料理長
「いや〜ん! お久しぶりぃ〜! クラウスってば最近全然顔出してくれないんだもん、寂しかったわぁ〜」
「……料理長……」
「んもう、エアって呼んでっていつも言ってるでしょ? アタシとあなたの仲じゃない」
………王宮の厨房に入ると直ぐに、一人の人物がクラウスさん目掛けて黄色い声を発した。そしてその人物は今、クラウスさんの腕を取り彼に撓垂れ掛かっている。
ど、どなた? これは一体……どうしたら……
「エアネスト、リリーが固まってる。お前の今日の一番の客はリリーだろうが。リリー、すまない。こいつがここの料理長のエアネストだ。エアネスト、こちらが魔女リリーだ」
クラウスさんは辟易しながら腕をやんわり振りほどき、お互いを紹介してくれた。
エアネストさんは千草色のサラサラした長い髪を後ろで一つに束ね、切れ長の涼しい目をこちらに向けている。身長はクラウスさんと同じくらいの長身、スラリとした体躯で、そして何より、彼はとてつもない美人だった。
そう、彼なのだ。とても美人なのだが、高い身長、女性にしては広い肩幅、そして平らな胸。いわゆる【オネェ】。
珍獣……。クラウスさんがそう言ったのを一瞬で理解出来た。
「は、初めまして。この度はお招き頂きありがとうございます。魔女リリーでございます。赤髪の彼はロジー、銀髪の彼はスノーです。私の弟と兄のような存在です。私の拙いお菓子をお気に召して頂けたとお聞きしました。王宮の料理人であるエアネストさんに講師だなんて立場で恐縮ですが、今日はよろしくお願いします」
エアネストさんは私を頭の先からつま先まで、その切れ長の涼し気な目でじっくりと見ると、「ふぅん……」と一言。
何を言われるのかドキドキしていると、パン! と両手を叩いた。
「……なんて可愛い子かしら! アタシを見ても変な目で見ないなんて、アナタよっぽどの度胸してるのね! そんなとこも気に入ったわぁ! それに、そっちのあなた達! ん〜もぅ! なんてイケメンなの〜!! 早くこっちにいらっしゃい! アタシの事はエアって呼んでね! よろしく!」
エアネストさん……エアさんは私達にバチコン! とウインクを送るとニッコリと笑った。
あはははは……強烈ね。あぁ……スノーが無になってる……ロジー……白目向いてるわよ……。
そんなこんなで、私達は初対面を果たしたのだった。
「へぇ……じゃあ、リリーはあの魔素の濃い、おっかない西の森……シレネの森で暮らしてたの? ってか、あそこ濃い魔素のせいで人が住めないんじゃなかった? アタシ、グルメハンターやってた頃、そこの素材を集めようとして森に近づこうとしたんだけど、気持ち悪くてとてもじゃないけど近づけなかったわよ?」
「それがですね、私達一族は魔素を浄化する方法を知っていて、何事も無く暮らしてたんですよね。今では森も半分くらいは魔素が落ち着いて普通に森に入れますよ?」
「まぁ。それじゃあ、それが理由で王都に呼ばれたのね」
場所は変わってここは厨房奥の料理人達の休憩所だ。せっかくだからハーブティーと共に手土産のお菓子を振舞っているところだ。集まってくれた人はエアさんの他に二十人ほどの料理人がいる。
今日の手土産はリンクの実をふんだんに使ったアップルパイと、ローズマリーとリモーネのパウンドケーキ、バタフライピーを使ったクラッシュゼリーだ。
「それにしても……やっぱり世界は広いわね……」
エアさんは私の作ったお菓子をしげしげと見つめ、ゆっくりと味わう様に口に運んでいる。
「薬草を使ったお菓子など初めて聞きました。そもそも、どの薬草も初めて見た薬草です。長年王宮で料理人をしていますが、私達もまだまだ知らない素材が世界にはあるんですね」
一緒にお菓子をつまんでいた料理人も、私の話を興味深そうに聞き、メモを取っていた。
