タロウのさる日
俺の勤めている動物園は、普通の動物園ではなくて、住宅街の中にある小さな小さな動物園だ。どのくらい小さいかというと、そうだな、小学校の体育館くらいと言えばいいか。
その小さな面積に動物がいる。小さいのばっかりだ。一番大きくてポニー。って、ポニーは大きい動物に入るのか?普段小さな動物ばかり見ているから、何が大きいのか小さいのかわからなくなってきた。
モルモットやヒヨコなんかが人気で、ポニーは順番待ち。
なんのことかって?
ウチの動物園は「ふれあい動物園」と言って、その名の通り、動物と触れ合うことができるんだ。小さな子どもだけでなく、都会の世知辛さに乾いた大人も癒しを求めてやってくる、という、大変需要のある動物園だ。
例年ならば俺は人気のウサギの係りなんだけど、今年だけは違った。
俺の昔からの友人に頼まれて“猿”の係りになったんだ。だから今年だけはコイツと一緒。名前は「タロウ」だ。
タロウは普通の猿じゃない。群れで暮らす普通の猿とは馴染めず、人間と一緒じゃないといられない。賢くて、俺の言葉もちゃんと理解している。そしてこだわりは、人間と同じように服を着ようとするところだ。
おむつも嫌がって、もよおすと自分からトイレに行くという徹底ぶり。まあ、そういった世話はしなくて済むから、俺としてはラクなんだけどね。
タロウはかなり歳をとっている。普通野生のニホンザルの寿命は25年くらいだけれど、タロウはもう48歳。俺と同い年だ。
だけど、まだまだ全然若いつもりで、ふれあい動物園に若いおねーちゃんが来ると、そりゃーもう、嬉しそうにキャッキャとアピールする。
「わあ、サルだ~」
若いおねーさんは、そんなタロウのアピールにまんまとのっかってやってくる。
「抱っこしても大丈夫ですよ。やってみますか?」
「えー、こわい~、どうしよう~」
と少しばかり躊躇するおねーさんの足元にちょこんと座り、小首を傾げるタロウ。って、お前俺と同い年だろ!ナニ可愛い子ぶってんだよ!
とは思うが、せっかくの“ふれあい”動物園だ。ここは積極的に触れ合ってもらおうじゃないか。
「噛みついたりひっかいたりしないですよ。大人しいですから、な、タロウ」
「うきっ!」
タロウはありったけの可愛さで嬉しそうに笑う。いや、笑っているかどうか、素人さんじゃわからないだろうけどな。タロウは表情豊かだから、俺には分かる。
「じゃあ、やってみます」
「おっ、良いですね~。じゃあ、そこに座ってくださいね」
素人さんに動物を抱っこさせるときは、必ず座ってもらう。猿なら落としても全然大丈夫、むしろタロウなんぞ、落っことしてナンボという芸風でもあるが、まあ一応、お客さんの安全のためもあって座ってもらう。
お客さんが座ると、タロウを持ち上げて膝に乗せてやる。
「はいどうぞ」
「わあ、あったかい~」
恐る恐るタロウを抱っこするおねーさんは、結構嬉しそうだ。
こういう動物と触れ合うと、心が安らぐよね。
って、タロウ!?お前、安らぎ過ぎじゃない!?っていうくらい、タロウはうっとりとした目でおねーさんの胸に顔をうずめていた。くそ、うらやましいっ!
赤ん坊よりは大きいけれど、サルは抱きつくのがうまいからなあ。タロウがおねーさんにしがみつくようにしているので、おねーさんは嬉しそうだった。
2,3分で一度声をかける。
「大丈夫ですか?重くないですか?」
時々我慢して動物を抱っこしている人がいるから、こういう区切りは係員がつけるようにする。あと混んでるときは、すぐに切り上げるが、今日は混んでいない。
俺のセリフに、タロウがこっちを向いて、一瞬チっと舌うちするような表情をした。コノヤロウ、おねーさん気に入ったな?
