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第十五話

 河童に隙なし。

私は河童の周りをウロチョロして様子を伺ってみたが、河童の周辺には尻子玉らしき物はなかった。

怪しいのはあの背中に背負っている甲羅の中か? それともどこか別の場所に隠しているとか? まさか、「尻子玉」って言う名前だから、尻の穴の中……なんてことはないよね? さすがの河童でも、尻の穴の中に二十四時間尻子玉を入れっぱなしじゃいられないよね? 痔になっちゃうもんね? ねぇ、そうだよね?

 私は最悪、河童のケツに『浣腸攻撃』を仕掛けなければいけないのかと思うと、身震いせずにはいられなかった。ともかく、『浣腸攻撃』は最後の最後の最終手段にしよう。私はこれでも、うる若き乙女なの。河童のケツにカンチョウは、さすがに抵抗がある。

 私がそんなことを考えていると遠くの方から声が聞こえた。

「おーい! おねーちゃん!」

「あれ? 君は確か……」

 声の主は、私が助けた男の子だった。

この子が川で溺れていなければ、私は今頃川に閉じ込められていなかっただろうに。でもまぁ、小さい命の方が大切か。

 私はあの時、たとえ魔女によって川に閉じ込められることを知っていたとしても、すぐに川に飛び込んで少年を助けていたと思う。私も昔、久富重吾さんに溺れていたところを助けてもらったんだ。私は少年を助ける時、久富重吾さんと自分の姿を重ねていた。なんだか少しだけ、少年を助けることで、久富重吾さんに恩返しができるんじゃないか、そんなふうに思ったから。

「この前は助けてくれてありがとね」

 少年は天真爛漫な笑顔で、いとも簡単にお礼を言った。

 私も少年と同じように、命の恩人に笑顔でお礼を言いたかった。でも、言えなかった。それがどうしても心残りで、その願いを叶えるために、私は必死に水泳を頑張って来たんだ。私はオリンピックに出場して、久富重吾さんに会って、言うんだ、ありがとうを。

「もう北卍で遊んじゃだめよ。北卍は川の流れも速いし水深も深いから危険なのよ。わかった?」

「はい、もう遊びません。ごめんなさい」

 少年はシュンとした顔で謝った。私は少年のシュンとした顔にキュンとした。そう、母性本能をくすぐられたのだ。

かくして、私は少年に少しだけ――いぢわるをしたくなった。

「君、名前はなんて言うの?」

「小平ユウイチです!」

「こら! 簡単に自分の名前を人に教えてはいけません」

「ええ~、おねいちゃん、どうしてなの? どうして名前を教えちゃいけないの?」

「ふふん。それはね、悪い魔女に魔法をかけられてしまうからよ」

「キヒヒヒ、おねいちゃん知らないの? 魔法なんてこの世にないんだよ。あれは絵本の中にしかいないんだよ」

「ち、ち、ち。甘いなユウイチ君。君は柏餅みたいに甘すぎる。この世にはね、確かに魔法が存在するんだぞ。そうだ、今からおねいちゃんが瞬間移動の魔法を見せてしんぜよう! それじゃあ、目を瞑って十秒数えなさい、いいわね?」

「うん、わかった! いーち、にーい、さーん……」

ユウイチ君がしっかりと目を瞑ったのを見届けてから、私は川の中に潜った。そして、水の流れに沿って、川底を勢いよく泳いだ。私は華麗なドルフィンキックと巧みな体さばきにより、グングン川の中を進んだ。

 私はユウイチ君が十秒を数え終わるタイミングで水面に出ようと思っていた。「残り二秒くらいかな?」と思った瞬間、水中で河童とすれ違った。

「ゲポバボボォ!」

 私は非常に驚いた。まさかこの広い川の中で偶然にも河童とすれ違うなんて。不意打ちを食らった私は大いに水を飲み、咳き込んだ。

「あ! おねいちゃんそこにいたの? すごい! ほんとに瞬間移動しちゃった!」

 私の姿を見つけたユウイチ君が遠くから走り寄って来た。私は想像以上に長い距離を移動していたらしい。ユウイチ君はたった十秒でこんなにも遠くに移動した私を見て、本当に瞬間移動の魔法を使ったんだと思ったらしく、大変興奮しているようだった。

