回顧録1 バスルームの秘密
このお話は王都編のどこかに入れたいな〜と考えていたお話だったのですが、すっかり忘れてました。
回顧録としてお読みいただければと思います。
回顧録1はクラウス目線でお送り致します。
これはリリー達が王都に到着し、ジャンクとリリアナが里帰りをしている頃の話である。
「おつかれさん。この後は真っ直ぐ騎士隊舎か?」
一日の業務の終わり、ディランは書類を片付けながらクラウスにそう話しかけた。
「いや、今日はリリーが夜市に行ってみたいと言うから……ちょっと行ってくる」
「なんだ、これからデートかよ。羨ましい」
少し前まで女性になど興味を持たなかった親友を、ニヤニヤと揶揄うように見てやる。その顔は揶揄われていてもなんのその、幸せそうな顔をしていた。
「お前が幸せそうで何よりだよ……ほら、早く行ってやれ」
ディランはそう言うと、クラウスを見送った。
さて、今日の護衛は確かガウルだったな……そう思い出しながらクラウスはリリーの箱庭へ向かった。
リリアナとジャンクが気持ちの整理を付ける為、帰郷している間は特務のメンバーで日替わりに護衛しようとなったのだ。
まぁ護衛と言っても、身の危険がある訳では無いので、実際することと言えば、リリーの畑の手伝いや買い物の付き合いぐらいなのだが……おかげでフレドリックは護衛の日をリフレッシュの日などと呼んでいる。
通い慣れたいつもの道を辿ればリリーの箱庭が見えてくる。外から見れば百坪ほどの敷地に、建物と色鮮やかな花々が咲いているのだが、実際箱庭に入ってみると外から見た大きさとは比べ物にならないほど大きい。
いつだったか、リリーが「拡張よ!」と言って箱庭の面積を広げていた。そんな魔法は聞いたことがないし、外から見た大きさと、実際の大きさを変える魔法なんかも聞いたことがない。いつ見ても不思議な庭だ。
夜市にはまだ早いが、二人でいればすぐに時間も潰れるだろうと、扉の呼び鈴を鳴らす。
「……おかしいな」
いつもはすぐに出てきてくれるリリーが、いくら待っても出てくる気配がない。もう一度呼び鈴を鳴らしてみたが、やはり同じだ。
ガウルがいて何かあるとは思えないが、もしや何かあったのでは……そう思った矢先、赤い光が目の前に現れた。
『なんだアンタか』
赤い光の招待はリリーといつも一緒にいる精霊殿だ。
「精霊殿、リリーはどうしました? それにガウルもいるはずなのですが……まだ時間には早いですが、これから出掛ける約束なのです」
『ああ。夜市に行くって言ってたね。リリーならいるけど……』
精霊殿はそう言った後、一瞬何かを考えるような素振りをみせ、ニヤリと笑った。
『そうだ、あんたも中に入りなよ。あの亜人もリリーと一緒にいるよ。二人とも今、手が離せないんだ』
そう言って精霊殿はすずらんの花模様が施された玄関の扉を抜け中は入っていく。
また何か工房で実験でもしているのかと首をかしげながら扉を開けると、意外なところから精霊殿の声が聞こえた。
『こっちこっち。早く来なよ、面白いことになってるよ〜』
精霊殿はクスクスと笑いながら、サーキュラー階段を上った辺りから聞こえた。しかもそちらはリリー達女性のプライベート空間で、寝室やバスルームがある方だった。
「精霊殿、さすがにそちらは私が入ってはいけないと……」
そう躊躇っていると、精霊殿は「いいから、いいから」と上に来るように手招きしている。
心做しか……面白がっている顔をしている気がするのは気の所為だろうか。
ガウルはリリーと一緒にいると言っていたな……ガウルに限ってリリーのプライベート空間に入っていくとは考えにくいが、それでもやはり気になってしまう。
意を決して階段を上ると、精霊殿は満足そうににんまりと笑みを向けた。その顔はやはり何かを企んでいるようで……。
階段を上り切ると「リリー?」と声をかけてみたものの、返事はかえってこない。
『ほら、ここだよ。二人はここにいるよ』
そう言って精霊殿はある一つの部屋へと入っていった。その部屋は……
「バ、バスルーム……」
一体どういう事だ? もしや精霊殿に揶揄われているのではないか? リリーもよく「ロジーはいたずらがすぎる時があるのよね」などと言っていた。だが、やはりガウルの姿が見えないことが気がかりで、自然と足はバスルームへと進んでいく。
扉の前まで進めば、バスルームから音が漏れ聞こえてくる。確かに人がいるようだ。
水の流れる音、シャワーの音、そしてリリーの声……。
「もう少し……あ、ダメ……まって……」
その声を聞いた瞬間、心臓がこれでもかというほど大きく跳ね上がった。
どういう事だ……リリーは一体バスルームで何を? だが、考えるまもなく、また声が漏れ聞こえる。
