カラマタ港
ケンクレアイ港からペロポネソス半島沿いに南下してスパルタの外港的存在のカラマタに向かう。
船に乗っていて思うことだが、この時代の船乗りは絶対に陸が見えないほど沖に出ることは無い。
沖に出ることを異常なまでに怖がっている。
もし陸が見えなくなって、空が曇れば、それこそ船が真っ直ぐに進んでいるか、どっちに向かっているかの判別が不可能になる。
毎日、陸で宿泊が前提なので積み込んでいる食料や水も最低限になる。
陸が見えなければ大河が作り出す沖への海流も予想できなくて、知らぬ間に外洋に押し出される可能性も高い。 そうなれば餓死するだけである。
それゆえにイアソンのアルゴノートたちの黄金羊の毛皮を求めた船旅は大冒険として人々の間で人気の歌になったのである。
長く船乗りを続ける秘訣は、冒険を避け、異常な事態には果断な決断を取れることというのを船旅の間に教えられた。
この時代の船乗りは軍船の軍人と同義語のため、商売よりも船の安全が圧倒的に重視されている。そしてそれは正しいと判断せざるを得ない。方位磁針が3大発明の一つといわれるも納得できた。
でもボクの知識なら電気を通せば鉄も磁化できるはずだ。そのうちに方位磁針を作ってみよう。
カラマタはスパルタがメッセニアを滅ぼし奴隷に突き落とした結果、得られた巨大な農業生産地の軍事拠点となる港町である。
アテナイだと市民は2万人、(家族を含め5万人程度)奴隷がほぼ同数の5万人をから構成されるに対し、カラマタは500人のスパルタン処刑部隊で隣接するメッセナ・ポリスの10万人の奴隷を押さえつけている。
その支配は恐怖で押さえつけるしかない。本国にいる兵士全て合わせても1万程度のスパルタは少数精鋭を極めるた武力でしか押さえつけることができなかったとされる。
それを示すようにメッセニア監督官には年初に重要な儀式がある。
それはメッセニアに対する宣戦布告である。
この宣戦布告によりヘイロイタイはメッセナの兵士と同一視され不意に殺されても戦死ということで犯罪扱いにはならない。
もちろん実際にはヘイロイタイからはありとあらゆる武器を禁じているため、反撃もできない、狙われれば虐殺されるしかない、という状態にあるのだが
しかし皮肉なようだがスパルタの武力重視は、贅沢を嫌うことになり、メッセニアから持ち出される物資は2万人分の食料ぐらいなもので、収奪により村が滅ぼされるということは無かった。
ただしメッセニアの村は毎年最低一つは軍事目的で攻撃され離散する。
その恐怖が、ヘイロイタイに諦念と従順をもたらすとスパルタは信じており、現にそれでうまく運営されている。
ダンテが神曲の地獄の門で「この門をくぐる者一切の希望を捨てよ」といったように希望が無いと人間は反抗すらできなくなるようだ。
そしてそのことがヘイロイタイが自由を求めていなかったということには繋がらない。
その証拠に他国から援助という名の希望が示されるとたちまちメッセニア情勢は不穏になる。
そうならないようスパルタが援助をした国ごと不満分子を殺し続けたのが現状である。
それを実感させられたのがボク等のカラマタに入港だった。
カラマタに入港して港に戸板が渡されたとき、一番最初に降りたのはコリーダだった。
コリーダは常に安全確認のため最初に降りるのが船旅での癖になっていた。
彼女が港に降り立つないなや、恐ろしい速度の刺突が襲ってきた。
彼女は一言も発していないし、周辺を確認するため見渡しただけだ。
それにもかかわらずいきなり剣を構えて突進してきた兵士がいたのだ。
彼女はそれをギリギリでかわす。警戒していたにも関わらず余裕がまったく見られない。
襲ってきた兵士は2撃3撃と攻撃を繰り出している。
彼女は丸腰のため避けるしかできない。
海面に影がはしりサンチョが船を飛び降りると剣で相手の剣を弾いた。
わずかに両者の間が離れる。
その隙にボクはあわててアポロンの旗を振りながら戸板を駆け下りる。
「デルフォイのアポロン神殿の名の下、我を中心に1スタディオンを聖域と認める。双方流血を禁ずる!剣を収めよ!」
古代ギリシアの特有の風習を思い出し、高らかに宣言する。
襲い掛かってきた戦士は、その宣言を聞くと何事も無かったように剣を収めると見張りに戻っていった。
侘びの一言も無ければ、止められて悔しがる風も無い。
無言のまま通常の生活に戻っていったのだ……正直かなり不気味である。
「コリーダ、気をつけてボクの傍から離れるな。」
「わかりました。恐ろしいまでの使い手です。」
コリーダの顔は若干青ざめていた。
「ピュロスも同じだ。絶対にボクから離れるな。」
戸板を降りてきたピュロスも無言のまま首を縦に振った。
「そこの兵士、何ゆえ神殿に属する彼女らに切りかかった。」
ボクはさっき切りかかってきた兵士に詰め寄ると詰問した。
何しろ彼女らが何ゆえ攻撃されたのかすらわからない。
このままではおちおち外を旅することすらできない。
「・・・・・・港、奴隷が見ていた。潰す気になった。」
軍事拠点をスパイしたので罰したということだろうか?
「潰す気になった奴隷は潰していい。」
違う、単純に殺す気になったから殺していいと判断したということだ。
「彼女は私の私有奴隷だ。傷つけることは断る。」
「私有?スパルタの地に私有はない。みな国のもの、奴隷なら殺していい。」
おいおい、マジでやばくないか、この兵士。
おまけに、他の兵士は一切口を訊いてない。
「一番偉いのは誰だ?」
「ボレマルクのアルセニオス」
「彼はどこだ?」
「メッセナ」
そういうと面倒だという風に北西を指差し、手をひらひらと振った。
あっち行けという感じである。
ドーリア人の無口とは聞いていたが、こういうときはものすごく不便である。
結局、彼女らの身の安全を確保するのは警戒して、ボクが調停しないといけないようだ。
感じとしてはさっきのスパルタンは一兵士に過ぎないようだ。
36人で縦隊、2縦隊でペンタコスト(72人)、2ペンタコストで1ロコス(144人)
4ロコスで1師団(512人)この師団を指揮するのが軍司令官でスパルタの常備兵力は6師団だ。つまり兵員としては3000人程度である。
スパルタの場合、常時兵士として徴用されるのが3000人なだけで、あと残り全ての国民が兵士を目指して特訓しているといっていい。
よって戦争となるとすぐに全国民の徴用が可能になる。
普段でも一流アスリート10000人から選ばれた500人がここの兵士なのである。
その中の指揮官になると、どれだけの錬度か想像もつかない。
「しかし、スパルタに向かうだけでも無茶苦茶困難そうだな。」
何しろ不意打ちありの敵地を単独で進むようなものである。
サンチョの判断は一兵士ならあしらえるが複数では困難、指揮官とはやってみないとわからないとの判断である。
困った、まずメッセナに向かうか、直接スパルタに向かうか、その点から考えなくてはならなくなった。