対話
エターナは真っ暗闇の中にいた。
「……よう?」
そこに聞えた初めて聞く男の声に振り返れば、二十代前半に見える男が笑顔を浮かべて立っていた。
「……あんた、誰?」
男は「おいおい……そりゃねえだろ?」と困った顔で肩の辺りまで伸びた藍色の髪を左手で掻く。
「……つっても無理ないか。 俺だよバルバトスだよ」
エターナは「は?」となった後に、パン!と手を叩いて「あ~~、それがあんたの本当の姿なわけね」と納得した。
「本当のってわけでもねえが……まあ、そう思ってくれていいぜ」
「んで? これはどういう状況なわけ? まさか、今度はあたしの身体を乗っ取る気?」
自分の想像に流石に焦った顔になるエターナに、「安心しろ、それはない」とバルバトス。
「俺達異次元の住人はお前達みたいな肉体を持たない……まあ、精神生命体っていう方がいいか? で、その状態でこっちの世界に来ても長くは持たず消滅してしまうのさ」
面倒がこの際いちから説明した方が納得すると判断した。
「だからマナを利用し入れ物を創る、お前達が倒したグレイズみたいにな」
「グレイズ? そっか、あいつグレイズって名前だったんだぁ……」
「だが、こいつは脆いし俺達魔神クラスとなると完全な力を発揮する事が出来ねえんだ、だから人間の身体を乗っ取るってわけだ」
「ふ~~ん……って! やっぱりあんたあたしを乗っ取るきじゃんっ!!」
大声を上げながら後さずる少女に、「待て待て、最後まで話を聞け」と諭すような口調で言った。
「まず、俺達にとって基本的に自我のある生命体を乗っ取るのは危険をともなう行為なんだ、下級や中級の連中なら確実に相手の自我に負けてこっちが消えちまうんだ」
どういう理由なのかは知らないが、とにかくそういうものなのである。 魔神クラスならおいそれと負ける事もないが、それでもまったくありえないわけでもないので、対象の心の隙を突くなどの事をするのだ。
「ましてや今の俺は消滅は免れたとはいえ、お前の魔法で結構なダメージを受けてるんだ、確実に俺の方が負けて消滅しちまう」
多分信じないだろうなと思いつつ「安心したか?」と言うと、エターナが「うん、分かったわ」とあっさり納得したのに拍子抜けした。
「そういうわけで、おもいっきり手加減してたとはいえ俺を倒した奴と少し話をしようと思ったけだ、元の世界に帰る前にな?」
仮の入れ物であれ乗っ取った人間の肉体であれ、それらが破壊されると”本体”も消滅の危険に晒される、下級の連中であればまず助からず、中級や上級であっても攻撃手段によってはかなり危険だ。
「元の世界に帰る?」
「ああ、その気なら入れ物を創って留まれもするが……まあ、負けたし今回は大人しく帰ってやるよ」
「ふ~~ん? あんた案外潔い性格してんのね?」
心底意外だという風な顔で言うのに、「ほっとけ!」と言い返した。
「だいたい、自分で言うのも何だが、俺は魔神の中じゃ性格は良い方だと思うぞ?」
予想どうりエターナの表情は疑っていると分かるものだったが、別に信じても信じなくても良い。
「……って言ったってどうせまたやって来るでしょ?」
「まあ、これればな?」
エターナが首を傾げると、異次元からこっちに来るには誰かに召喚されるか偶発的に開くゲートを使うしかない。 その反面、帰るのには帰ろうと思うだけで向こうに行けるという訳の分からない仕様なのであると説明する。
「……そんなわけなんで次にいつ来れるのかなんて分からんさ?」
バルバトスは肩を竦めた。
「へぇ~……」
嘘を言ってるとも思えないので、ひとまずは安心かなと思うエターナ。
「俺としてはまたお前らと戦ってもみたいがな?」
「あたしはやーよ! あんたとはもう会いたくないわ~!」
あっかべーと舌を出して言ってやれば、「やれやれ、嫌われたもんだぜ……」と苦笑した。
バルバトスだけでなく魔神なんて呼ばれる連中とは関わり合いになるのはごめんだ。 こんなのを相手にしてたら命がいくつあっても足りないし、例え勝てたにしても魔神を殺すのも気が進むというものではなかった。
敵であれば時に命を奪うのは仕方なしというのは認めるしかなくても、殺さないで済むならそれが一番いいのには変わらない。 最初から殺す前提で戦うという事は、少なくともエターナは絶対に良しとしない。
「だいたい、何であんたらはこっちにくんのよ?」
