渦潮
「殿、山の上をご覧ください。」
サンチョが後ろから声をかけてきた。
指さす方を見ると山の稜線沿いに壁ができている。
要所要所には監視塔もたっているなど完全に城壁の作りだ。
なんと戦うつもりなんだろう?
その光景を見た後、神殿を見ると新たなことに気付いた。
川というか水堀が神殿を取り囲んでいる。
わかりやすく直線でなく蛇行しながらぐるりと取り囲んでいるので気づきにくかったが、いったん気づくと水堀にしか見えない。
入り口の正門の左が流れ出しで時計回りにグルっと流れて正門のすぐ右側から山の稜線に向かって流れ出している。
神殿に向けて用水路も走っているが見間違えようはない。
この神殿は城として作られている。
アフロディテ神殿が城になっているというのは不思議なのだが、とりあえず後で聞けばいいかと自分を納得させて、当面の脅威に備えることにした。
当面の脅威は前方の神殿からあげられている黄色い歓声というか、客を見つけた狩人の雄叫びというか、つまりはなんだ、娼婦の客引きである。
アフロディテ神殿の神聖娼婦は名目上プロではない。期間限定の神殿への奉仕である。
ここで客を取って銀貨をもらい、その銀貨を神殿に奉納すれば奉仕期間が終わる。
つまりは神聖娼婦は客を選ぶのである。
もちろん誰でもよく、さっさと奉仕を終えるのが目的の娼婦もいるが、そういう人物は、すぐにいなくなるため、大抵の娼婦は客を見る目が肥えている。
楽しい話をしてくれるとか、美形とか、筋骨たくましいとか、そのまま嫁に迎えてくれそうな人物には非常に高い倍率がつくことになる。
もちろん神聖娼婦に交じってプロの娼婦もいるのだが、彼女らは彼女らで富裕そうな人間はすぐに見分ける。
まずいことにボクらの集団は、美形、筋肉達磨、で二人の美女を従えた身なりの良い金持ちに見えるわけだ。古代ギリシアでは同性恋愛が忌避でない以上、彼女らも当然標的に数えられる。
外見だけでは3人とも奴隷には見えないだろうから……超優良物件が集団のお出ましである。
前方から聞こえてくる嬌声が物理的な重さを伴ってくるように感じる。
たちまち踵を返して帰りたくなったが、マリア神官の名前を出せば何とかなるかと腹をくくり前に進んだ。
吉原には羅生門河岸という通りがあって、その由来はつかんだ腕を離さないところからついたらしいが、この場合はどういえばいいのだろうか?
鳴門の渦潮のようにボクらを中心に人が群れて動いているという状態である。
3人は自分奴隷だと宣言することで標的から外れかかったようだが……完全には外れてないのである。客ではなく恋愛相手として認識する輩がまとわりついていた。
ボクに焦点が移った分とんでもないことになっていた。
護身術にたけた3人も神殿内で流血を忌むヘレネスの慣習が邪魔になり、ボクをガードしきれない。
ボクが声を張り上げマリア神官の客だと叫んでも、マリアに行く前に自分によっていけと追及は一層の鋭さを増すだけ。
瞬く間に身に着けたキトンは引っ張られてビリビリに破れ、全裸にされるありさまであった。
全裸になったボクにさらに数えきれない手が伸びてくる。
一生のトラウマで女性恐怖症になりそうな風景の中、救いの手が伸びてきた。
それは新たな客が現われたことを告げる声であり、その新たな客は船乗りの集団らしいことである。
おそらくボクらの乗ってきた船の船乗りだろうが、船荷を売り終わって向かってきたのであろう。
一人の上客よりたくさんの上客ということで捕まりかかった腕が一斉にそちらに向いた。
その隙間をついて、走り抜け、おそらく主神殿だと思われる神殿にやっとの思いで辿りつけた。
神殿に辿り着いたときには荒い息で息も絶え絶え、服は一片のこらず剥ぎ取られ、体のあちこちが引っ搔かれて、ミミズばれを起こしていたせいで汗が沁みて全身が痛い。
護衛の3人もキトンはビリビリに裂け短冊を身に着けているような状態になっていた。
「一番乗りというのがまずかったようだな。」
「さすがに聖域で流血騒ぎは起こせませんし、無事辿り着けて幸運だったとしか。」
ボクのぼやきにピュロスが返答を返す。
「とりあえずキトンを調達しよう。」
ボクはそうまわりに告げると、神殿の内部に向かって歩み始めた。
意外だが、そこはデルフォイの神殿のように静かで重々しい空気の中、差し込む日差しが美しい静寂を演出していた。
薄暗い神殿の奥にはアフロディテの巨像が鎮座しており、その前にだれかが祈りをささげているのが見えた。
とりあえずその人影に話かけることにして、ボクは近づいていった。