「ゲボパカペポォ!」

「わああああああー! 河童だぁ!」

 私の隣に突如として現れ、ゲホゲホ咳き込んでいる河童を見たユウイチ君は、先ほど以上に大興奮した。

「ゲホォゲホォ」

 水中で私とすれ違ったことは、河童にとっても大変な不意打ちだったらしい。河童のくせに水を大量に飲み込み、大いに咳き込んでいた。河童は大変苦しそうで、私は心の中で「ざまーみろ」と思った。

「おい人間、びっくりさせるんじゃねぇ。水を飲んでしまったじゃないかゲホ」

「びっくりしたのは私の方だっつうの」

 私は河童が睨んできたので、メンチを切り、睨み返してやった。

「河童だ、河童だぁ! おねいちゃん、河童と知り合いなの?」

 河童を見つめるユウイチ君の瞳は、少年のようにキラキラしていた。まぁ、実際に少年なのだけれど。

「う、うん。まぁ、ね」

「……もしかして、怖い河童なの? それともやさしい?」

 ユウイチ君は目をキラキラさせながらも、少し怯えている様子だった。

無理もない。河童は妖怪なのだ。よくよく考えてみたら、私だって恐怖を感じていても不思議ではないはずだ。これはもしもの話だけれど、河童が悪い妖怪だったら、出会ったその場で殺されていたかもしれない。その可能性は十分にあった。

 でも、私は河童に対して恐怖を感じてはいなかった。河童に会う前に魔女に会っていたことで『ファンタジー免疫』が付いていたというのもあるし、づかちょん先輩との勝負のドサクサに紛れていたというのもある。それに、河童と出会った時は寝起きで頭がボーっとしている瞬間だった、というもの一つの要因だと思う。

ただ、それ以上に、私が河童に対して恐怖を感じなかった一番の理由は、河童の“人柄”だと思う。なんていうか、うまく説明できないけど、初めて会った時に「この河童は悪い奴ではなさそうだ」と、直感的に思ったの。

口から出る言葉こそ粗暴で威圧的だったけれど(顔も蹴られたし)、その横暴な言動とは裏腹に、瞳はやさしい印象だった。それに、イケメンだった。私の統計上、イケメンに悪い奴はいない。というか、たとえ性格が悪くても、顔が良ければ全てチャラになる、私の場合。

面食いのどこが悪いの? カッコイイ方が良いに決まっているじゃない。

私はいつもそう思っていた。

「おい坊主、名前はなんていうんだ?」

 突如、河童がユウイチ君に訊ねた。

「ユウイ……えっとね、うんとね」

 ユウイチ君は自分の名前を途中まで言ったところで急に口ごもった。先ほど私に「簡単に名前を教えてはいけません」と言われたのを気にしているみたい。 

言いたいけど言えない。そんな気持ちを抱えたままゴニョゴニョしているユウイチ君はとてもかわいらしく、私は大いに母性本能をくすぐられた。

「ユウイチ君、偉いぞ! 簡単に自分の名前を教えちゃだめだからね」

「そうか、おまえはユウイチという名前なのか」

 はっ! し、しまったー! この策士め。私をハメやがったな!

 私は自分のウッカリを河童のせいにしてやろうと思い、不必要に河童を睨んだ。

「カパパ、おまえに魔法をかけてやろう」

「何言ってんの? あんた、ユウイチ君に何かしたら絶対に許さないわよ!」

 え、や、やばい――私のせいでユウイチ君に危害を加えられてしまう!

