第三話
北卍に来るのは骨が折れる。
単純に川の流れに逆らって上流に行くというだけでも大変なのに、北卍の流れは速くて急で複雑だ。いくら泳ぎが得意な私でも、さすがに疲れてしまう。
「さてと、河童はどこかな?」
私は北卍に着いてすぐ、あたりを見渡して河童を探した。ゴツゴツとした岩の上や水草の生い茂る川縁、さらには水の中までくまなく見まわした。でも、河童の姿はどこにも見当たらなかった。
「くそっ! 魔女のやつ騙したな」
私は心底イラついた。はやいとこ河童を見つけて、尻子玉を奪って、この川から脱出しなければいけないのに。私は正直焦っていた。
なぜなら、近々水泳の地区大会があるからだ。
私は昨年、高校一年生ながら新井高校水泳部の代表に選ばれ、地区大会に出場し、その後新潟県大会、北信越大会と勝ち進み、見事全国大会へと出場した。
全国大会でも私は予選、準決勝と勝ち進んだ。準決勝で一番良いタイムをたたき出した私は、決勝で一番良いレーンを獲得した。コンディションも完璧だったし、誰にも負けない自信があった。
――しかし、私は一番にはなれなかった。
私がオリンピック選手に選ばれるためには、絶対に倒さなければいけない“ライバル”がいる。そのライバルは、今現在ブラジルにいる。私を差し置いて、高校生で唯一オリンピックの代表に選ばれた、若手最有力候補の憎たらしい女だ。テレビでは「日本水泳界期待のホープ!」とか、その美しい美貌とゆるぎない実力から「人魚姫」と呼ばれ、アイドル並みにもてはやされている。
「あんたぁ! 私との“勝負”をほったらかしにしておいて、こんなとこでなにやってんのよぉおおお!」
私がにっくきライバルについて考えていると、突然、怒鳴られた。
「づ、づかちょん先輩」
「そのあだ名はやめなさいって言っているでしょ!」
声の主は『飯塚先輩』だった。飯塚先輩は私の一つ上の学年であり、後輩からは“づかちょん先輩”と呼ばれている。なお、当の本人はこの“づかちょん先輩”というあだ名を大変嫌っている。
「私は、あんたに勝つために毎日毎日苦しい練習に耐えてきたのよ! あんたを倒して、地区大会の出場枠をこの手で手に入れる。それだけを考えて一年間頑張ってきたのに、逃げてんじゃないわよ!」
地区大会には“出場枠”というものが存在する。一つの種目に対して、学校ごとに参加できる人数が決まっているのだ。私が所属する新井高校水泳部は強豪校なので、部員の人数が非常に多い。そのため、中には高校生活三年の間に一度も大会に出場できない選手もいる。これは強豪校にとっては仕方のないことだし、弱肉強食の世界では弱者は黙るしかない。いつだって強者は他人のささいな夢や希望を踏みにじり、貪り、食い散らかす。かくいう私も、“強者”として数少ない出場枠を奪い取った。そして、私に出場枠を奪われたづかちょん先輩は、昨年の地区大会に参加できなかった。
づかちょん先輩は今年で高校三年生。つまり、今年が大会に出場できる最後のチャンスなのだ。だから、づかちょん先輩は私のことを勝手にライバル視し、何かと突っかかってきた。
私としては、圧倒的実力差があるため、づかちょん先輩のことは全く眼中になかった。それでも、づかちょん先輩が諦めることは、決してなかった。
今年の新井高校の出場枠は“三つ”だ。実力順で行けば、私と三年生の新垣先輩、そして同じく三年生の美奈高先輩が選ばれるはずだった。しかし、づかちょん先輩は、「代表はちゃんとレースをしてから決めてください」と顧問に直談判した。あまりの熱意に根負けした顧問の先生は代表を決めるためのレースを行うことを約束した。そして、今日がその約束の日だった。
しかし、私はご覧のとおり川に閉じ込められてしまったため、代表を決めるレースには参加できなかった。
「勝ち逃げなんて許さないわよ、正々堂々勝負しなさいよ! はやく川から出て! 今すぐ学校のプールに来なさいよ」
私の事情を全く知らないづかちょん先輩は顔を真っ赤にして、まるでアルカパのようにツバをまき散らしながら叫んでいる。汚い。
「づかちょん先輩、実は……」
私は、ゆでダコみたいに顔を真っ赤にしているづかちょん先輩をどうにかなだめ、事情を説明した。