「あ、大丈夫です。思ったより安定感ありますね」
などと、おねーさんも余裕そうだ。
良いんだ。重くないなら。
良いんだ。タロウがおっぱいに顔をうずめてるのが気にならないなら。
悔しくなんかないもんね。
「あ、サル!お父ちゃん、サル!ボクサル!」
次のお客さんが来たようだ。
「じゃあ、次のお客さんいるんで」
「はーい、ありがとうございました」
と、おねーさんからタロウを抱き上げると、タロウは名残惜しそうにおねーさんに手を伸ばしていた。
「ふふっ、タロウ君、またね」
おねーさんは手を振っている。楽しんでいただけて何よりだ。
「では、こちらで手を洗ってくださいね」
と、おねーさんを誘導して、おねーさんの時間は終わった。
さて、次は父子ペアだ。
「どうぞ、こちらへ。抱っこしますか?」
「ボク!ボクする!サルボク!」
落ち着け坊主。お前は猿じゃない。しかし、ちょっと小さいなあ。
「ボク、いくつ?」
「さんさい!」
小さすぎた。タロウを抱っこするには体が小さすぎる。こう見えてタロウは結構重い。服着てるし。
「ちょっとボクは無理かな。お父さんに抱っこしてもらおうか」
「うん!」
よかった。聞き分けの良い子で。
「じゃあ、お父さん座ってくださいね。はい、タロウ君ですよ~」
と、お父さんの膝に置く。
タロウはお父さんの肩に片手を回して、まるで「親父友だち」のような親密さで抱っこされていた。
なにお前。さっきのおねーさんとの違い。
うっとりともたれかかるんじゃないの?
「噛みついたりひっかいたりはしませんけど、口の前に手を出さないようにしてくださいね」
「おっそうか。ケン、気を付けろよ」
「うん!」
良い親子だなあ。
子どもの方は、少しおっかなびっくりと言った感じで、恐る恐るタロウの背中を撫でていた。
「懐かしいなあ」とお父さん。「昔もいたでしょ、サル。10年くらい前かな、俺がまだ大学生の頃に、サルがいたことあるんですよ」
おおー、そんな昔のことを覚えている人がいるとは。
確かに昔、この動物園に猿がいた。たった一年間だけだったけれど、今と同じように人気者だった。俺はその時も猿の係りだった。
「よく覚えていますね。いました、いました。12年前です」
「もうそんな前になりますか。俺、触りたかったんですけどね。女の子がいっぱい並んでて、触れなかったんで、やっと触れて嬉しいです」
「そうですか~」
俺たちが話していると、タロウがお父さんのポケットからハンカチを取り出した。
「こら、タロウ!」
俺が叱ると、タロウはそのハンカチをお父さんに返そうと目の前に差し出した。
「おや、ありがとう」
と言って、お父さんが受け取ろうとすると、ひょいっと手を上に上げた。
「こら、タロウ!」
お父さんは笑ってくれてるから良いけど、お前~!
タロウはハンカチで股間を拭いている。
「こらあ!タロウ!」
叱ってとりあげた。まったくこの変態サルめ。
「すみません、タロウはイタズラ盛りでして」
「いえいえ、面白いおサルさんですね」
お父さんは笑って許してくれた。
しかし次の瞬間、タロウは子どもの方に手を伸ばした。そして、子どもの帽子のゴムを引っ張って手を離した。
パチン!
と子どもの首にゴムが当たる。
「うわ、ご、ごめんよっ。こら、タロウ!」
タロウを叩こうとすると、子どもが
「ボク、大丈夫だよ。おサルさんをおこらないで」
と言ってくれた。うわ、なんて良い子だ。それに比べて、このタロウの大人気のなさ。お前、自分が大人の猿だって分かってる?
「ごめんよ、ボク。ほら、タロウ、ごめんなさいは!?」
タロウの頭を下げさせると、一丁前に“反省”のポーズをした。芸達者なのは結構だけど、ひどい猿だ。まったく。
「あははは、おサルさん賢いねえ」
父子は笑いながら帰って行った。
良かった。タロウのせいで嫌な思いをしなくて。
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今年ももう終わる。
31日が終わればタロウともお別れだ。タロウはたった一年間だけしか、この動物園にいられない。
クリスマスが終わると、急にタロウは年老いたように動かなくなってきた。ふれあい広場にも出ようとしない。毛が大量に抜けてきて、薄っすらと禿げになっている。
そのくせ身体は今までよりずっと大きくなってきた。
31日を前に、タロウは動物園を去った。もうここにはいられない。タロウのいたふれあいコーナーの柵には「タロウ君は12月26日をもって卒業しました。仲良くしてくれてありがとう」という貼り紙がしてある。その隣に、まだ毛がふさふさのころのタロウが笑って手を振っている写真も貼っておいた。
柵の前で残念そうな顔をするお客さんの姿を見ると、タロウはみんなの人気者だったんだなあと嬉しくなる。
若いお姉さんが大好きでいっつもデレデレしていて、それ以外のお客さんにはいたずらばっかりしていたヤツだけど、それでもお客さんたちはタロウを抱っこするととても嬉しそうだった。
さ、家に帰ってタロウの世話をしてやらなくちゃな。
動物園を卒業したタロウは俺の家にいた。俺が仕事から帰ってくるまでほとんど寝たきりで、動いた形跡がない。
たくさん毛が抜けるから、寝床のそばにゴミ箱を置いておいてやると、抜けた毛を自分でゴミ箱に入れるんだ。マメなやつだろ?
