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最終話

 『龍』が町を襲ってから三ヶ月が過ぎた。私は無事に退院し、今では普通に泳いでいる。

 結局、私は大会に出ることはできなかった。入院のブランクがあり、今もまだ肺が苦しくなるときがある。現実は漫画みたいにはいかない。一度低下した体力が、三ヶ月そこそこで戻るほど、甘くはないのだ。

 大会に出られなかったことは、私にとって大変残念なことだった。でも、私は『龍』に飲み込まれたことで、なぜか自信がついた。「他の人間には負けない」という、よくわからない自信がある。なぜ「他の誰にも負けない」ではなく、「他の人間には負けない」なのだろうか? なぜ「人間」にこだわっているのだろうか? その理由は自分自身よくわかっていない。

 でもまあ、このよくわからない自信がついただけでも、私にとってこの夏は価値ある夏だったと言える。私はこの自信を糧に、絶対に四年後、金メダルを取る。

 そして、この町に凱旋して、この町をお祭り騒ぎにしてやる。

 ――ん? お祭り騒ぎ? なんでお祭り騒ぎなんだ? 

 私は自分で自分の考えに疑問を持った。何でかわからないけど、「お祭り騒ぎ」というワードが頭に浮かんできた。

 まあ、そんなことはどうでもいいか。私は母の遺伝子に従い、楽観的に考えることにした。


       ○


 地区大会が終わってから、づかちょん先輩と会った。先輩は地区予選で敗退し、県予選には進めなかった。

「地区大会で勝負するって約束したのに、破ったわね」

 づかちょん先輩は拗ねたような顔で言う。

「すいません」

 私は謝った。約束を破ってしまったのだから。

「まあ、いいわ。マコもいろいろと大変だったみたいだし」

「先輩は進路、どうするんですか?」

 づかちょん先輩は高校三年生だ。最後の大会も終わり、これからは受験モードに入るのだろう。づかちょん先輩がどんな将来を思い描いているのか気になった。

「私、水泳のインストラクターになろうと思って。体育系の大学を受験するつもり」

「先輩は、本当に水泳が好きなんですね」

「ええ、そうよ。私は水泳が大好きなの。それは、マコも同じでしょ?」

 数ヶ月前だったら、この問いかけに即答できなかった。でも、今なら即答できる。

「はい。私も水泳が大好きです」

 

       ○


「ケンタ、ごめん。私、今は自分のことだけで精一杯で、あんたのことは考えられない」

 退院後、私は約束通り、ケンタにちゃんと返事をした。

それは、ひじょーに曖昧な返事で、私自身、これでいいのかと思った。でも、これが本心だったから、そのまま伝えた。

「それは、今はまだ、ってことだよな。ってことは、将来的には俺のこと好きなるかも知れないってことだよな?」

「いや……その、それは……どうかな? 正直、あんたは恋人というよりは、親友だから……その」

「でも、未来はどうなるかわからない。だろ?」

「え、まあ、そうね」

 ケンタは一人納得した様子で「よし」と呟いた。私には何が「よし」なのか、よくわからなかった。

「可能性があるなら、今はそれでいいよ。一生あんたと付き合うことは絶対にないって言われたらどうしようかと思ってたんだ」

 ケンタはそう言うと、うれしそうに笑った。私的には一応、ケンタを振ったつもりだったので、いまいち釈然としなかったけど、まあいいかと思った。私には、楽観主義者の母の血が混ざっているのだ。

 それに、確かにケンタの言うとおりだ。未来はどうなっているか、誰にもわからない。

「それはそうと、マコはまだ久富重吾のファンなのか? もうやめとけよ、あんな最低な奴のファンなんかさ」

 ケンタは眉間にしわを寄せ、苦言を呈する年寄りみたいな顔をした。

「え? なんで?」

「ニュースでは、久富重吾がユウイチ君を助けたって報道してたけど、あれ全部嘘っぱちだぜ。久富重吾は、川に飛び込んでなんかいないんだよ。あのとき、橋の上にいた奴らの中で、実際に飛び込んだのは俺だけだった。俺はすぐに溺れちまったけどさ。ユウイチ君を助けたのは別の誰かだよ。それを、あの久富重吾は横取りしたんだよ。駆けつけた救急隊員に、俺が助けたって嘘言いやがった。マジでゆるせねぇ」

