二人はゆったりとした足取りでワルツの輪に加わった。
二人のダンスを見ていると、私はダンスが踊れないので少し羨ましく思えた。
クラウスさんとダンス、踊れたらきっと素敵よね。私もダンスの勉強をした方がいいかしら?
そんなことを思いながらも、私達は会場の熱気で暑くなった体を冷ます為、飲み物を片手にバルコニーへと出た。
ダンスタイム中はバルコニーには人が居ず、かすかに聞こえるワルツが静かなバルコニーに届く。
「二人共、嬉しそうだったわね」
私がそう言うと、クラウスさんも目を細めて頷いた。
「そうだね。俺達もいつか……」
「え?」
私がクラウスさんの言葉を尋ね直すと、一拍の後先程のライアン様の様に、いつしか私に片膝を着いて誓ってくれたように、同じように片膝を着いた。
「リリー、俺もいつかは君を妻にと考えていた。でも、いつかでは駄目なんだ。君の使命の邪魔になるのではと気長に待つつもりでいたが……さっきの二人を見ていて羨ましくなった。俺は君を心から愛している。どうか……どうか俺の妻になってくれないだろうか。君に寄り添い何よりも君を優先すると誓わせてくれ。本当に結ばれるのはリリーの旅の後でもいいんだ、それまでは婚約者として君のそばにいさせてくれないだろうか」
まさかこのタイミングでプロポーズされるとは思ってもいなかった。あまりにも真剣なクラウスさんの表情に、息をするのも忘れて見入ってしまう。真剣だけど、少し焦っているかのような表情だ。
「う……」
「……う?」
「嬉しい……」
やっとの事でたった一言呟く。それほどにクラウスさんの言葉は心に響いたのだ。
「それは……イエスと受け取ってもいいのかな?」
困ったような表情のクラウスさんが微笑む。
「婚約者になってくれ」ではなく、「婚約者としてそばにいさせて」。その言葉は同じようで全く違った受け止め方ができる。クラウスさんらしい、とても優しいプロポーズだった。
「はい、私……う、嬉しくて……」
涙が溢れ、手が震える。そんな私をクラウスさんは勢いよく抱きしめた。
「良かった! あぁ……リリー、俺のリリー……」
クラウスさんは今までにない強い力で私を抱きしめ、耳元でそう囁いた。首元に埋められたクラウスさんの顔から熱い吐息が伝わる。それだけでジワジワと体が熱くなるようだ。
二人で抱き合い互いの熱を堪能しきると、ここが王宮のバルコニーだったことを思い出し、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「クラウスさん……ここ、バルコニー……」
「うん。分かってるけど……もう少しだけ」
「ほら、ワルツが終わるわ」
微かに聞こえていたワルツの音楽が、心地よい余韻を残して消えると、人々の楽しげな声が聞こえてきた。
クラウスさんは最後に名残り惜しそうに深く口付けると、柔らかく笑んで私を解放した。
「リリー、愛しているよ」
「うん、私も……愛しているわ」
そう言葉を交わし笑いあうと、後ろの方から「あ、いたいた」とライアン様の声が聞こえた。
振り向けば、ヴェロニカをエスコートしながらこちらに近づくライアン様だった。
「ライアン様、ヴェロニカ、婚約おめでとう」
本日二度目になる「おめでとう」を贈ると、ヴェロニカは気恥しそうに、そしてとても嬉しそうに微笑んだ。
「リリー、ありがとう。私、ライ様の……ううん、ライアン様の良き妻になる為、必死に頑張りますわ」
健気ねえ。とても初めてあった頃の跳ねっ返り令嬢とは思えないわ。
懐かしき思い出を振り返っているとライアン様がヴェロニカの顔を覗き込んだ。
「おや、ヴェロニカ。もう俺のことはライ様と呼んでくれないのかい? それに、あまり張り切りすぎると空回りしてしまうよ。俺のように適度に力を抜いてだな……」
「あら、適度? 週に何度もサボりに来るのが適度? クラウスさん、私の感覚がおかしくなったのかしら?」
「本当だな。ヴェロニカ、適度に力を抜くのは良いが、ライアンを見習うのだけは止めてくれよ……」
「二人とも酷いなぁ」
酷いと言いながらも、ライアン様の表情は晴れやかだ。この人、いつからヴェロニカをロックオンしていたのだろう。今度サボりに来た時、根掘り葉掘り聞いてあげるわ。
「さて、そろそろ中へ戻ろう。あまり長い時間外にいては体に響く」
クラウスさんはそう言い、私に左手を差し伸べた。
すると、何かに気付いたヴェロニカが小さく息を飲んで声を上げた。
「あ! クラウス兄様、その指輪!」
あぁ……まずい。
「おや」
『婚約指輪!』
ライアン様とヴェロニカの声が見事にハモった。
「ん? コンヤクユビワ?」
「クラウス兄様、それは婚約指輪でしょう? 左手の薬指ですもの! リリーからクラウス兄様に贈ったのね? 女性からのプロポーズだなんて初めて聞くけど……素敵!!」
「そうかそうか、リリーがプロポーズしたのか。うんうん、心から祝福するぞ」
あぁもう。二人とも黙って欲しいわ。こんな時に仲良く息を合わせないでよね……。
「なぁ、二人とも婚約指輪ってなんの事だ? 確かにプロポーズはしたが、リリーからではなく俺からだぞ? と言うか、何故プロポーズのことを知っているんだ? ま、まさかずっと見ていたのか!?」
クラウスさんはクラウスさんで違った方向に勘違いしている。
「あのね、皆ちょっと落ち着いて? まずは二人とも、私がクラウスさんに贈ったのは婚約指輪ではないわ。前に倒したズラトロクの角で作った雷の魔力を助長させる魔道具よ。たまたまピッタリ嵌る指が薬指だっただけ。それからクラウスさん、婚約指輪って言うのは元のせか……じゃなかった、私の故郷の風習で、婚約期にある女性が左手の薬指に嵌める指輪のことよ。あ、ちなみに男性も結婚する時には妻とお揃いの結婚指輪って言うのをするんだけど、まぁそれは置いといて……二人がクラウスさんの指輪を見て勘違いしたのはそういう所からなの。何故二人が知ってたかは、前に私の故郷の婚約事情を聞かれた時に教えたから。……って事で婚約指輪じゃないの!」
恥ずかしさに一気に言葉を捲し立てた。
「あ、ああ。そ、そうか。」
「あ、でもクラウスからプロポーズはしたんだ? さっき自分で言ってたよな」
「あ、本当ですわ。リリー! 私達お揃いね!」
「そうか……婚約指輪か……いいな、それ」
三人はそれぞれ楽しそうに話をしている。
そして後日、私はクラウスさんから素敵な婚約指輪を贈られる事となる。
また、この婚約指輪の風習は『祝福の魔女』の故郷の伝統を、王太子殿下が取り入れた事で有名になり、瞬く間に王都中へと広がったのだった。




