ペルシアと中華とジーザスと
暗がりの中をリカヴィトスの丘を後ろに北西に向かって歩いていた。
一緒にいるのはヘラクレイトスさんのみである。
緩やかな斜面のなか荷馬車がすれ違える程度には広い道が続いている。
松明などは使わなかった。
月が満月と半月のちょうど中間ぐらいの大きさの月が夜道を照らしている。
ヘラクレイトスさん曰く、これだけ月が明るいなら灯りがないほうが道が見やすいということだ。
確かに道の両側の草むら?は暗くなって、道は白く浮き出ていた。
ヘラクレイトスさんの足取りはしっかりとして、カツカツと愛用の杖をつきながら進んでいく。
ボクもその後を杖を片手にトボトボついていく。
それにしてもどこに行くのだろう?
宴が終わる間際、ラーメンの試供が終わったのでサンチョがやってきた。
「ラーメンは大好評でした。あとフォークとスプーンは欲しいという方が多かったのですが、殿の意向をうかがってからと言ってあります。」
「わかった。フォークとスプーンは欲しがる人にはあげてくれ。それでどのトッピングが人気高かった?」
「狼肉と小エビでした。狼肉については別途売ってほしいとの相談がありました。」
「狼肉の在庫はどうだっけ・・・・」
そんな打ち合わせをしているとヘラクレイトスさんがやってきた。
「おう、アーシア迎えにきたぜ。」
「ヘラクレイトスさん?」
「相談したいことがある。ついて来い。」
予想はしていたが唐突である。
「あの、どこへ行くんでしょうか?」
それを聞くと、顔をしかめながら小声で
(人のいないところに決まってるだろうが、オメェの頭は大理石か。)
「んじゃ、こっち来い。嬢ちゃん達とラーメン職人はついてくるなよ。」
「「え?」」
「はい」
ラーメン職人はそのまま頷き、嬢ちゃん達は驚いた様子を見せた。
俺もヘラクレイトスさんに賛同する。
「ヘラクレイトスさんの言う通りに昨日の家で待っていてくれ。」
「しかしアタシは護衛です。夜道を行かれるのに・・・」
「大丈夫。ヘラクレイトスさんがいるから。」
ついて来ようとするコリーダを押しとどめ無理に帰らせた。
「これもってついてこい。アーシア」
渡されたのは2m近い樫の棒である。
「道は平気だがそれ以外はそいつで必ずつついてから進めよ。」
「落とし穴でもあるんですか?」
「・・・お前すげえ、いい感してんなぁ・・・」
「・・・マジですか。」
「マジだ。」
冗談のつもりが本当にあるらしい。
考えてみれば猟師と野生動物のいる世界だ。ないほうがおかしいかもしれない。
そんなこんなで館をあとにして丘の北側をトボトボあるく。
月明りで照らされる景色は、南面とはうって変わって人家がほとんどない。
人がいない地域に向かっているのは分かる。
ただヘラクレイトスさんの行動を見ると、星を見たり、山を見たり・・・どうもどこかに行く宛てがあるみたいに見える。
10分も歩くと前方に丘が見えてきた。
頭の中でアテナイの地図が広がる。
(あれはストレフィの丘だな)
もっともストレフィの丘は20世紀命名なので今はなんて呼ばれているかは知らない。
「あのオウラの丘が目標だ。」
ヘラクレイトスさんが指さす。
「あそこなら万が一にも人が居ることはない。」
「なにかあるんですか?」
「いや何もねぇ。せいぜい石灰岩と鍾乳洞が一杯ある程度だ。」
「鍾乳洞・・・誰か住んでませんか?」
「いや、それはぜったいねぇ。行けばわかる。」
そのあと耳をそば立てると
「狼は昨日退治したから、たぶん平気だと思うが一応音に気を付けてくれ。」
と続けられ、二人とも無言で丘を目指した。
そのうちに妙なことに気付いた。
他でもない「この道」である。
何もない丘に向かって一直線に二車線道路が向かってるって変じゃないか?
