ヘタイラと太夫
「サンチョ、家族はメトイコイにしてうちで雇っておく。安心してアーシアについてきな。」
クレイステネスさんがサンチョに話しかけている。
「感謝します。クレイステネス様。」
「神様が決めたんだ。だれも文句を言えねぇよ。おいアーシア、明日の夜は薬喰するから必ず来いよ。」
にやにやしながらこっちに話しかける。
それよりも薬喰ってきいたことがないけど?
「薬喰ってなんですか?」
「ああ、中華の方で狼の肉は薬になるっていってな。漢方とかいうらしいぞ。」
その言葉にサンチョが補足してくれる。
「アーシア様、狼肉は煮て食べると五臓胃腸を丈夫にし、気を増す作用があるといわれます。ただ虚からくる発熱をした人には食べると毒になります。」
さすが医食同源の国、中華、このころから気とか虚とか使ってたんだ。
ちょっと納得した風な俺をサンチョが不思議に見ている。
「失礼ですが、アーシア様は漢方をご存知ですか?」
「名前だけだが?」
「クレイステネス様、このようなことが・・・」
「あるんだよ。中は蓬莱人らしいぞ。」
「・・・蓬莱。なるほど」
何か勝手に驚かれ、納得されている。
不思議そうな顔をすることで説明を促す。
すぐにサンチョが答えた。
「いえ、ヘレネスの少年がはるか遠い祖国の薬学の知識を、身につけていることが不思議でしたが、昇仙した仙人が借体しているならば納得できます。」
「まあ、そう理解しておけ。」
クレイステネスさんもそうまとめた。なるほど、その考え方ならサンチョには違和感はないのか。
つうか俺も違和感がない、俺が昇仙してればだけど。
「とりあえずサンチョに狼の血抜きを手伝わせてくれ。味が全然変わるんでな。」
クレイステネスさんが俺に許可を求める。
「サンチョ、クレイステネスさんに助力してくれ。」
「かしこまりました。殿」
・・・との?
えーと・・・ま、いいか。呼び方はどうでもいいや。
サンチョはそのまま外に出て行った。
サンチョが俺の横を通り過ぎるとき顔の右半面に黥が入っているのが見えた。
ちょっと驚いたが、この頃の日本では全身黥の人たちがいたはずだし、刑罰でも使われていたはずだ。
・・・あとで理由確認しよう。
「それからアーシア殿、明日はヘタイラも呼ぶから、そのつもりでな。」
ヘタイラ・・・?
たしか高級娼婦とか訳されたはずだけど・・・?
その言葉を聞いてピュロスがキトンを軽く引っ張り、緊張した小声でささやいた。
(アーシア様、丁寧にお礼を言ってください。)
・・・?
まあいいか。
「クレイステネス様、身に余る御厚情をいただき誠にありがとうございます。明日の宴、楽しみにしています。」
「うむ、アーシア殿も十分に機会を用いられるようにな。」
・・・おっと、べらんめい口調じゃない。ピュロス、ナイスフォロー
「では、失礼して下がらせていただきます。」
「うむ、サンチョをよろしく頼む。」
はー、あの口調のクレイステネスさんの前だと緊張するんだよなー。嫌いじゃないけどさ。
とりあえず奴隷が一人増えた・・・のか。
でもさっきのピュロスの言葉「意識ある道具」って結構ヘビーな意味だよな。
そりゃ日本でも工場の全自動ロボットが暴走すれば解体もわかるけど・・・人間相手と考えちゃいけないんだよなー、きっと。
アテナイだとほとんど解放奴隷いないみたいだし。
宿舎に戻るとベットの上でピュロスが尋ねてきた。
「アーシア様、ヘタイラについてご存知ですか?」
「名前だけ、高級娼婦だっけ?」
その言葉を聞いたピュロスの顔が曇った。
「その理解だと間違いますね。どう説明しましょうか・・・」
彼女はその後、言葉を選んで説明してくれた。
まず娼婦。これはアテナイでは公的な職業であり奴隷がつくものとされている。
娼婦は宴会に貸し出すコンパニオンのような制度になっていた。
