第十八話
『地引網作戦』は失敗に終わった。ケンタに命令してわざわざ網を用意してもらったのだけれど、アユが二匹かかっただけだった。その後も『太陽光作戦』とか『水鉄砲作戦』とか『念仏作戦』とか、思いつく限りの作戦を実行してみたけど、全て失敗に終わった。
「はぁー、次はどうしようかしらん?」
私の作戦案はついに枯渇した。私はどうしたらいいのかわからなくなり、困っていた。
「マコ、速水君から話を聞いて来たんだけど、ほんとうに川に住んでいるのね」
私が頭を抱えているところに、親友である『高野カナミ』がやって来た。カナミとは小学校からの付き合いで、学校でもよく一緒にいることが多い。
カナミは小柄で黒髪ロング。前髪はパッツンでメガネをかけている。目は切れ長で、少しキツイ印象がある。鼻筋もキレイに通っており、頬のラインも鋭い。胸はAカップ。大事なことなのでもう一度言っておく、胸はAカップ。ちなみに私はBカップ。カナミは私と違い、スポーツはからっきしだが、頭が良く、成績はいつも学年トップだ。
まとめると、顔の印象がキツく、頭がちょっといいことを鼻にかけているAカップの女――それがカナミだ。
これは悪口ではなく、ただ事実を言っているだけだから。カナミのことをバカにしているわけではないのであしからず。
「そうなのよ、嘘だと思うかもしれないけれど、本当に川から出られないのよ」
カナミに会うのは四日ぶりになる。わずか四日だけど、ものすごく久しぶりに会った気がして、私はなんだか嬉しくなった。
「ところで……その……速水君は川に来ていないの、その……」
いつもはハキハキとキツイ口調でしゃべるカナミだが、なぜか今日は歯切れが悪い。私が「どうしたのかな?」と思った時、天津橋の上から声が聞こえた。
「おーい、マコー! 俺に作戦があるんだ。名付けて『UFOキャッチャー作戦』。早速作戦開始するからこっちに来いよー。……あれ? 高野さん、来てくれたのー?」
「あ、え、う……速水君、き、奇遇だね。こんなところで会うなんて」
ん? んん? まさか、この反応は……。
私はよく「鈍感」と言われることの多い人間だけど、さすがにピンときた。ケンタが来たとたん、ものすごくそわそわしだしたし、歯切れも一層悪くなっている。これは、あれだ、カナミは恋の魔法にかかったんだな。
「カナミ、あんたいつからケンタのこと好きだったの?」
「え、ええ? な、何言ってんのよ、そ、そんなわけないじゃないのよ」
「いやいや、私たちの仲なんだから、隠さなくてもいいでしょ?」
「……はぁ、だからあんたは鈍感だって言われんのよ。まぁいいわ、そうね、私は速水君のことが好き。今日マコに会いに来たのも、速水君との仲を深めるための作戦よ。理論的に考えた結果、これが一番理にかなった方法だという結論に行きついたわけ」
吹っ切れたのか、カナミの歯切れがいつも通り良くなった。カナミは『理論』とか『結論』といった類の言葉をよく使う。カナミは理論的でないことや筋の通っていないことが嫌いなのだ。私が目標を達成するためにいつも最短距離の行動を取るように、カナミは思考の最短距離を行かないと気が済まない人間なんだ。
「高野さーん、良かったら手伝ってくれない?」
ケンタがバカみたいな大声でカナミを呼んだ。
「え、ええ? は、はい! 喜んでぇ」
板前のような口調で返事をすると、カナミはフラフラとした足取りで天津橋の方へと走って行った。
「おーい、マコもこっちに来いよー! 作戦実行するぞー」
「はいはい、今行きますよ」
私は大変めんどうくさかったが、渋々天津橋の下へと向かった。
「じゃあ、まずはこのロープを体に巻いて、それで、俺と高野さんで一緒にマコを引き上げるから。わかった?」
ケンタの説明はへたくそだったが、まぁ、なんとなく理解できた。要するに、川岸から川を脱出するのが無理なら、上空から脱出を試みてはどうかということだ。ケンタにしてはよく考えた作戦だ。褒めてやろう。
「え! これはもしかして、初めての共同作業!」
カナミは両手で口を押えて、驚いた表情をしていた。目はキラキラしていた。
「ん? 高野さん何か言った?」
「い、いいえ、別に、何も……」
カナミかわいそうに。ケンタは私に負けず劣らず鈍感だからね。この調子じゃ、カナミの思いに一生気付くことはないだろうよ。
「ほら、マコはやくロープ巻けよ。急げって」
「はいはいはい」
私は渋々体にロープを巻き付けた。
「よーし、引っ張るぞー」
ケンタの合図とともに二人は私の体に巻き付けられたロープを引っ張り始めた。しかし、なかなか私の体は川の水面を突破しない。