「こちらのクラッシュゼリーにはどんな素材が使われているのでしょうか? こんな綺麗でプルプルな食感のお菓子など初めてです。動物や魚の皮を煮詰めると同じような食感の煮凝りができるのですが、匂いがキツすぎてとてもじゃありませんがデザート等には使えません。ですが、こちらのゼリーは全く生臭さがない! 是非! その素材を教えて頂きたい!」
他の料理人も、食い入るようにガンガン質問をぶつけてくる。
ここにいる料理人は本当に料理が好きなんだなと、ひしひしと感じた。
「はぁ……私も冒険者続けてたらリリーのハーブのような未知の食材に出会えてたんでしょうけどねぇ」
エアさんはため息混じりにそんな言葉をこぼした。
そう言えば、エアさんはどうして冒険者辞めちゃったんだろう。見た限り年齢もクラウスさんとそう変わらないくらいだし、まだまだ冒険者としてやって行けるはずなのに。
何気なく浮かんだその疑問を、私は特に何も考えずに口にした。
「エアさん?」
「なぁに?」
「エアさんってどうして冒険者辞めちゃったんですか?」
本当に何気なく、何も考え無しに発した私の言葉は、周りの人間全てを固まらせた。
………………しまった! そう思い、口を噤むも時すでに遅し。どうやら私はエアさんの聞いてはならないことを聞いてしまったとすぐ様悟った。
「ごっ、ごめんなさい! 暗黙のルール……でしたよね。私……知ってたのに……」
冒険者の暗黙のルール。その中に、【無闇に個人の過去を探るべからず】というものがある。
この国の冒険ギルドは余程の重罪人でなければ、誰でも登録できるので、様々な事情を抱え、止むを得なく冒険者となる者も少なくはない。
純粋に自分の力がどこまで世界に通用するのか挑む者もいれば、自らの足で収集物を集め世界を飛びまわるコレクターの域を超えた好事家、貧困に喘ぎ力もないまま命の危険を晒す者、軽犯罪を犯し世間的な仕事に就けないものなど、様々な人物がいるのだ。
特に、後者は罪を償い足を洗っていたとしても自分の身を晒したがらない。
もしかしたらエアさんも複雑な事情があって止む無く冒険者を辞めたのかもしれない。考え無しに口にした私の言葉で不快な思いをしたかもしれない。
そう思い、私は深く頭を下げた。しかし……
「ちょ、ちょっと! アナタがそんなに深く頭下げちゃダメでしょ。アナタこの国の重要人物なのよ? 今のは意味深な言い方したアタシが悪かったのよ。別に隠してるつもりないんだけど、皆アタシに気を使って変な空気になっちゃっただけだからアナタは悪くないのよ」
そう言ってエアさんは私の肩を掴み、体を起こしてくれた。
ここにいるみんなはエアさんの事情を知っているらしく、少し困った顔になっていた。
「でも……」
そう言って申し訳なさそうにしていると、エアさんは少し悩んだあと私にその事情を話してくれた。
「別に隠してくことでもないから言っちゃうけど、コレはアタシの自業自得の結果なんだけどね……アタシの右足、冒険者時代に膝から下を無くしてしまったのよ。今ある足は義足ね。まだまだ世界を見て回りたかったけど、この足では冒険者を続けていくことが出来なかったのよ」
義足……そう言えば厨房からこちらのバックヤードにある休憩所に来る際、エアさんの歩き方がぎこちなかったのを思い出した。怪我でもしたのだろうかと思っていたが、まさか義足だったとは。
「魔獣……ですか?」
「いいえ。これはね、女神デルピュネの怒りを買った罰なの」
「女神様……ですか」
「そう。希少食材を夢中で探しているうちに、知らず知らずのうちに女神の領域まで入り込んでいたみたいで、女神の領域を荒らした罪で膝から下を持っていかれたのよ。命まで取られなかったのは救いね。命からがら何とか逃げることが出来たんだけど、あとから調べてみれば、その領域は昔から地元民が深く信仰してきたデルピュネの聖域だったのよ」
エアさんは眉を下げ、「だから自業自得なの」と苦笑いをした。
それを見たスノーは眉をひそめ、何やら考え事をしているようだった。




