1.
その年最後の台風が過ぎ去り、北から冷たく澄んだ空気が関東平野に降りてきた十月中旬のある日、真津蛾晴男という男が、神奈川の山奥にある私のアトリエに現れた。
遅い朝食を摂り、さあ仕事と立ち上がったところで、来客を告げるチャイムが鳴った。
玄関の扉を開けると、十五年前まで良く連んで遊んだ顔があった。
「よう。藤本」扉の外に立つ無精髭の男が言った。「元気そうじゃないか……お前は変わらんな。むしろ学生時代より血色が良いくらいだ」
「誰かと思えば真津蛾さんじゃないですか……久しぶりだな。十年……いや十五年ぶりか」そう返しながらも、私はこの突然の来訪者に戸惑っていた。
目の前に立つ男は確かに旧友の真津蛾晴男だった。
記憶の中にある友は、若く、美しく、自信に満ちながらも退廃的で、着るもの身に付けるもの乗るクルマ行く場所すべてが超一流で、何にでも湯水のごとく金を使う、富豪の放蕩お坊ちゃまを絵に描いたような男だった……だったはずだ。
……だったはず、なのだが……これは一体どうした事だ?
十五年の時を経て再会したかつての親友は……憔悴し、目は落ちくぼみ、頰は痩け、肌は荒れ、髪はバサバサして水気が無く、無精髭を生やし、垢じみたシャツの上に安物のジャンパーを羽織り、擦り切れそうなスラックスと薄汚れたスニーカーを履いていた。
持って生まれた元々の顔が美しいだけに、その落ちぶれた姿は何とも言えず凄まじく、そして哀れだった。
私は、変わり果ててしまった彼をしばらく呆然と見つめていたが、ハッと我にかえって「まあ、とにかく」と家の中に招き入れた。
書斎に使っている十畳ほどの洋間に彼を通し、来客用の椅子に座らせ、紅茶でも淹れようと台所へ行った。
ティーカップを二つ盆の上に載せて戻ってきた私に真津蛾が言った。「なかなか住み易そうな家じゃないか……」
そしてニヤリと口元を歪ませた。
「さすがは画伯……ってところか」
その言い方の嫌らしさに賤しさに、私は二度驚いた。
若き日の真津蛾は確かに皮肉屋ではあった。しかし皮肉であったとしても、彼の言葉は常に優雅で知的だった。
どうして、ここまで落ちぶれてしまったのか。
* * *
私が真津蛾晴男という男に最初に出会ったのは、東京郊外にある美術大学の学生だった頃だ。
年上の知人に連れられて初めて訪れたナイトクラブで、私が酒を注文しているところへVIP室から女を二人連れて降りて来たのが真津蛾だった。
そのとき彼と何を話したのかは、もう憶えていない。
とにかく私は何故か真津蛾に気に入られ、彼と二人の女と一緒にVIP室へ上がり、彼の奢りでしこたま酒を飲んだ。あとで知った事だが、彼の両側に侍る美しい女たちは高級娼婦と呼ばれる人種だった。真津蛾はしばしば夜の遊び相手にそういう女たちを選んだ。私の知る限り、彼がまともな女とまともな恋愛関係だった事はない。
このとき私が彼に何を話したのかも全く憶えていないが、たぶん当時注目していたポップ・アーティストの話か、誰も見向きもしない低俗・低脳・低予算のマイナー映画の話のどちらかだったと思う。その頃の私には、他人に話せるものが他に無かった。
その夜、真津蛾は、ぐでんぐでんに酔っ払った私から住所を聞き出し、クラブを出た所でつかまえたタクシーに半ば無理やり私を押し込み、運転手に充分な運賃を握らせ住所を教えて見送った……と、これは後で彼から聞いた話だ。
それで終われば、美術大学の学生がクラブで金持ちのお坊ちゃんと出会い、互いに名も知らぬまま別れた……というだけの話だったはずだ。
しかし、それから一ヶ月ほど経ったある日、私と真津蛾は再会した。
あるマイナーなポップ・アーティストの展覧会に行くと、そこに真津蛾が居た。
「やあ、また会ったね」と気さくに声をかけてきた真津蛾に、私は「どうも」と低い声で答えた……それが再会最初の挨拶だった。
小さな展覧会場を見てまわるのに大して時間は掛からない。
会場を出た私に、真津蛾は「時間があるなら、少しお茶でも飲んでいかないか」と言い、私たちは近くの喫茶店に入った。
