第一話
私の名前は『香坂マコ』。今年で十七歳の可憐で華奢な高校二年生。もちろん美人。そんな私は今、川の中にいる。厳密に言うと、川の中に住んでいる。非現実的なことだけれど、私は悪い魔女に魔法をかけられてしまい、川から出ることができなくなってしまったの。どう頑張っても、陸に上がれない。地面に手をついて這い上がろうとしても、まるで油まみれのラーメン屋の床みたいにツルツル滑って抜け出せない。
あぁ、私はなんて不幸な人間なのかしら? ほかの人よりも少しかわいくて、泳ぎが得意なこと以外はまったく普通の女子高生なのに。たまたま溺れていた少年を善意で助けただけなのに。なんでかわいくて善意に溢れたこの私が、魔女に悪い魔法をかけられなければいけないのよ。理不尽すぎるわ!
『お嬢ちゃん、あんたはもう、この川から出ることはできないよ』
私に魔法をかけた魔女の言葉が、脳裏から離れない。
「くそ、あのババァ、ムカつく!」
私は魔女の残像を消すために、川の中に潜った。川の中はひんやりしていて、とても気持ちがいい。下を見るとたくさんの魚が泳いでいて、まるで水族館みたい。上を見ると、川面で太陽の光が乱反射していて、キラキラと止めどなく輝いている。万華鏡みたい。
『それはおまけだよ』
魔女は「おまけ」と言っていたけれど、どうやら、川の中でも人間の私が快適に過ごせる魔法も一緒にかけてくれたらしい。ずっと川の中にいても寒くないし、皮膚がふやけることもない。
『魚と話せる魔法はないの?』
私は少しウキウキしながら興味本位で聞いたのだけれど、
『それは無理』
と、魔女はそっけない態度だった。
「あぁ、お魚さんと話ができたらなぁ」
私はそんな小言を呟きながら青空を見上げ、川の流れにただ身を任せた。心地よい清流に身を任せてプカプカ浮いていると、日常の嫌なことを全て忘れられる気がして、少しだけ心穏やかになれた。
「お嬢ちゃん、元気かい?」
突如、平穏な心に気味の悪い声が飛び込んできた。このムカツクしわがれ声は、魔女だ。
「このクソババァ! はやくこの川から出しなさいよ」
私は怒りに身を任せ、魔女に向けて怒鳴った。魔女はこのクソ暑い中、相変わらず黒いローブを着て、フードをかぶっている。
「元気そうでなによりだよ。ところでお嬢ちゃんは、この川から出たいのかい? さっきはすごく気持ちよさそうに泳いでいたし、この前は『魚と話がしたい』なんてガキみたいなことを言っていたから、てっきりこの川が気に入っていると思っていたのだけどね」
「うるせぇ、ババァ! はやく出せって言ってんだろ!」
「はいはい、最近の若い者は気が短くて嫌だね。いいだろう、お嬢ちゃんを川から出してやるよ」
「ほんと?」
「ただし、条件がある」
「条件?」
“条件”と聞いて、私はすごく嫌な予感がした。
「この卍川に住んでいる河童の尻子玉を奪ってきな。そしたら川から出してやるよ」
「か、河童? 河童って、あの河童? 緑色でヌメヌメしていて、頭に皿があって、背中に甲羅を背負っている、妖怪の?」
「そうだよ。他に河童がいるのかい?」
「で、でも、河童って空想上の生物じゃないの?」
「はぁー。あんたはバカだね。魔女がいるなら、河童がいても不思議じゃないだろう?」
「…………」
私は魔女の言葉に妙に納得してしまい、反論できなかった。
私は魔女に魔法をかけられて川から出られなくなった。信じられないけど、魔法が現実世界に実在すると考えなければ、この現状が説明付かない。
魔法が実在するならば、魔女もまた実在する。そして、魔女がいるならば河童がいても、おかしくないのかもしれない。
「そうだねぇ……今の時間帯なら、河童はおそらく“北卍”にいるはずだから、行ってみな。それじゃ、頼んだぞ」
魔女はそう言うと私に背を向け、歩き出した。
「あ、ちょ、ちょっと!」
私が魔女を呼び止めようとすると、魔女は顔だけで振り返り
「河童は、怖いよ。ヒヒヒィ」
と、気味の悪い声で笑い、そのまま消えてしまった。
「ちょ、ちょっとぉ……」
一人残された私は、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、心細くなった。