「そっか」

 私はその事実を聞いて、驚かなかった。なんとなく、気付いていた。

 たとえオリンピック選手でも『龍のくしゃみ』の中でまともに泳ぐことはできないだろう。『龍のくしゃみ』の中で溺れている人間を助けることができるとしたら、それはきっと、人間の限界を超えた何かだ。

 ――ユウイチ君はきっと、たまたま自然に助けられただけなんだろう。

 一般的に考えれば、そんな偶然あるはずがないとわかっている。『龍のくしゃみ』に飲まれた子供が、たまたま無傷な状態で岸に打ち上げられる確率は、ほぼゼロだろう。

 でも、私はなぜか「ユウイチ君は自然に助けられた」という考えが、正しいと思った。根拠はないけど、正しいに決まっていると、なぜか信じられた。

「じゃ、俺そろそろ部活行くから」

 そう言うと、ケンタは私に背を向けた。瞬間、私の脳裏に余計なおせっかいが思い浮かんだ。

「あ、ケンタ。私が言うことじゃないかもしれないんだけどさ、あんたの周りには私以外にも魅力的な女性がいっぱいいると思うから、その人たちのこともちゃんと見てあげてね」

 ケンタは再び振り向いて、笑いながらこう言った。 

「大丈夫。俺はちゃんと、他の女性もちゃんと見て、それから、やっぱりおまえしかいないって思ったから。誰と比べても、俺の一番はマコだったから」

 その言葉に、不覚にも、少しだけドキッとしてしまった。ケンタのくせに、生意気な。

「じゃ、また」

 そう言うと、ケンタは走りながら去って行った。

「なんだかいい雰囲気だったじゃない」

 背後から急に声が聞こえて驚いた。振り向くと、そこにはカナミがいた。

「ちょっと、驚かせないでよ」

 私は胸に手を当てて、深呼吸をした。まだ少し、肺に違和感があった。

「なんて返事したのよ。聞かせなさいよ」

「断ったわよ。今は恋愛のことは考えられないって」

「今は? やけに含みを持たせた言い方ね」

 カナミは怪訝な顔をしている。

「いいでしょ、べつに。未来は誰にもわからないんだから」

 私は笑って誤魔化した。

「ふん、まあいいわ。ところで、魔女について調べて来たけど、話聞く?」

「魔女について?」

 私は首をかしげた。

「は? あんた何言ってんの。あんたが魔女について調べて来てって言ったんでしょ。覚えてない、なんて言わせないわよ」

 カナミは恐ろしい剣幕でまくし立てる。

「え、あ、そ、そうだったね。ごめんごめん。話聞かせて」

 私は反射的に謝り、話を聞くことにした。どうして「魔女について調べて欲しい」とカナミに言ったのか、私は覚えていない。でも、私はなぜか、魔女について興味がある。魔女のことを知りたいと思っている自分が、なぜか存在していた。

「よろしい。じゃあ、また長くなるけど、覚悟して聞いて頂戴。一回しか言わないから、一回ですべて頭にたたき込んでね」

 そう言うと、カナミは「魔女」についてつらつらとしゃべり始めた。

「魔女とは、ヨーロッパの俗信で、悪霊と交わって魔力を得た女性と言われているわ。他にも広義の意味では、魔法を使う者のことを魔女という。そこには女だけじゃなくて男も含まれる場合があるわ。一般的なイメージは、黒い服を着て、黒いとんがり帽子をかぶり、箒や山羊に乗っている老婆という感じね。そんな魔女の集まりをサバトと呼ぶのだけれど」

 カナミはつらつらとしゃべり続ける。私はそれを必死に聞いた。

「過去には魔女狩りという惨事があった。その中で、無実の人々が魔女だと疑われて処刑された。魔女の家族というだけで、小さな子供までもが惨殺されたという記述もあったわ。それは、集団ヒステリーの結果だったと分析されているのだけれど、単なる魔女と人間の戦争だという見方もあるみたい。いくつかの文献には、実際に魔女の奇術でメランコリーにされたとか、魔法で家族を殺されたとか、魔女に被害を受けた人たちの記述も残っていたわ。文献からでは、どちらが悪でどちらが正義なのか、判断が付かなかったわ。それに、魔女狩りは異国の話しじゃなくて、日本でも実際にあったみたい。日本に魔女がいたという文献がいくつかあったわ」