「あ、ダメよガウルさん……そんなとこ舐めちゃダメ、くすぐったいわ」
その声を聞いた瞬間、一気に理性が吹き飛びバスルームへの扉を開け、中へと飛び込んだ。
「ガウル!! 俺のリリーに何を!!」
大きく開け放たれた扉の先には、確かにリリーがいた。ちゃんと服を着て、泡にまみれた小さな子猫を抱き抱えながら。
「は?」
「え?」
リリーは目を見開き唖然としている。
「ク、クラウスさん?」
「リリー、これは一体……い、いや! すまない! レディのバスルームに飛び込むなどどうかしていた!」
必死に謝罪の言葉を考えあぐねていると、今度は後ろの方から大きな笑い声が聞こえる。
『あはははは! あんた面白すぎる! あ〜スッキリした』
そこには腹を抱えて笑い転げる精霊殿がいた。やはり揶揄われたようだ。
「勘弁してください……気が触れるかと思いましたよ」
『どぉ? 少しは分かった? 僕の気持ち。リリーを横からかっ攫われた僕の気持ち』
あぁ……そういう事か。その言葉で一瞬にして精霊殿の企みを察知した。
『別にあんたのこと嫌いなわけじゃないから、精々誰かに横からかっ攫われないように頑張りな。それと、リリーを泣かせたら僕が承知しないから。それは覚えておいて』
精霊殿はそう言うと、ヒュン……と飛び去ってしまった。
「あ、あの……クラウスさん? これは一体……もしかしてロジーが何かしたんですか?」
子猫を抱えたままのリリーはキョトンとこちらを見ている。
「まぁ、少しな。それよりもリリー、ガウルはどこに? その子猫は?」
精霊殿の気持ちも分からなくはないので早口に話題を変えると、リリーは非常に気まずそうに泡だらけの子猫を抱き上げた。
「あ。あ〜あの〜、実はこの猫ちゃん……ガウルさんだったりして……」
「は?」
驚きのあまり柄にも無い言葉が発せられる。
「あの……実は……」
そう言って聞かされたのは、いつものように工房でハーブの実験中、手元が滑ってしまったリリーが、ガウルに瓶の中身をぶちまけてしまった……というものだった。その結果がこの子猫になってしまったガウルで、慌ててバスルームに飛び込んだと。
「すぐに元に戻ると思うんですけど、全身薬剤まみれになっちゃったので洗っていた所だったわけで……」
なるほど。それをいいことに俺は揶揄われたわけか。ガウルらしき子猫はリリーの腕の中でニャーニャーと鳴き声を上げている。どうやらこの子猫にはガウルの自我は残っていないようだ。
何とか冷静に頭を落ち着けたところでようやく周りを見る余裕が出てきた。
リリーを見ると薄いブラウスの袖をまくり、細い腕をのぞかせている。肘からはぽたぽたと雫が落ち、床に落ちた雫が跳ね上がる。
よくよく見ればその薄いブラウスにシャワーの飛沫が飛んだのであろう、体にピタリと張り付いたブラウスが彼女の素肌を顕にさせている。
その姿を見た瞬間、勢いよく振り向きリリーに背を向ける。
ーー落ち着け……落ち着くんだ。
つい、そんな姿を見たせいか、いつかの魔泉でのリリーの姿が頭をよぎってしまう。結い上げられた黒髪から落ちる雫、汗ばんだ首筋、うなじ。
ーーいやいやいや! 今はそんな姿を思い出している場合ではないだろう!
自分に喝を入れ頭を大きく振りかぶった。
「もう洗い終わってあとは流すだけだからすぐに終わらせるわね……ってあれ? クラウスさん? どうかした?」
リリーは自分の姿に気づいてないのだろうか、背を向けた俺に不思議そうに尋ねた。
「あの……クラウスさん……もしかして怒ってる? ガウルさんをこんな目に合わせてしまったこと……」
「いや、違うよ。違うんだ。その……リリーの姿が……服が透けてだな……俺はリビングで待ってるからゆっくり着替えてきてくれ」
そうリリーに告げると、リリーからはハッと息を飲む声が聞こえた。
「ごっ、ごめんなさい! あ、あ、あの、すぐに終わらせて着替えるので! あ、あの!」
あまりの慌てぶりにクスリと笑みがこぼれてしまう。
「ふふっ。そんなに慌てなくていいよ。ゆっくりでいいからね。ちゃんと待ってるから」
そう言って背を向けたままバスルームの扉をそっと閉めた。
「ふぅーーーーーーっ」
よしっ。落ち着いて会話出来たな。リリーの前ではスマートでありたいと思う反面、時々抑えられない感情に翻弄されてしまう自分もいる。
前と比べると随分と自分を見せれるようになってきたとはいえ、まだまだリリーの前ではスマートでありたい。
だが、そうやって翻弄されるのも悪くは無いなと、階段を静かに下りた。
そうだ、今度は俺がリリーを翻弄する番だ。今晩は楽しい夜になりそうだと頬を緩めた。