「ただいまー」
「うきっ」
俺が帰ると、寝床から「おかえり」を言ってくれる。動く気はないらしい。
俺が飯を食う横で、一緒にエサを食う。手づかみだけど俺と同じメニューだ。量も俺とおんなじくらい食う。
「お前のコーナー、残念そうに見ていた人がいたぞ」
と言うと、タロウは「ききっ」と返事をした。
12月31日。
今日でタロウとお別れだ。
動物園とタロウのお別れじゃなくて、タロウはこの世から去る。タロウはいなくなるんだ。
大晦日の夜に、一緒に紅白を見ていた。
タロウは静かにテレビを見ていたが、途中で眠くなったらしい。いつの間にか眠っていた。
「タロウ?」
息、してるか?
タロウの鼻に耳を近づけてみるが、よく聞こえない。テレビを一度切って、再度耳を近づけると、微かに呼吸音がした。
ホッとしてテレビをつけた。
もうすぐ終わりだ。タロウがいなくなる時間だ。なんとなく、息苦しく感じる。“タロウ”がいなくなることが、こんなに寂しく感じるなんてな。
ため息をついて時計を見ると、もう今年が終わるところだった。
テレビを消して、1人タロウの寝息を聞く。
ボーンンンンン・・・・
近所の寺の除夜の鐘が聞こえてきた。窓を開けて、冷たい外の空気を取り入れると、タロウの毛がボソボソと落ちて、風に押されて部屋の隅に集まった。
ボーンンンンン・・・・
次第にタロウの体毛が減って行く。毛というのは随分とたくさん生えているのだなあと思わず感心するほど、まだまだどんどん抜けた。
ボーンンンンン・・・・
タロウが少し苦しそうに身じろいだ。
「タロウ?」
声をかけると、薄っすらと目を開けて、またすぐに閉じた。
ボーンンンンン・・・・
もう何度目の鐘が鳴っただろうか。
タロウの姿は変わった。もう“タロウ”ではなくなっていた。
体毛は頭髪を残すのみとなり、背筋がグンと伸びた。今まで着ていた衣服が窮屈そうで、ズボンのすそから足がにょっきりと飛び出している。
ボーンンンンン・・・・
除夜の鐘は煩悩を落とすというが、そうか、タロウから落ちた毛は煩悩なのだろうか。煩悩の消えたタロウは、タロウではなくなった。
「ふう」
タロウ、いや、太郎は目を覚ました。
「よう、山本」
「目が覚めたか、猿田」
猿田太郎は戻ってきた。12年に一度猿の姿となる不思議体質のコイツが、一年間だけ俺の世話になるようになったのは、24年前の正月からだ。
また12年後の申年には、きっとまたあのふれあい動物園にコイツはいるのだろう。
「お前、本当にサルの間の記憶ないのか?」
「ないねえ」
猿田は普通の人間の衣服に着替えながら、少し考える素振りをする。
「だって、お前、キレイなお姉さんを見ると明らかに態度が違うぞ」
「そうか?まあそりゃ、本能なんだろうなあ」
そうかもしれん。猿の間のコイツの行動はまさに煩悩の塊だ。お姉さんに抱っこされてデレデレしたり、ちびっ子にいたずらしたり、やりたい放題だもんな。
難儀な身体をしているとはいえ、なんか同情する気にはなれん。
「ま、仕方がないか。じゃ、初詣でも行くか」
「おう、一年ぶりの人間世界、なんか変化あったか?」
「特になにも変わってないよ」
「そりゃ、そっか」
俺たちは初詣に出かけた。
申年が終わり、人気者のタロウはいなくなった。
また12年後、彗星のように現れて、ふれあい動物園の人気をかっさらうまで、しばらくのお別れだ。
煩悩まみれのタロウを楽しみに待っていてほしい。