これは、あれよ、けして私の体が重いわけじゃないのよ。ほら、川の流れとかあるし、服だって水分を吸っていて重くなっているしね、あと表面張力とかもあるんでしょ? 科学は苦手だからよくわからないけど。だから、私の体重が重いわけじゃないのよ。原因はそこではないのよ。
「ダメね、このままじゃ上がらないわ。マコの重い体を引き上げるには、もう少し手助けが必要よ。そうね、マコの体重が五十キロの前半くらいだから……私の計算ではあと三人、いや四人必要だわ。速水君、誰か呼んで来てくれる?」
「おう、わかった。部活の連中呼んで来るからちょっと待ってて」
そう言うと、ケンタは走って行った。カナミの奴、さらっと私の体重を暴露しやがって、許せない。
「ふふふ、これで速水君に私の知的アピールができたわ」
カナミは不気味な顔で笑っていた。カナミは今、ケンタとの仲を縮めるための最短距離をひた走っているらしいが、私からしたらあまりにもまどろっこしい。
私だったら、すぐに「好きだ」と告白し、相手が嫌だと言えば、無理やりにでも押し倒す。それが、本当の最短距離の行動だと私は思うから。でも、カナミの理論的思考では、それは悪手らしい。
「カナミ―。そんなまどろっこしいことしてないでさぁ、さっさと告白しちゃえばー?」
「ば、ばかぁ! あんたもっと考えなさいよ! そんなことしたら、私ドキドキが爆発して死んじゃうでしょ? 死んじゃったら、速水君と付き合えないじゃない。そんなことも考えられないの? このバカ!」
「死ぬって……それはあまりにも極論でしょうが。告白して死ぬ人間なんかいないっての」
私からしたら、カナミは傷つくことから逃げているようにしか見えなかった。傷つくことから逃げるために、強引な理論を引っ張り出して、それを無理やり正当化しているように思えた。それがどんなに無理やりな理論から導き出されたものだとしても、理由さえあれば、人間は逃げることを正当化できてしてしまう。「これは正当な理由のもとに逃避しているのだ」と、心を納得させてしまえる。
えてして、そういう人間は、その手に勝利を掴むことはできないことを私は知っている。逃避を正当化して、最短距離の行動を取らない人間は、けして、望みを叶えることはできない。
私はそう思う。そう思って生きて来た。
「おーい、みんな連れて来たぞー」
数分後、ようやくケンタが陸上部の部員を六人連れて戻って来た。
「何これ? 何を引っ張り上げるの?」
部員の一人がケンタに質問しているのが聞こえた。
ケンタ、余計なことは言うな!
私は心の中で叫んだ。これ以上、他の人たちに奇異の目で見られるのはごめんだ。
「まあ、何だっていいじゃないか。とにかく、このロープを引っ張ってくれ、頼む」
「さぁ、うだうだ言ってないでみんな手伝って!」
カナミの一声で、屈強なスポーツマンたちは綱引きみたいに、私に括り付けられたロープを一斉に引っ張り始めた。
「よいしょ、よいしょ」
少しずつ、私の体が宙に浮きはじめる。
「よいしょ、よいしょ」
私の体はついに川から完全に離脱し、まるでUFOキャッチャーのように吊り上げられた。ズブブブという音と共に、大量の水が着衣から垂れ落ちる。右に左にねじれるロープ。私の体もそれに伴って右に左にクルクル回る。なんだか、脱水乾燥されている気分だわ。
「よし! いいぞ、もう少しだ」
私はついに、天津橋までたどり着いた。もしかしたら、このまますんなり川から脱出できるかもしれない。私は少しだけ、期待した。
「あれ? あれれれ? なんでだ?」
でも、その期待はすぐに崩れ去った。
「くそ、やっぱりだめなのか……」
私の体はツルツルと滑り、桟橋の上にのぼることはできなかった。魔女の魔法は存外強力で、上空にも死角はなかった。
「はーい、じゃあ戻しますので、みなさんゆっくりとロープを緩めてくださーい」
カナミの合図で、私は再びズルズルと川に向かって降ろされた。気のせいだろうか? 心なしかカナミは嬉しそうだった。
「速水君、落ち込まないで。他にも作戦があるはずよ。そうだ、もしよかったらなんだけど……このあと一緒にお茶でも飲みながら作戦会議しない?」
私は宙づりにされながら、カナミの黒い声を聞いた。そういうことか、この策士め! 私をダシに使いやがって、許さんぞ。
私はそんなことを思いながら、ズブズブと川の中に浸水した。
浸水する瞬間、なぜかとっても悲しい気持ちになった。
「俺たちはいったい、何を引っ張っていたんだ?」
陸上部員の一人が橋の上で何か呟いているのが聞こえたのだけれど、水の中にいたので、ハッキリと聞き取れなかった。