大人しく自分の世界にいれば誰にも迷惑は掛からないし、自分自身を危険に晒す必要もないのだ。
「あっちの世界はどうにも退屈なのでな、みな刺激を求めてこちらに来たがるのだ。 ま、それ以外にもそれぞれの目当てや目的もありもするがな」
それだけ聞けば悪い事でもない気もするが、やはりヒトの迷惑になってはダメだろう。 だが、それを言っても素直に聞くバルバトスではないと思う。
だから「やっぱ、あんた達と会うのはごめんだわね」と肩を竦めた。
「そうかい……さて、そろそろ行くかね」
バルバトスがそう言った直後、急に意識が朦朧とし始める。 それは彼がこの意識世界から去ろうとしたからだが、エターナはそれを理解出来る間もなく再び意識を失ったのであった。
エターナの目に跳び込んできたものは天井だった。
「……ほえ?」
まだ半分ボーっとする頭で身体を起こそうとして、自分がベッドの上で寝ていたと気が付くと同時に「大丈夫ですかエターナ?」とアインの気遣う声が聞こえた。
顔だけをそちらへ動かすと、椅子の上にチョコンと乗った黒猫の紅い瞳が自分を見ている。
「アイン……ここは?」
「あの後見つけた村の宿です。 あなたは丸二日は眠っていたんですよ」
「あの後……?」
記憶をたどり徐々に思い出していく、師匠に恨みを持つ魔術師にいきなり襲われ、彼の召喚した異魔人を倒し魔術師本人との戦いの最中に何の脈絡もなく唐突に復活した魔神とも戦った……。
「ええ、バルバトスはあの後は姿を現しません。 おそらく倒したのでしょう」
「うん、あいつなら元の世界へ帰ったよ?」
「……はい?」
エターナの言った事の意味はアインには分からず聞き返そうしても、「アストとガリアは?」とその前に聞かれればタイミングを失う。
「アスト君は隣の部屋で寝てますよ、時間が時間ですからね」
アインが顔を向けた方に自分も顔を向ければ、窓の向こうに広がる暗闇の世界。
「ガリアはどこかへ行ってしまいましたよ、後始末までが仕事の内だからな……だそうです」
彼の雇い主であったギラ・ドーラスは仮にも魔術師組合の幹部であったから、死ねば――現時点ではまだ行方不明扱いであろうが――いろいろあるのであろう。
結果的にギラを殺す形となった自分達に組合や治安維持隊から追及がこないように手を回すのは、もちろんガリア自身のためもあるだろう。 そんな事にガリアの義理難さと、傭兵としての顔の広さが伺えもする。
「それよりも、あなたは大丈夫なんですか? あれ程の魔法を二度も使ったのです……」
「う~ん……大丈夫だと思うよ?」
まだ少しだけ怠さを感じもするが、それだけであった。
「そうですか……とはいえまだ休んだ方がいいでしょう、どうせ夜明けまではまだ時間があります」
そう言って椅子を跳び下りたアインに、「え~~~? もう眠くないよ~?」と抗議しても、彼女にランプの明かりを消されて部屋が真っ暗になれば大人しく横になっているしかなかったのであった。
目を閉じて、これまでの事を思い出してみた。
故郷の村を旅立ちアストと出会い、そこから何かが大きく動き出したように思えるくらいの出来事だった。 村で師匠達と暮らしていた事に対しては何の不満もない、平穏で幸せな時間だった。
それが伝説とか御伽噺の中でしかないような魔神と戦うような事態になるのは、どこか自分が元いた世界から別の世界にやって来たような感覚にも思えてくる。
どだいドラゴンなんてものを捜しに行くという事は、普通にヒトが生きる日常という世界からの離脱なのかも知れない。 それに不安を感じないでもない、もう二度と師匠達と平穏に生きる世界に戻れないのではないかという気もする。
しかし、同時に未知の世界に好奇心を刺激されワクワクする自分もいて、それが決して不快なものではないと感じているのだ。
何より自分自身の意志で決めた旅である、中途半端で終わらせず最後までやるべきなのだ、諦めるなら本当に無理だと思った時にこそ故郷に帰ればいい。 諦める事は逃げる事ではなく、前へ進むために別の道を捜すというのがトキハの教えだ。
時間は決して止まる事はなく、ましてや後ろへ戻る事はない。
ヒトは時に立ち止まる事は出来し、それは決して悪い事ではない。 しかし、時間に置いて行かれたくなければ進んで行くしかないのだから。
そんな風な事を考えていて、いつの間にかまた眠りの世界に落ちていたエターナであった……。