 中には悲惨で思わず耳を覆いたくなるような話もあった。

「魔女が使う魔法にはいろんな概念や捉え方があるみたいで一概には言えないんだけど、とあるファンタジー小説の中では、魔法は等価交換の一種であるという記述があって、なるほどなと思ったわ。この世界は等価交換の大原則でできていて、魔法を使うためには、発動させたい魔法とまったく同じ価値の何かを失う必要がある。これは、科学の質量保存の法則や相対性理論からも納得できる考えだと私は思ったわ。魔法を使うためにはエネルギーが必要で、物質はエネルギーに変換できるのだったら、エネルギーを介して、魔法と物は変換できる。つまりは、使用したい魔法とエネルギー的に等価な何かを失うことで、魔法を使うことができるという理論ね。だから魔女は、コウモリやカエルやマンドラゴラみたいな素材を集めて、魔法に必要な価値の調整をしているのね。そう考えると、化学反応も魔法の一種――いや、魔法も化学反応の一種と言えないこともないわね。人類がまだ解明できていない反応式を、魔女は知っているのね」

 カナミは調べたことに自分の持論を織り交ぜて話すので、私は話に付いていけなくなった。

カナミは私のことなど気にせずしゃべり続ける。

「魔法にはいろいろ種類があって、惚れ薬や空を飛ぶ魔法、さらには天候を変えてしまう魔法や死者をよみがえらせる魔法まであったみたい。史実に基づいた文献に載っていた魔法は限られるけど、小説やゲームなんかの創作物の魔法も入れたら、それこそ何でもあり。それが魔法というものなのね」

 何でもあり、それが魔法。確かに、魔法があれば何だってできる。自分の望みを簡単に叶えることができるだろう。でも、そんなものはインチキだ。そんなのは絵本の中だけの話。現実に、魔法はない。

だから、努力をして、実力で、自分の望みを叶えるしかないんだ。

「さらに現代では……」

 その後もカナミの話しは続き、およそ五時間後、ようやく話は終わった。

「カナミ、アリガトウ。ワタシツカレタヨ」

 私は五時間も魔女の話を聞かされて、頭がオーバーヒートしてしまった。それでも、魔女についての知識を得ることができて良かったと思う。この知識はきっと、いつか役に立つのだろう。根拠はないけど、強い予感だけはあった。とにかく、カナミには感謝だ。

「はぁ、私もしゃべり疲れたわ。それと、これも貸しだからね。必ず返してもらうわよ」

 そう言うと、カナミはまるで魔女のように不気味に笑う。

「貸しって、具体的に何よ」

「私と速水君が仲良くなるための作戦に協力してもらうわ」

「カナミ、あんた振られたんじゃなかったの?」

「ええ、そうよ。マコのせいで振られましたよ。で、それが何?」

「いや、ごめん。反省してます」

 私は申し訳なくて、頭を下げた。

「私はね、一回断られたくらいじゃ諦めないわよ。むしろ、振られたことで新たな戦略が使えるようになったのよ。今までは私が速水君のことを好きだということがバレていない前提の作戦だったけど、今度は私が速水君のことを好きだというのが伝わっている前提で作戦を練ることができるの。ふふふ、楽しみだわ」

 カナミは悪巧みをする魔女のように笑った。

「カナミ、ありがとね。いろいろと」

「何よ急に、気持ち悪い」

 カナミはそう言うと、顔をしかめた。私にはそれが、照れ隠しだということがわかったので、もう一度感謝の気持ちを述べた。

「カナミありがとう」


       ○


 この夏、私は確かに変わった。

 それは何かを得たということでもあるし、何かを失ったということでもある。

 私はきっと、何か大切なものを失っている。でも、その代わりに、私は大切なことに気付くことができた。成長することができた。

 今までも十分才能溢れる素敵なレディーだったのに、これ以上素敵になって、いったい私はどうするのかしら。

 まったく、将来が楽しみだわ。

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