河童は良い奴だと誤解し、完全に油断していた。私は事の重大さに気付き、急いで河童の暴挙を止めようとした。

「マコ、河童の川流れ」

 河童がポツリとつぶやくと、突如、川の流れが急になった。

「え? ええ!」

 私は急激な川の変化に対応できずに、下流へと流されてしまった。

これはもしかして、河童の魔法なの? 私は大変困惑した。

「ひぃい!」

 陸の上、ユウイチ君は怯えてうずくまってしまった。

「ユウイチ君、逃げて! 今すぐ立ち上がって逃げるのよ!」

私は上流に向かって必死に泳ぎながら叫んだ。しかし、ユウイチ君は一向に動こうとしない。ブルブル震えている。

「ほれ」

 河童は川岸に上がり、うずくまっているユウイチ君の上から甲羅を被せた。体の小さなユウイチ君は河童の甲羅の中にスッポリ入り、隠れてしまった。

「カパパパ、ユウイチ、屁の河童」

 カパパパと高笑いする河童。許せない。ユウイチ君に危害を加えるなんて。絶対にぶん殴ってやる。

私は怒涛のスイムで北卍を駆け上がった。

「河童! 今すぐユウイチ君から離れなさい!」

 ようやく河童がいるところまで戻って来られた。でも、私は川岸に上がれない。もどかしい。くやしい。叫ぶことしかできないなんて……。

「おお、もう戻って来たのか。おまえ、人間にしてはなかなか速いな」

 河童は悠然としていた。こっちは怒りで腸が煮えくり返りそうだというのに。ムカツクムカツクムカツク!

「さてと、そろそろいいかな」

 そう言うと、まるで高級レストランのウエイトレスがクロッシュを持ち上げるような優雅な動作で、河童は甲羅を持ち上げた。

「ユウイチ君……」

 私はユウイチ君の姿を見て絶望した。ユウイチ君の頭には、お皿があった。肌の色は薄緑色に変色していて、手には水かきが見て取れた――そう、ユウイチ君は、小さい河童になってしまったのだ。

「ほれ、ユウイチ、泳ぐぞ。ついて来い」

「う、うん」

 ユウイチ君は困惑しながらも、河童が差し出した手を掴み、一緒に川の中へと入った。

「あんた、絶対に許さない!」

 私はすぐに河童に殴り掛かった。しかし、簡単に避けられた。

「安心しろ、この魔法は十五分しか続かないから。さぁ、ユウイチ。思いっきり泳いで来い」

 そう言うと、河童はスイスイと泳ぎだした。

「ちょ、待ちなさいよ! どういうこと? ユウイチ君はちゃんともとに戻るんでしょうね? ウソじゃないのね? ちょっと!」

 私は河童を追いかけながら叫んだが、相変わらず河童の泳ぎは速い。どんどん距離を空けられてしまう。くそ、悔しいけど、追いつけない。

「え? なに?」

 私が河童との距離にもどかしさを感じていると、突如、黒い影が私を追い越した。

「すごい! スイスイ泳げるよ!」

 私を追い越したのは――河童になってしまったユウイチ君だった。

 ユウイチ君は、まるで表面張力を使って水たまりの上を優雅に滑るアメンボのように、スイスイと川面を滑っている。その姿は優雅であり、その表情は喜びに満ち溢れていた。

 そんなユウイチ君の表情を見ていると、なんだか気持ちが落ち着いた。まぁ、ユウイチ君があんなに楽しそうなら、それでいいか。そんなふうに思えた。どうやら私にもママと同じ楽観主義者の血が流れているらしい。まったく、不名誉な遺伝子だこと。

「おねいちゃんも一緒に泳いで遊ぼ!」

 ユウイチ小河童は満開の笑顔で手を振っている。私はその手の動きにつられるように、夏の北卍を右に左にジグザグ泳いだ。

 久しぶりに、私は心の底から楽しんだ。

 いつぶりだろうか? 泳ぐことをこんなに楽しく感じたのは。いつからか、泳ぐことは目標を達成するためだけに行う鍛錬になっていた。そこに達成感はあっても、楽しさはなかった――。

無邪気に泳ぐユウイチ君の姿を見ていると、泳ぐことが楽しくて楽しくてしょうがなかったあの頃を思い出した。テレビゲームよりも友達とのショッピングよりも、私は泳ぐことが好きだった。

“ユウイチ君、ありがとね。泳ぐことの楽しさを思い出させてくれて”

 私はそんなことを考えながら、ユウイチ君と思いっ切り川で遊んだ。


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