遭難そして救出
幸いにも布袋のなかに空のボトルが入っていた。これで水を保存しておくことができる。
昼食を終え、しばらく休憩すると川を探すことに。
舗装されていない不安定な道を、かき分けながら進んでいく。
2時間程歩いた頃、ついに遠くで滝のような音が聞こえ始めた。
流石にこれだけ歩いていると喉が渇いてきた俺は少し小走りでその音の元へ向かう。
「おぉ…水だ」
そこにあったのはおよそ10メートルはあろうかと思う滝。轟音を響かせながら、大量の水を流していた。
近くには数匹の鹿がおり、水を飲んで休憩している。
俺は、試しに一口飲んでみた。
「うん、うまいな」
ただの水だが、こんなにうまいとは思わなかった。
空のボトルに水を満タンに補充すると、喉の渇きを癒す。
よし、これでしばらくは大丈夫だ。
「おい、イリアもここで水分補給を……」
そう思って振り返るが、イリアの姿はそこにはなかった。
「…イリア?」
俺は来た道を戻り、イリアを探すもどこにも見当たらない。
まさか、俺についてこれずに迷ってしまったのか…?
朝から長時間移動に加え、昼からも長時間移動している。普段から鍛えている俺は喉が渇く程度でそこまで疲れてはいなかったが、虚弱な彼女はそうはいかない。イリアは奴隷という立場上、主人である俺に疲れた、歩けないなどといったわがままは言えなかったのだろう。そして、俺もイリアのことを考えず先へ先へと進んでいた。
「俺のミスだ…」
今のところ肉食動物には遭遇していないものの、いつ遭遇するとも限らない。それに、動物だけではなく、オリオンのような悪党が現れないとも限らない。早いところイリアを見つけ出さないと…。
そうして俺は、彼女を呼びながらあちこち探し始める。
そうしてイリアを探しているうちに段々と日が暮れ始めた。木で囲まれた森はより一層辺りを暗く見せ、視界が狭まってくる。
このまま夜になれば、イリアを探せなくなり次の日まで待たないといけない。
「イリアーどこにいるんだーっ!」
しんと静まり返る森に、俺の声がこだまする。
しかし、彼女からの反応はない。
「何処に行ったんだよ本当に…」
今日の探索は諦めかけたその時、何かの動物の遠吠えが聞こえてきた。
「……敵を見つけた…?」
俺には遠吠えがそう言っているように聞こえた。動物の声が聞こえるなんてことがあるわけがないが、たしかにそう聞こえたのだ。
突然、俺の近くを何かが通り抜けていった。暗くてよく見えないが、狼のように見える。
さっきの遠吠えで移動しているのか?
「何か胸騒ぎがするな…」
それもだいぶ嫌な感じの方だ。
俺は、走り去っていく動物を追いかける。
そして目と鼻の先ぐらいにまで距離を詰めたとき、そいつはいた。
「こ、来ないでください…」
「イリアっ!」
そういうイリアの目の前には3メートルはあるであろう、巨大な熊の姿が。
熊は興味深々なのか、少しずつ距離を詰めてくる。
イリアは腰を抜かしているのか、動けないようだった。
「くっ!」
このままだと熊に食い殺されてしまう。
俺は鞘から剣を抜くと、熊に思い切り石を投げつけ注意をこちらへと向けさせる。
「おらっ!! そいつより俺を食べたほうがうまいぞ」
「ご主人様…!」
俺は挑発するかのように手招きする。その言葉が届いたのか、熊はこちらに突進してきた。
熊と戦ったことなんてないが、でかいだけで大したことはないだろう。そう思い迎え撃った俺だったが、それは甘い考えだったと直後に知る。
熊はそのまま俺に向かって手を振りかざしてくる。剣で受け止めようとするも、力が強すぎて後方に飛ばされてしまった。そのまま俺は背後の木に叩きつけられる。
「なんて馬鹿力だ…」
まるで馬が全速力でタックルしてきたかのような衝撃。
受け止めた手がしびれる。
こいつ、普通の熊より何倍も力がある…!!
