メッセニアの農村風景
今までの地中海の色鮮やかな景色が一変して岩と枯れ草でできた風景に変わったような衝撃を受けた。
スパルタの地カラマタの港は現代の常識とはまったく懸け離れた常識のまかり通る土地であった。
この地ではスパルタンこそ至上であって、他の価値観はまったく存在しない。
慈悲や富も反乱の要素になりかねないため排除すべきものなのだ。
かろうじて武力はある程度の敬意を持たれるようだが、それにしても秩序を維持するための阻害要因になればたちまち無価値になるだろう。
ボク達を見張る港の衛兵の目線がそれを雄弁に語っていた。
今我々の安全を保障しているのは、ボクの持ったアポロン神殿の旗とボクの神官としての保証が取れていない宣言だけなのである。
逆に言えば我々の命の危険というのも、その程度の些事に過ぎないという彼らの判断の現われなのだろうが……
「このままではいつ不意打ちで攻撃を受けるかわからない。ボレマルクに会ってデルフォイの神殿として護衛を借り出そう」
「賛成です、殿。複数兵が相手だと殿の安全を確保できません」
サンチョがかなり余裕の無い表情でボクの提案に賛成した。
「メッセナに向かう途中は、私がアポロン神への賛歌を歌いながら進みましょう。スパルタでも音楽は軍隊行動に必要な要素として例外的に敬意を払われていたはずです。いきなり襲ってくる可能性はだいぶ減ると思います。」
ピュロスは道中の安全策を提示してきた。
これでコリーダにアポロン神殿の旗を持たせれば最低限の安全は確保できるだろう。
「じゃあ暗くなる前にメッセナに行きたい。すぐに出発するぞ」
ボク達は逃げるようにカラマタを後にした。
カラマタの門を抜けるとあたりは一気に畑になった。
港町特有の商店とか宿場なんてものは存在しない。
いきなり農地であり、集落が点在しているようである。
その集落も50人未満の集落が点在しているようだ。
大きな村というものは見えない。
冬小麦の植え付けの季節なので畑に出ている人もいるのだが、なんと言うか疎らである。
人口密度はきわめて低いようだ。
畑の中のメッセナに向かう道は舗装さえされてないが馬車4台分くらいの広さでしっかりと突き固められていた。
雑草一つ無い道を歩いていると、時折子供達が道の手入れで雑草を抜いている場面にぶつかる。5・6歳から10歳位までだろうか?これが彼らの仕事なのだろう。
畑に響くピュロスの歌声に惹かれて近づいてきて、ボクを見ると逃げさるということを繰り返していた。
これはスパルタンへの恐怖は生半可なものではないようだ。
あたりの畑に植えられているのは小麦だけで、野菜や香草は集落付近の小さな範囲で栽培されているようだ。
カラマタからメッセナまでは4km程、ゆっくり歩いても1時間でつく距離だ。
あたりに畑しかないせいでカラマタから出た瞬間にはメッシナの城壁が見えていた。
メッシナそのものはごく一般的なポリスの大きさであり、幅20mほどの河の向こうに東西1km南北も同じ程度の大きさである。推定人口だと1万人というところか?
コリーダが歩きながら僕のキトンを引っ張った。
「ご主人様、あれを」
彼女が指差したのは畑を耕す農夫である。
「農夫? 何かあるのか?」
「逆です。 無いんです。」
彼女の指差す農夫の鋤や鍬には金属がついておらず木のままだった。
おまけに畑の隅には平たい黒曜石が積み重ねられている、まさか石斧だろうか?
石器時代の農業のようだ……武器になりそうなものは徹底的に取り上げているのだろう。
「こんな状態ではライオンや狼が襲ってきたらひとたまりもありませんね。」
そうだ、この時代、ヨーロッパライオンや狼も絶滅していない。
武器なしで生き抜くのは難しい時代だ。
「アーシア様 不思議です。普通このような場合は集落がまとまり大きくなることで、野生動物を避けるのですが?」
なんとなく理由はわかってきているが……いやな予感する認めたくはない。
「殿、前方の集落から煙です。」
さっそくいやな予感が当たった気がする。
「いくぞ、続け!」
ボク達は焼け焦げた臭いの漂う晩秋の風の中、煙を上げる集落に向かって走り始めた。