賃貸料金の上限は1日2ドラクマで、安ければ1オボロスから存在した。
公的娼館街はケラメイコスとピレウス港にあるがケラメイコスの方が大きい。
娼館は一般市民や数少ないが解放奴隷が経営していた。
これらの娼館はポルニコンと呼ばれる税金を国家に納めており重要な税収となっていた。
(このへん日本の吉原と一緒だな・・・金をとるかわりに免許制で保護か。)
自由身分の女性や少年少女の売春は禁止されている。
一応成人オンリーであるが・・・奴隷の場合は成人の目安が・・・二次性徴なので・・・早いと10歳前後のこともあるらしい。
アテナイ市民が売春した場合には市民権をはく奪された。
しかし中には期間契約で自分を売る半自由民の女性がいた。
彼女らは源氏名をもち「グリュゲラ(甘露)」「フリュネ(ヒキガエル!?)」等が有名だそうだ。
家族ごとを養える値段で一定期間、彼女達を借り切る。
その期間の間は男性と一緒に出歩き、その男性の財力と魅力を広める広報役のような存在らしい。
アテナイでは正妻、内縁の妻ともに家から出歩くことはないので、女性連れはヘタイラと契約してないとできない。
広報役の女性には「美しく、知性に富み、音楽から舞、さらにはエレシウスの秘儀まで会得し、床上手」という究極の理想像が求められた。
「・・・という男性の理想像をもつ女性がヘタイラになれます。」
「・・・なんつーか・・・ありえなくない?」
そう言いながら、吉原の太夫を思い出していた。初期の吉原の太夫は茶の湯から書、唄に楽器、舞に床あしらいまで審査されて太夫格になったらしい。
その下が格子、散茶と続くが、客を振るという逸話はせいぜい格子まで。
散茶は粉茶で湯で溶かして使うので振らない(客をふらない)から散茶と呼ばれたらしい、(煎茶は和紙のパックで振って使った)もっとも太夫や格子は150年ほどで消滅したんだが・・・なり手がいなかったんだろうな。
「実際にヘタイラの「グナタデ二モン」は一晩で1000ドラクマを要求したそうです。」
・・・一晩1千万円・・・すごいな
「半額に値切られたそうですが。」
それでも500万円かよ・・・短期間なんで暴利なのか?
でも仙台高尾太夫だと体重と同じ重さの金を払ったというし、60kgとして約2億か・・・・思ったよりは高くないかも。
「クレイステネス様のヘタイラというと「パンドラ」ですね。ヒュペレイデス様の「フリュネ」、ペルシア王の「タルゲリア」、テミストクレス様の「セゾン テトラ コレス」に比肩する著名なヘタイラです。」
なんか・・・某おとぎ話漫画みたい、ちょっとかっこいい。
「パンドラ様は特に諸国の事情に通じていて、その政治的な知識はアルコンより上と言われています。おそらくクレイステネス様も多くのことを相談していると思われます。」
相談役兼務か・・・美人秘書?
「また詩や歌に関しては比類なく、サッフォーの再来とまで言われています。」
すごい、会うのが楽しみになってきた。
「聞きたいことがあれば、聞いておくのがいいと思います。めったに会える方ではないので。」
ピュロスの説明を聞き終わり、明日の昼はどうするか考えていると、横から寝息が聞こえてきた。
・・・コリーダ、もう寝てる。でもピュロスが注意しないな?
「コリーダも護衛で相当疲れていたのでしょう。そろそろ休みましょう。アーシア様」
ああ確かに、もうすぐ朝だけど・・・少し寝ておきますか。
「おやすみ。ピュロス、コリーダ」
横から二人の香りはするけど、もう緊張することなく、俺はそのまま眠ってしまった。
顔の横にはホルスが丸くなっている。今日一日でずいぶん懐いてくれたようだ。
あ、サンチョ・・・解体終わったら、こっちに来るのかな?
えと、もう考えられないや。おやすみ・・・