話してみると、彼と私は驚くほど文化的な趣味嗜好が似ていた。
彼は私より五歳年上で、都内の有名私立大学の文学部を卒業したあと定職にも就かず六本木の高級高層住宅を寝ぐらにブラブラ遊んで暮らしていた。
父親は、何とか言う投資コンサルタント会社を経営していて、彼いわく金は唸るほど持っているらしかった。兄が一人いて、父親の会社はその兄が継ぐことになっていた。
「僕は僕で気ままに暮らすさ。まあ高等遊民ってやつだな」と彼は言った。
それから私と真津蛾は良く連んで遊び歩くようになった。
……いや、連むというより、真津蛾が私を一方的に色々な遊び場へ連れ出した。
中流階級出身の美大生、というだけの私が、庶民が行けないような場所に行き、庶民には出来ないような遊びを楽しめたのも、真津蛾という友人が居たからこそだ。
行く先々で、上流階級と呼ばれる人々を紹介された。後に私が世に出るとき、そのことが少なからず有利に作用した。まったく芸術家の人生など運とコネでしかないなと思ったものだが、それはまた別の話だ。
とにかく真津蛾という名の上流階級人種と友人になったおかげで、地味だった私の生活は、突然、華やかで享楽的なものに変わった。
彼と私が何処へ行き何をしたかをいちいち書き記してもそれほど意味があるとも思えないし、この手記の本題ではない。
ただ一つだけ、あるエピソードを書いておく。私が彼と袂を分かち、高級シャンパンの酩酊が見せる幻想の世界から、勉強して仕事をして金を稼ぐというまっとうな現実世界へ戻る切っ掛けになった出来事だからだ。
ある日、とつぜん彼が私のアパートへ来て「今から遊びに行こう」と言った。
これも金持ちの坊ちゃん気質ということなのだろうか、真津蛾には他人の都合に配慮せず自分勝手に誰かを呼び出したり、逆に時と場合も考えず相手の居場所へ押しかけて行ったり、そうかと思うと周りの人間を置いてけぼりにしてサッサと一人で何処かへ行ってしまうことが度々あった。
その時ちょうどアルバイトに出かけるところだった私は、せっかく来てくれて悪いが他に用事があるから今日は帰ってくれと真津蛾に言った。
彼は、アルバイトなんて下らないから辞めてしまえば良い、卒業までそのアルバイトを続けたと仮定した給料合計額を三倍にして、今ここで僕が払ってやろう……と言った。
さすがの私も、その傲慢な物言いに腹が立った。
私は「金で何でも解決できると思うな」とか何とか言って、真津蛾に食ってかかった。
別にそのアルバイトに特別の思い入れがあったわけじゃない。大した時給でもない、ありふれた学生向けのアルバイトだった。
しかしその時は、あまりにも自分勝手な真津蛾の言いぐさに憤り、今日は意地でもバイトに行くぞと心に誓って彼を睨みつけた。
すると……意外なことに真津蛾はその美しい瞳を大きく見開いて驚きの表情を作り、次にシュンとしょげたような表情になって肩を落とした。
そして、親に怒られた幼児が泣きそうなのを我慢して必死で言い訳するような声で「いつまで……君と友だちでいられるか……分からないんだ」と言った。「だから、一緒に遊べるうちに、できる限り長い時間、君と遊んでおきたいんだ」と。
つねに自信に満ち溢れていて周囲の人間を見下すような言動の多い真津蛾晴男が初めて見せた、悲しげで寂しげな、私に何か許しを乞うような表情だった。
こいつも、こんな顔をする事があるんだ……と、私は思った。
その表情は強く印象に残った。
* * *
一時期は毎晩のように真津蛾に連れられ一緒に豪遊していた私は、その出来事以降、少しずつ彼と距離を置くようになった。
何故か? 自分自身でも分からない。
ちょうどそのころ卒業制作が始まり、就職活動もあり、だらけ切った学生生活のつけを支払う時期が来ていたからかも知れない。
このまま何時までも金魚のフンみたいに金持ち息子に引っ付いていても将来は無いと思ったからかも知れない。真津蛾と遊び呆けてばかりいては人間が駄目になってしまう、と。
