第三十八話
大災害の前に、人になすすべはない。上下左右もわからない。自分がどれだけ流されているかもわからない。鼻から水がどんどん入って来て、呼吸が苦しい。肺が痛い。目も開けられず、耳も聞こえない。私にできることは、尻子玉をなくさないように、ただギュッと抱きしめることだけだった。
すぐに苦しくなって、本格的に意識が遠のいた。このまま死ぬのだと悟った。深く暗い海底に沈んで行くような感じ。静かだけど、ジメジメとしていて気持ちが悪い。嫌だ、死にたくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ!
私が心の中でそう叫んだ瞬間、何者かに腕を掴まれた。この感触は、幼いころ溺れた時に感じた感触と一緒だ。十数年前の記憶が鮮明にフラッシュバックした――間違いない。
私がそう思った次の瞬間には、視界が明るくなっていた。光を求めるように目を開けた。空にはお日様が何事もなかったかのように浮かんでいる。
「ゲホォ、ウググ……ゲホォゲホォゲホォ」
私は肺の中に大量に吸い込んでしまった水を吐き出そうと、必死に咳き込んだ。朦朧とする意識の中、現状はよくわからないけれど、どうやらここは川の中ではなく、地面の上だということは理解できた。
「大丈夫か?」
目の前には、河童がいた。
「ゲホォ、ゲホォ、ケホォ……」
苦しくて、言葉を発せない。
「おまえはバカか。人間が『龍』の中で泳げるわけがないだろう」
河童が、私を、助けて、くれたん、だ……。
「はっ! こ、ここは」
気が付くと、病院のベッドの上にいた。
「うぅ」
頭がクラクラした。
「ゲホォ、ゲホォ」
咳が出る。苦しい。肺が痛い。
「気が付いたかい。まだ安静にしていないとだめだよ。大量の水が肺に入ってしまったせいだろう。肺に炎症が起きているから、無理をしてはいけないよ」
目の前には、白衣を来たドクターがいた。
「とりあえず、今は休みなさい」
ドクターはやさしく微笑んだ。




