デルフォイの夏
次回でデルフォイ編は終了予定です。
落ち着くと地下室の情景がはっきりと目に入ってきた。
地下室の壁一面に粘土が塗られており、その粘土には引っ掻き傷でギリシアの地図が描かれていた。
そして主要ポリスの上には兵力らしい数字の書かれた札が差し込まれており、その下には粘土に直接情報がかかれては消された跡があった。
特にアテナイとスパルタは他の壁を一面も使っていろいろ書き込まれていた。
壁面の地図を注視していたのが判ったのかマリアが声をかけてきた。
「ここにある情報は持ち出しできないように粘土に刻んであるの。」
ここに入れば見れるのでは持ち出し厳禁でも意味がないのでは・・・そんな疑問が顔に出たらしい彼女は話をつづけた。
「そもそもここに入るには、中の人間に合図して内側から入口を開けてもらわないといけないし、存在そのものも歴代の巫女長しか知らない・・・デルフォイの存続にかかわることだから、よそにもれたことはないわ。」
その理由はわかるんだが・・・そんな重要なことをボクが知ってもいいのかな?・・・
その疑問顔は無視された。
「そろそろ時間だから帰りなさい。ここにある情報はアレティアに聞けば教えてくれるわ。」
明らかに短くなった蝋燭を見つめながら帰還を促してきた。
来るときは気づかなかった短い通路を通って梯子に辿り着く。
・・・気のせいか。梯子が長いような?
梯子を上っていくと蝋燭の明かりが消えた。
暗闇が周囲を満たすと、入口の石板から淡い光の筋がのびているのが見えた。
どうも石板に小さな穴が穿たれているようで、そこを通った光が筋になって見えているようだ。
・・・石板が閉まっている?
石板を触ると取っ手のように窪んだ部分があってずらせるのが判った。
横にずらすとあまりの眩しさに一瞬目が見えなくなる。
そこから見えていたのは観客席から見た劇場の舞台だった。
明らかに入った場所より高い別の席だ。
(・・・出入り口は複数あるのか。)
外から熱気が吹き込んでくる。日はまだ高い。
目が慣れると鏡で別方向を照らしている巫女長が見えた。
やっぱり入った場所とは違うようだ。
地下の黴臭い空気から外の熱い埃っぽい空気に変わったことが、喉を刺激し、むせそうになる。
ピュロスがこちらを指さし、巫女長がこちらを見て、鏡を構えるのをやめた。
頭から外にはい出る。
後頭部を照らす太陽が暑い。
前の座席の座椅子部分の石板も熱せられて熱い。
・・・熱気が体を包む不快感が、急速にこれが現実だと理解させてくれる。
(夢を見てたみたいだ。)
ここに現われて以来、どうも足が地についていないような、フワフワした気分が頭にあったんだが、今急速に覚めていく感じだ。
体を転がるようにして外に出ると静かに扉が閉められた。
カタリと石板から小さな音が響く。
もう何の変哲もない石板だし、動かそうとしたがロックがかかってびくともしない。
合図と場所を知らないと、入ることは無理・・・とはこういうことか。
「アーシア~」
ボクを呼び手招きしている巫女長が見える。
座席の間の通路を通って舞台に向かう。
「うまく継承できたようね。」
彼女の表情は重荷を下ろした直後のように穏やかでにこやかなものなものだった。
「はい、マリアに会えました。」
「いいわね、ならあと詳しいことは館の方で聞くわ。」
巫女長がそのまま劇場の出口に向かう。
ピュロスは警備をしているコリーダに連絡に向かうと告げながら別方向に向かっていった。
ボクは慌てて巫女長の後ろについていく。
頭の中では昨日から連続した事件がようやく意味を持って並べられるようになっていた。
そして次に何をするべきかもぼんやりとだが、浮かんできた。
そして何をするかの、優先順位を頭に浮かべながら、クニドスの館に向かう足元は現代とは違う土の足音がしていた。