彼が「いつまで君と友だちでいられるか分からないんだ」と言ったときの思い詰めた表情を見て、急に怖くなったからかも知れない。自信家で、傲慢で、皮肉屋で、気障で、自分が美男子だと充分に知っていて、誰に対しても微妙に見下したような態度の彼が、あの時あの瞬間だけ、情けないほどの表情を私に見せて弱音を吐いた……それが逆に何とも言えず怖かったのだ。
彼から電話がかかって来ても、あるいは彼が直々に私のアパートに迎えに来ても、「用事があるから」と断る回数が徐々に増えていった。
真津蛾の方も、あれ以降、強いて私を引き止めるような事はしなくなった。
私は東京郊外の美術大学をどうにか卒業し、都内の広告代理店に就職した。
その頃には、真津蛾晴男と会うことも無くなっていた。
入社した代理店の仕事は激しかった。内向的で口下手な私の性分とは絶望的なほど相性が悪かった。
神経をすり減らし、肉体を酷使し、入社して五年後には心身ともに疲れ果てていた。
このまま仕事を続けていては取り返しのつかない事になってしまうと私の中の本能的な何かが叫び声を上げ、私はその叫びに従って上司に辞表を提出した。
再就職の当てなど、これっぽっちも無かった。
しかし人生、何が切っ掛けで好転するか分からないものだ。
失業期間中、次の職を探しながら前職で消耗した心身をリハビリするつもりで製作しネット上に公開したデジタル・アートが、ある現代美術の蒐集家の目に留まったのだ。
デジタルではない一品ものの作品を作ってくれたら、それなりの金額で買い取ろうと提案して来たその蒐集家は、会ってみれば何のことはない、真津蛾の放蕩生活に付き合わされていた学生時代、彼に紹介された遊び仲間の富豪の一人だった。
ネットに作品を上げるとき、私は自分の名前をカタカナ表記にして画号としていた。
その富豪は私の名を覚えていて「もしや」と思い連絡した、と言うのが本当の所らしかった。
なんだ純粋に私の作品を評価してくれたんじゃないのかと一瞬だけ落胆したが、コネだろうと依怙贔屓だろうと世に出るチャンスを頂けるなら、ありがたく頂戴しようと思い直した。
真津蛾さんは元気ですか? と私が富豪に尋ねると、もう何年も会っていないと言われた。「君こそ彼の行方を知っているものだとばかり思っていたのだが……本当に知らないのかね?」と逆に聞き返されてしまった。
彼の話によると、ちょうど私が大学を卒業した同じ頃、真津蛾も上流社交界を『卒業』したらしい。
「薬に溺れて廃人同然になり、親の別荘に軟禁され何年もリハビリを続けている」だの、「外国で、異常性癖者専門かつ人権侵害的な高級売春宿に入り浸り、現地の官憲がガサ入れに来る直前に危うく脱出して今は第三国でほとぼりを冷ましている」だの、かつての遊び仲間たちは有ること無いこと噂している……と、その富豪は溜め息まじりに私に教えてくれた。
それからさらに十年の月日が流れた。
世に出る最初の切っ掛けがコネだったにせよ、その後も私の作品に買い手が付いて途切れる事なく仕事を続けられたという事は、私にも多少の才能があったのだろうと自負しても罰は当たるまい。
あるていど生活に余裕が出来た段階で、私は東京の高層住宅を引き払い、山奥に小さな仕事場を建ててそこに引きこもった。
都市のエネルギーが霊感を与えてくれるなどと嘯く芸術家は多いが、私の場合は全く逆だった。
学生時代に真津蛾に連れられて都会の夜を思うぞんぶん楽しんだのは事実だ。
しかし時間の経過とともに、月日の経過とともに、人間の性格は変わっていく。
会社を辞めたあたりから急に都会の騒々しさが嫌になった。
夜遊びも、女遊びも、今は疲れるだけだ。
森の中の仕事場で独り寝起きする生活に不満は無い。
朝起きて、作品に向かい、腹が減ったら冷蔵庫にある物で適当に料理を作って食べ、また仕事をして、疲れたら寝る……それだけの日々だが、それで充分に満たされている。
経済的にも困っていない。
作品の売れ行きは良く、銀行預金の残高は増える一方だ。
……その満ち足りた生活領域に……突然、十五年前の友人が現れた。
驚くほど変わり果てた姿で。