4
鷹匠さんがどこからか用意してきたのは、剥き出しの基盤の塊から何本かのコードが出ているだけの、何だか危なっかしい代物だった。
僕たちが見守る中、彼女は手早くコードを繋ぎ終える。基盤と一体になっている差し込み口に黒いカセットを押し込んで、ノートパソコンを操作し始めた。
さほど時間はかからないという鷹匠さんの言葉通り、一分と待たずに彼女は顔を上げた。
「終わりました」
「それじゃ、オレたちはこれまで通りプレイしてればいいんだな?」
「はい。何か分かったら知らせますから」
そう言って、鷹匠さんは解析ツールらしき画面を操作し始めた。
†
「ワールド2、完全に袋小路みたいですね……」
「マジか」
再び鷹匠さんが口を開いたのは、ハカセが最初のボスを倒した直後だった。
「どの分岐を通っても、ボスのエリアには絶対に入れないようになってるんです」
「だったら、クリアするのは無理ってことか?」
「そもそもワールド2に入ること自体が間違っていたんです。飛ばしましょう」
そう言いつつ、鷹匠さんはノートパソコンの画面を僕たちの方に見せてきた。
彼女の操作に合わせて、表示されているステージが切り替わっていく。
「ワールド1の地下ステージ、最後の方に隠し部屋があります。そこの土管から先のワールドに飛べるんです」
「どっちにしても、これはリセットするしかない、ってことか」
「そうだな。交代だな」
「む、しゃーねえなー」
操作を交代して、いざ地下ステージへ。上昇するリフトから勢いよくジャンプして、画面上端のブロックのさらに上に飛び乗る。そこから右に進んでいくと、ゴールの先にある隠された小部屋へと辿り着いく。
三つ並んでいる土管を前に、どうしたものかとハカセと顔を見合わせる。
「行けるのはワールド2、3、4か」
「だったら、ここは4まで飛ぶべきだろ」
「それしかないよな」
上に「4」と表示されている土管の上で、方向ボタンの下を押す。赤い配管工が土管の中に消えていくのと同時に、鷹匠さんが声を上げた。
「あ、ちょっと、待っ」
「えっ?」
暗転した画面に表示される、「2-1」の文字。明るい音楽を背景に、僕たちは顔を見合わせる。
「ワールド2、って」
「まさか……」
申し訳なさそうに、鷹匠さんが小声で告げる。
「その、それも……引っ掛けですね」
「……あ、の、ジジイ……!」
「おーい、ユータ! ちょっと落ち着けー」
ハカセが止めてくれなかったら、もう少しでコントローラーを放り投げるところだった。
†
再度の挑戦で、僕たちは無事にワールド3へと突入する。
「柏木くん、穴を飛び越えて二本目の土管です」
「おう、了解!」
僕とハカセの上達具合に加えて、鷹匠さんによる事前のマップ解析のおかげで、その先の攻略はかなり順調に進んでいた。
「あ、その上のブロックを叩いてツタを登らないと駄目です。ループします」
「鷹匠、なあ、俺んとき、ちょっとタイミング遅くね? もう足場壊しちゃってるんだけど?」
「そんな、気のせいですよ」
「いや今ちょっと笑ったろ!」
まあ、それなりに順調に進んでいた。
そんなこんなで、ワールド3を突破して、さらにワールド4の隠し部屋からワールド6へとスキップする。
後は、鷹匠さんのガイドを頼りに進んでいくだけだ。
「この調子なら、日が暮れる前に終われそうだな」
「ああ、このワールドは俺がクリアしてやるぜ」
「というか、ふたりとも結構上手いですね。柏木くんはともかく……」
鷹匠さんの視線を感じたのか、ハカセは操作を続けながら苦笑した。
「意外だったか? 俺も結構ゲームやるんだぜ」
「狩りゲーとか格ゲーとか、よく一緒にね」
「なるほど……」
「感心するのはいいけど、この先どう進めばいいんだ?」
ハカセに催促されて、鷹匠さんはノートパソコンに視線を戻した。
しかし、よくもまあこんなに意地の悪い仕掛けを組み込んだものだ。敵を避けようとジャンプしたら隠しブロックに当たって避けられなかったり、一度ミスして復活地点から再スタートしないと先に進めなかったり。
まあ、理不尽に敵を増やされたりはしていないから、なんとか正解のルートを進めているのだけれど。
†
そして、ようやく辿り着いた、ワールド8の最終ステージ。
うっかり回転する火の棒に当たったり穴に落ちたりしたものの、何度目かの挑戦の末に、ボスの待ち受ける橋へと突入する。
「っつーかさ、この亀、何でこんな危ないところで待ってるんだろうな?」
「だよな? 後ろの斧で橋を落とせばいいのにな?」
「ここまでプレイしておいて、今そこに突っ込むんですか」
なんて話しつつ、放たれる火炎やハンマーを回避し続ける。あとは、攻撃の隙を見つけて──
「よし、行け!」
ジャンプしながらハンマーを投げてきた大亀の懐に潜り込み、着地したところを飛び越える。赤い配管工が橋の終端に置かれた斧に触れて、ボスが溶岩の中に落ちていく。
ファンファーレと共に画面がスクロールして、静かなエンディングの曲が流れ始めた。
「おー、終わった、かー……」
「よっしゃ!」
コントローラーを置いて立ち上がり、ハカセに向かって右手を上げる。平手を合わせてぱしん、といい音が鳴ったところで、今度は鷹匠さんに左手を差し出して。
「え、私もですか」
「もちろん」