「真正面から相手にしていたら身が持たないな」
俺は一瞬で仕留めるべく、もう1つの剣も取り出す。
今度は自分から仕掛けようとしたが、次の瞬間、俺の目の前に信じられないことが起きる。
遠吠えが聞こえてきたかと思うと、茂みから一斉に狼が飛び出し熊に攻撃し始めた。その数およそ20匹。
頑丈な顎で、必死に熊に食らいつく。熊も狼が鬱陶しいのか振り落とそうとするも、食らいついていて離さない。
「狼の…狩り?」
一見狼が優勢のようにも見える。
しかし熊の皮が硬いのか、なかなかダメージは通っていないようだった。
「今がチャンスか…!!」
俺は気合を入れると、熊が狼に気を取られているうちに一瞬で距離を詰る。
そして渾身の力を込めて熊の両目を突いた。そして間髪いれず、胸も突く。
血しぶきをあげ、熊は暴れだした。
しかしうまく心臓を突いたためか、しばらくすると動かなくなりやがて息絶えた。
「はぁ…。なんとか間一髪だったな」
俺は剣に付いた血を草で拭くと、イリアの元へ。
「怪我はないか?」
「え? あ、はい…大丈夫です。ご主人様こそお怪我は…」
「俺も大丈夫だ。一瞬やばかったが、この狼達が助けてくれた」
そう言うと俺は、背後の狼達に目を向ける。
狼は、まるで俺達を守るかのように包囲していた。
イリアは少し怖がっているようだ。
「あの…この状況はまずいのでは…」
確かにこの状況だと、獲物を包囲しているようにも思える。
しかし、狼達から攻撃の意思は感じられなかったため問題ないと判断した俺は、イリアの頭を撫でつつこう言った。
「大丈夫だよ…ほら」
そこへ、先ほど遠吠えをしていた狼がやって来る。他の狼に比べ、毛がかなり白い。
群れのリーダーだろうか。
リーダーは、俺の目の前にやってくると、ちょこんとお座りした。それを合図に他の狼たちもその場に座る。
そしてリーダーは何かを伝えるかのように吠え始めた。
「…何か言ってるのでしょうか…」
「イリアや俺に、怪我がないかって言ってる」
「ご主人様はなんて言っているのかわかるのですか?」
「ああ…。何故だかよくは知らないが、言っていることはわかる」
先ほどの敵を見つけたという声、あれはイリアに対してではなく熊に対して言っていた。そしてイリアを守るため、本来なら狩ることのない熊に立ち向かっていったのだ。
しかし、どうして狼が人間に味方したのだろうか。
それにまるで、俺に服従でもするかのようなこの態度…。それが何故かはわからない。
しかし今は、イリアが無事であることを喜ぶべきだ。
「とにかく、無事でよかった。すまない、俺がイリアのことを考えずに先に進んだばかりに」
「そ、そんなこと…ご主人様は悪くありません。ついていけなかった私が悪いんです。本当に申し訳ありません…」
そう言うと何度も頭を下げるイリア。
まるで、何かに怯えているように見える。
いつまでもお互いが謝りあっていても埒があかないと思った俺は、話題を変えることに。
「…そうだ、喉、乾いているだろ? 途中で川を発見した時に、補充してきたから飲め」
そう言うと俺はイリアにボトルを渡す。
「ですが私は…」
「いいから。明日になればまた長い距離を移動することになるだろう。その時に脱水症状になって倒れられても困る。今のうちに好きなだけ飲んでおけ」
俺がそう言うと、イリアは一瞬驚いたような表情を見せたがやがて、
「はい、ありがとうございます…」
そう言って、飲み始めた。
さて、この後どうするかだが…。
周囲を見渡す。辺りはもうすっかり暮れていて、今日はもう動けそうにない。
しかし、イリアを探すためにあちこち移動していたせいか、どの方向に進めばいいかわからなくなっていた。
まさか、イリアを遭難させないために探したのに自分が遭難するとは…。
ダメだダメだ。もっと前向きに考えよう。
「…あ」
そこで俺は狼がいるということに気づく。
こいつらに聞けば、もしかして出口がわかるか…?
俺は駄目元で聞いてみることに。
「なぁ、森の出口がどこがわかるか? 俺達、道に迷っちゃってさ」
そう言うと、リーダー格の狼がひと吠えする。
どうやらわかるらしい。
聞いてみて正解だった。
「すまないんだが、明日の朝案内してくれないか? その代わり、この熊を調理してとびきり美味しいのを食べさせてやるからさ」
すると再び吠える。
「おお、それは助かる。じゃあ早速、熊を食べよう」
熊なんて、食べるのは小さいとき以来だ。弾力があり、臭みも少ないので俺は割と好きな方だったりする。
イリアは俺と狼が会話しているということに驚いている様子だった。
「ご主人様は面白い特技をお持ちですね…」
そう言って、俺を褒めてくれた。相変わらず、表情は変わらないままで、本当に褒めてくれているのかどうかは定かではないが…。
彼女が笑う日なんて来るのだろうか…。
「…いつの日か、笑ってくれるといいな」
「…え?」
「いいや、なんでもない」