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第三十七話

 私は北卍に着いてから、辺りを見回した。

 北卍の水も西卍同様、きれいさっぱりなくなっていて、茶色い泥土が露出していた。

河童はどこにいるだろうか? 

 私はとりあえず、いつも河童が寝床にしていた平たい岩へと向かった。しかし、そこに河童はいなかった。もう、旅に出てしまったのだろうか? 最後にもう一度、会いたかった。泳ぎを教えてもらいたかった。

 とにかく、まだどこかにいるかもしれない。探そう。私はさらに上流へと向かった。

 川の水がなくなったせいか、いつもより暑く感じる。セミの声も心なしか大きい。ミンミン鳴く声が耳にへばりつく。額から汗がにじみ頬を伝う。夏だ。川底の泥土もすでに乾き始めている。ところどころでひび割れが起きている。


 上流に向かって歩きながら一時間ほど探したが河童は見つからなかった。

「もう、旅立ってしまったの?」

 私は少し疲れたので、立ち止まり、一呼吸置いた。そのとき、突然セミの大合唱がピタリと鳴きやんだ。

 私が不審に思った次の瞬間、地面が揺れた。地震だ。それも、かなり大きい。私は立っていられなかったのでその場にしゃがんだ。


「ふぅー、おさまったみたい」

 数秒後、揺れはすぐにおさまった。それにしても最近地震が多い。

私は再び立ち上がり、ふと川の方を見た。そのとき、あるものを見つけた。

「あれ……あれは」

 私は何度も目をぱちぱちさせながら確認した。間違いない。あれは尻子玉だ!

河童の尻子玉は魔女にすでに渡している。つまり、あれは河童の母親の尻子玉だ。


 気が付くと、私は窪地となっている水のない川に入っていた。北卍の水深は意外と深く、川底に降りるのは大変だった。おそらく二メートルくらいはあるだろうか? 結構な高さから飛び降りるかたちとなり、着地した瞬間私の足がジーンとしびれた。


 私は川底に半分見える形で埋まっていた尻子玉を掘り出した。そして、服の裾で数回キレイに表面を拭いて、空にかざした。透明な尻子玉は水晶玉のようで、とても綺麗だった。

「お嬢ちゃん! 何やってんだい。もうすぐ『龍』が来る。はやくそこから出な! さっきの地震でさらに『龍』の出現がはやまったんだよ。もう数分後には『龍』が来る」

 私が尻子玉に見とれていると、突如川岸の方から怒鳴り声が聞こえた。声のする方を見ると、血相を変えた魔女がいた。

「え? う、嘘? 数分後?」

 私は大変戸惑ったが、魔女の顔が真剣で、本当に危険なのだと直感的に理解できた。私はすぐに川から出ることにした。

「ほら、手を貸しな。まったく、私が来なかったらどうやってここから出るつもりだったんだい? 頭の悪い子だね」

 川岸までは二メートルくらいの高さがある。降りるときは私一人で降りられたが、昇るのは一人では困難だった。私は昇るときのことを考えていなかった。

「あ!」

 川岸に足をかけようとした瞬間、私はうっかり尻子玉を落としてしまった。コロコロと転がり、二三回左右に揺れてから止まる尻子玉。落としてしまった尻子玉に私が目を向けたその瞬間――。

「来たよ! 『龍』だ!」

 川上の遥か先から「ゴゴゴ!」という轟音と共に、まるで壁のような水鉄砲が押し寄せて来るのが見えた。その姿はまさに『龍』と呼ぶにふさわしく、恐怖で体が震えた。

「ば、ばか! なにやってんだい!」

 気が付くと、私は再び川底に降りていた。あの恐ろしい『龍』を目の当たりにして、絶対に回避しなければいけないのは理解している。これを回避しなければ死んでしまうこともわかっている。それなのに、体が勝手に動いた。ここで尻子玉を拾わなければ、もう二度と母親の尻子玉を河童は見ることができなくなってしまう。そう思ったら、体が勝手に動いていた。

 自分の命より、河童の思い出を優先してしまった自分に、驚いた。

 尻子玉を拾って、振り向いたときにはもう遅かった。『龍』が目の前にいて、次の瞬間には、何を思う間もなく、飲み込まれた――。

 私は強烈な“死”を実感した。

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