第二十六話
「マコ、いろいろと調べてきてやったわよ。感謝なさい」
翌日、カナミが北卍にやって来た。
「ほんと? ありがとうカナミ」
私は深々と頭を下げて水面に顔面を水没させた。
「あんたふざけているならもう帰るわよ」
「ブクブクごめんごめん、河童についていろいろと教えてください。お願いします」
「マコ、あんた覚悟はできているの?」
「覚悟?」
「途中で嫌だと言っても許さないからね」
そう言うと、カナミはまるでせき止められていたダムの水が放流された時のように勢い良くしゃべりだした。
「河童とは日本の妖怪で、河太郎とも呼ばれている。全身は緑色で頭には皿があることが多い。皿は円形で割れたり乾いたりすると力を失うと云われている。口は鳥のような嘴で背中には亀の甲羅のようなものを担いでおり、手には水かきがある。キュウリが好物で、相撲が強い。生息地は川もしくは沼で泳ぎが得意である。地方によっては……」
「ちょ、ちょっとカナミ。いきなりそんな言われても覚えられないよ」
カナミがすごい勢いでつらつらとしゃべるので、私は思わず言葉を遮った。こんな勢いで情報を言われても、頭に入らないよ。
「うるさい。黙って聞きなさい。言ったでしょ、覚悟はあるのかって。本気で知りたいと思うなら、その覚悟があるのなら、一回で覚えられるはずよ」
カナミの瞳は鋭くて、真剣だった。私はその真剣さに応えなくてはいけないと瞬間的に思った。それと同時に、私はまだ学ぶということの大変さを理解していなかったのだと感じた。
学ぶということは、知るということは、簡単なことじゃないんだ。
「わかった。私一回で覚えるから、お願い、河童についてもっと教えて」
カナミはコクリと頷くと、続きをしゃべりだした。
「河童は……」
この言葉を皮切りに、カナミは五時間しゃべり続けた。たった一日でこれだけの情報を集め、しかもそれを全て暗記していることに私は驚愕した。それと同時に、カナミの頭の良さに嫉妬した。
私ももっと賢くなりたい。
「一般的に悪戯好きと知られていて、川の近くを通りかかった牛や子供を川に引きずり込んで溺れさせることもある」
時には恐ろしい話もあった。これが本当であれば、今頃私は河童に殺されていたかもしれない。
「かの有名な葛飾北斎も河童の絵を残しているわ。それほど河童は当時からポピュラーな存在だったみたい。それに芥川龍之介の作品にも『河童』というものがあるわ」
途中、葛飾北斎とか芥川龍之介といった有名な名前も出て来た。いろんな人が河童に刺激を受けて作品を作っていた。河童はすごい。その存在だけで、人に創作意欲を沸かせることができるのだから。
「河童にまつわる言葉もたくさんあるわ。たとえば『河童の川流れ』、『陸へ上がった河童』、『屁の河童』などよ」
そこに『河童の二度手間』を追加してほしい。私はそう思った。
「尻子玉とは人の肛門内にあるとされた架空の臓器で……」
「え、ええ? ちょ、ちょっとまって!」
私は驚いた。尻子玉が人間の肛門にある臓器? はぁ?
「何よ、黙って聞きなさいって言ったでしょ」
「尻子玉って、河童の物じゃないの? 人間の臓器なの?」
「そうよ、文献にはそう書いてある。まぁ、他の説もいくつかあるようだけど、これが一番有力な説だわ」
「た、例えば? 他にどんな説があるの?」
「そうね、他にあったのは、河童の妖力が込められている虹色の玉で、それを奪われると力を失うとか。あと河童には心臓が二つあって、その二つ目の心臓のことを尻子玉と言うとか」
「ほ、他に、他にはなかったの?」
私は尻子玉についての情報がとにかく欲しかった。
「あとは、うーん…………あ! そうそう思い出した。尻子玉とは丸い水晶で、それをのぞき込むと、過去の映像が見える、っていう話があったわ。確か、河童と友達になって、その河童から尻子玉を見せてもらったという少年の話が書いてある書物があったわ」
「へー、そうなんだ……」
私はいろんな尻子玉を想像した。水晶玉や虹色の玉だったらすごくキレイだろうから見てみたいし、人間から奪った臓器だったら気持ち悪くて見たくないし、ましてや河童の第二の心臓だったら……どうやって奪えと言うのだろうか? 私はできれば尻子玉が綺麗な玉であることを願った。エグイのは勘弁願いたい。これでも乙女なのよ。
「話を続けるわよ。河童は地方によっては“水神”として考えられていたの。水害と河童に関する文献も多く残っていて……」
その後もカナミの話は続いた。
気が付けば、空に夕日が浮かんでいた。
「…………というわけで、私が調べた河童に関する情報は以上。お終いよ」
「カナミ本当にアリガトウ。タイヘン勉強にナリマシタ」
大量の情報を一度に詰め込んだ頭がオーバーヒート。でも、本当に勉強になった。河童についていろいろと知ることができたし、もっともっと、河童について知りたいと思えた。
「じゃあ私は帰るわよ。さすがにしゃべりつかれたわ」
そう言うとカナミは帰ろうとした。
「尻子玉……手に入るといいわね」
「ちょっとカナミ待って!」
私は帰ろうとしたカナミを呼び止めた。
「何? お礼なら、尻子玉を手に入れてからでいいわよ」
「そうじゃないの。まだ調べて欲しいことがあるの」
「はぁ? あんた、この期に及んでまだ私をこき使う気? 前にも言ったわよね。私だって暇じゃないのよ。あんたと同じように、青春の真っただ中でほふく前進している最中なのよ。おわかり?」
「そんなこと言わずに! お・ね・が・い!」
「いやよ」
「お願い!」
「いや」
「お願いお願いお願いお願いお願いぃいい!」
「いやだってば」
こんな不毛なやり取りが十分以上続いた。まったく、僅かしかない貴重な青春の時間をこんなくだらないことに使うとは、私もカナミもまだまだだわ。でも、こんな無駄なやり取りこそ、青春にやるべきことなのかもしれない。
私はそんなふうに思った。
「はぁー……わかった。わかったわよ! 今度は何を調べてくればいいわけ?」
結局、根負けしたのはカナミだった。
「ありがとうカナミ。今度は魔女について調べて欲しいの。お願い」
「河童の次は魔女? あんた、どんだけファンタジー脳してんのよ。頭腐ってんじゃないの?」
「それは褒め言葉として受け取っておくから。とにかくお願いね」
「はいはい。わかりましたよ」
そう言うと、手をプラプラと振りながら、今度こそカナミは帰って行った。




