旅立ちの手紙
マリアから情報を受け取るとピュロスが引っ張るようにしてボクを部屋から連れ出した。
「とりあえず怪我のお手入れを、痕が残ってはいけません。」
たかだか肘をすりむいたぐらいで大げさなとは思うのだが、彼女があまりに真剣なので頷かざるを得なかった。
「急いでアポロン神殿へあそこならアスクレピオス神殿もあるはずです。」
アスクレピオスはアポロンの息子で医学の神でもある。
死者すら蘇られせた所為で、ゼウスに殺され、死後に神になっている。
当然ながら、この時代、神殿は教育機関をかねている。
アスクレピオスやアポロンは医学の神であるので医者や薬草学に通じたものが神官にいることも多い。(アテナイのみは神官もくじ引きなので例外である。)
とはいえ、昇ってきた道を擦り傷程度で戻るのも億劫である。
「でも手当てはもういいんじゃなかな?」
「いいえいけません!アポロンの巫女がアフロディテの神域で怪我をしたと知ったら、この街の住民がどれだけ不安に陥るか。」
強い口調でピュロスが主張する。
とりあえずということでキトンの縫い目の一部を解いて右腕に掛かるように調整すると、ローマの長衣に似た形で右肘は隠された。
その格好のまま神聖娼婦のひしめく山頂から、交易でにぎわう山の麓にUターンである。
歩きながらピュロスが説明を加えてくる。
アポロンはその神罰で街を滅ぼすのが普通なほど苛烈な神であり、対してアフロディテにとってもコリントの神殿は最も重要な神殿、どのような反撃に出るか予想もつかないということで、最悪ポリス間の戦争になる可能性もあるそうだ。
大げさなとも思ったが、ボクの一言でスパルタがペルシア戦争に巻き込まれたことことを思うと大げさでもないのかもしれない。
そう考えればマリア神官の平謝りも理解できるか……
帰りは下りのせいもあり到着までの時間は短かった。
体感で1時間位というところだろうか。
アポロン神殿につくとサンチョが手配して擦り傷用の薬を作ってくれた。
塗薬で固めに練ってあり、火で炙って塗ることで布を使わなくても良いタイプだ。
サンチョは中華での戦場で応急手当を学んでおり、外傷だけなら神官に負けないだけの腕を有しているそうだ。
おかげで一気に傷が目立たなくなった。
そこまで終わって漸く本題に入れるようになった。
「ピュロス、メモを持ってきてくれ。確認したいことがある」
「はい、ここに」
彼女と聞いた主要ポリスの噂の中に聞き逃せないものが含まれていたので確認だ。
「ペルシア戦争についてスパルタ双王家の意見が分かれているという噂だが?」
「噂で流れている程度のようですが、この時点で事態はかなり深刻と思われます。」
「?」
「スパルタとはほとんど商人の行き来がありません。加えてドーリア人の無口といわれるように、かの地では無駄話を忌み嫌う風習があります。その中ですら噂とはいえ出てきた情報となるとかなり目立つ形でスパルタ内部で変化が起こっていたのではないかと思われます。」
「一触即発ということかな?」
「現地で確認する必要がありますね。だれか派遣しますか?」
デルフォイの神殿では多くの商人が店を出している。
このため交易がてらに情報を探りに出てもらうことは普通に行われているようだった。
「いや、今回は王家が絡んでいる。王家に縁のある人間が行ったほうがいいだろう。」
「というとアーシア様自ら行く気ですか?」
「幸いここはコリントスだ。スパルタの港町カラマタへ寄港する船もあるだろう」
カラマタを目的地にしなくてもオリンポスを目的地にするなら、途中でほぼ間違いなく主要な港には寄港するのが沿岸航海の常識である。
「そういうことで、コリントスのアポロン神官を通じて、カラマタ経由の船に乗船させてもらえるように依頼してしてくれ。スパルタに向かう。」
「それですとデルフォイにも連絡を入れたほうが良いかと思います。次の情報交換まで2ヶ月ですので戻ってこられない可能性があります。」
ピュロスの提案のデルフォイへの連絡は簡単だ。
デルフォイに向かう船に手紙を預ければいい。
コリーダとサンチョに連絡に走ってもらうと、ピュロスと一緒にアレティア巫女長への手紙を纏め始める。
商店から羊皮紙を買い求めると、連絡事項を箇条書きした手紙を認める。
念のため、マリア宛にも同じ内容の手紙を書くとアフロディテ神殿に届けてもらうことにした。
それにしてもスパルタ王家に意見対立ありか?
来年、エウリュポン王家のデマラトスが祭りの最中に逐電するはずだが、それと関係があるんだろうな。
意見対立の原因がわかれば、逐電もなくなるのだろうか?
とりあえずスパルタに行って、現地の状況を確認してからになるが……
あ、もしかしてスリーハンドレットで有名なアギス家のレオニダス王が、まだ王子でいるのか。
それは会って見たいかも。