・・・本当に何もないんだよね・・・
その疑問は丘の麓に着いたときに吹き飛ばされた。
「!!!ヘラクレイトスさん!!!」
「我慢しろ。すぐ慣れる。」
ものすごい爆臭である。
アテナイの街中で漂って臭いを1万倍に濃縮したみたいな爆臭があたりに満ちている。
「ここが毎日、汚水桶を捨てにくる場所なんだ。」
ああ、法律で城壁から2km以上と決めたやつか・・・こことは・・・確かに人いないと思うけど。
「鍾乳洞に突っ込むから中に動物はいない。」
・・・なるほどぅ・・うううう・・・くせー
「だいたい回収が終わって捨てに来るのが午前十時くらいだ。それまで人は近寄らねぇ。」
うぇーー、たしかにわかりました。
「丘のてっぺんまで行けばマシになる。急ぐぞ。」
そこから後は口を開くのが嫌で無口になっていた。
下手に口を開くと空気に味がしそうな気がする。
しかし臭いは丘の中腹を超えると急速に薄まってきた。
頂上に着くころにはもはや気にならない程度に薄まっていた。
「臭いは重い。下に向かって流れていく。」
「よし、それじゃ始めるぞ。」
頂上にはなぜか石のベンチがあり、そこに二人座って話し始めた。
「これから話すことは絶対にヘレネスに話さないでくれ。」
密談にしては大掛かりだが内緒の話があるようだ。
「ペルシアとの戦争だが回避する方法はないのか?」
「それはボクにはわかりません。わかるのは戦争をした後の話ですから。」
その言葉にヘラクレイトスさんは顔をしかめ悩んでいるようだった。
「その戦争のあとペルシアはどうなるか知っているか?」
「ペルシアはヘレネスとの戦争のあと160年ほどでマケドニア王により滅ぼされますが、その間ずっとヘレネスに干渉して共倒れを狙った工作をやめませんでした。」
「つまり最後まで敵対しっぱなしということか・・・」
「それは仕方ないかと思いますが?」
「何とか共存の道はないのかい?」
「ボクが知ってる範囲ではありませんね。」
「何かないのか?」
「父のダレイオス王がマラトンで負けたあと、息子のクセルクセスが再度大軍で襲ってきます。父の名誉回復なので講和の余地なく戦争になります。」
・・・なぜそんなにペルシアに肩入れするのだろうか?
「ペルシアは意外に中華に近いんだ。あの兵力に対抗できるのはペルシアぐらいだ。盾になってもらうためにはペルシアの目を東に向けたい。」
・・・そうか、この後の歴史を知っている人間には見当はずれに見えるかもしれないが、中華は西に興味が薄いのをこの時代の人間は知らない。
西に向かったのは漢の武帝くらいなものである。
ローマ帝国の勃興もこの時代のヘレネスには理解不能だろうし、ましてやその覇権国家が自分たちの文化を偏愛し興隆させるというのは予想外だろう。
これをどう伝えればいいのか?
「ヘレネスにとって最大の敵は身内というのは永遠に変わらない真実です。」
「そりゃあわかっちゃいるがな。」
「ボクが言っているのは2500年たってもヘレネスはヘレネスの気質のまま生きているということです。」
「2500年・・・」
「国の名前は変わり、支配する領域も増減しますが、ヘレネスはヘレネスのままで生きています。」
「ペルシアはどうなる?」
「ある意味、悲惨な地域になります。乳と蜂蜜の流れる大地は、血と憎しみを背負った人々が豊かに暮らす細切れの知識に縛られた土地に変わります。」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。人は豊かになっても仲良く暮らせるわけではなく、争って貧困に向かうというのはポリスでも学ばなかったようです。」
「・・・?」
「中華は西に向かうことなく北の騎馬民族と西の山岳民族との闘いで力を擦り減らし、中華内部での抗争に明け暮れることになります。」
「中華は脅威にならないのか?」
「少なくとも2000年以上は脅威になることはありません。」
「それは神託かい?」
「いいえ、ボクに信託されたものです」
ボクの答えにヘラクレイトスさんは考え込んだ。
「何がお前さんに信託したかは聞かないでおこう。中華は脅威にならないということでいいな。」
「ええ、中華どころではない影響を及ぼす人間があと500年ほどで生まれてきますが。」
いうまでもない、ジーザスである。