「そ、それでは……」
恐る恐る、ぺちんと上から手を重ねると、彼女はそそくさとテレビの方に向き直って、携帯でエンディングの画面を撮影し始めた。
その横で、僕とハカセは表示されている文章を確かめていく。
「最初の二行、たぶん改変されてるよね?」
「ええと……そうですね。検索して出てくるのとは違ってます」
本来のクリアおめでとう的なメッセージがあるべき場所には、「DIAL YOUR PROGRESS」と「1 ? ? ? ? 8」の二行が表示されている。
「ハカセ、これどんな意味?」
「俺に聞くなよ」
それじゃあ、と鷹匠さんの方を見ると、彼女はノートパソコンから顔を上げた。
「あ、あなたの進歩に、電話しなさい?」
「鷹匠、いまネットで翻訳しただろ」
「えっ?」
「いや、画面隠してもモロバレだから……」
とはいえ、他に手掛かりもない。すっとぼける鷹匠さんに、単語ごとに意味を検索し直してもらって、再び頭を突き合わせる。
「君の経過をダイヤルせよ、って感じかなあ。ダイヤルっつったらこいつだけど」
脇に置かれて、すっかり忘れかけていた小さな箱を取り上げる。
「六桁の数字で、1で始まって8で終わるんだろ。だったらもう、ワールドの数字しかない気がするな」
「そうですね。他に思い付きません」
「てことは……3、4、6、7……ってことか」
かちかちと、ダイヤルを回して数字を合わせる。その横にあった小さなボタンを押し込むと、かちり、という音と共に蓋が少し開いた。
†
プラスチックの箱の中には、定期くらいの大きさの白いカードと、折り畳まれた紙が入っていた。
カードには「伝巧堂」の判が押され、祖父のものらしきサインが記されている。こいつについては鷹匠さんに調べてもらうとして、一緒に入っていた紙を机の上に広げてみた。
「……やっぱり、オレ宛ての手紙か」
“遊太へ。謎解きご苦労様と言っておこう。
私からの最後の挑戦状は、どうだっただろうか。お前がどんな方法でこの手紙に辿り着いたのか、見届けられないのが残念だが。
楽しむことができたのなら、お前の勝ちだ。楽しめなかったなら、それは私の負けということになる──”
そこまで読んで、僕は顔を上げた。
「楽しかったぜ。まー、最後は俺がクリアしたかったけどな」
「わ、私も、その、面白かったですよ?」
ふたりの表情を見れば、言葉通りであることは一目瞭然だった。
「うん。じゃあ、爺ちゃんも勝ちってことで」
“──ともあれ、伝巧堂に預けてある諸々はお前の物だから、好きにするといい。
委細問題がないようにはしておいたが、何かあるようなら店長を頼ること。以上”
「って、そんだけか?」
「みたいだ。まあ、十年前の爺ちゃんにとっては、いつもの悪戯の一環だったんじゃないかな」
それにしたってなあ、とハカセは肩を竦めた。確かに、まだ十分に余白があるんだから、もう一言二言あってもいいだろうに。
「それで、そっちは何かわかった?」
「多分ですけど、うちの倉庫のカードキーです」
カードを一通り眺めた後、彼女はそれを僕に差し出した。こいつがあれば、祖父が預けてある品々を確かめることができる、ということなんだろう。
「ただ、倉庫に入るためには別の鍵が必要なんで、今日はちょっと入れないです」
「そっか。まあ、そうだよな」
カードキーについては日を改めて、ということで話がまとまって、僕とハカセは帰り支度を始めた。
「何にしても助かったよ。鷹匠さんが居なかったら、まだ本体探してたかもな」
そうだな、と頷くハカセと、いえいえそんな滅相も無い、と縮こまる鷹匠さん。
「わ、私はただ、珍しそうなカートリッジが気になっただけなので」
「いいことあったんだから、素直に喜んどこうぜ、鷹匠」
「だ、だったら……」
真面目腐ったハカセの言葉を聞いて、彼女は顔を僕の方に向けた。珍しく、しっかりと僕の目を見て。
「私の方こそ、ありがとうございました」
「ああ、どういたしまして」
先に目を逸らして、頬をかいてしまったのは仕方ないことだろう。
†
「部活は大丈夫なん?」
「ああ、この時期は朝練メインだし、補習組がいるしな」
海の日を挟んで二日後の火曜日。僕とハカセは、再び伝巧堂へとやってきていた。
目的は当然、祖父がここに預けたという品物を確かめるためだ。
「やあ、いらっしゃい」
店内に入ると、陳列棚の掃除をしていたらしい若い男──確か、「淀さん」だったか──が声をかけてくる。
「お邪魔します」
「ッス」
「話は聞いとるよ。そっちのキミが、晶ちゃんの本命君なん?」
いきなり問いかけられて、ハカセは慌てて首を横に振った。
「無いッスよ」
「多分、真顔で否定されるよね」
「ははは、そうなん?」
淀さんは軽やかに笑うと、棚にはたきを置いて近づいてきた。
「ま、キミらが晶ちゃんのいい友達でいてくれたら、ボクは嬉しいんやけどね」
「友達、ですか」
何だか意味深な感じに頷いて、彼は僕たちの横を通り過ぎて店の奥へと歩いていく。
「晶ちゃーん! おーい、あーきーらちゃーん?」
靴を脱いで上がるスペースから、大きな声で鷹匠さんを呼んでいた淀さんは、首を振ってこちらに向き直った。
「すぐ来ると思うから、上がってそこの客間で待っとき」
「え、上がっちゃっていいんですか?」
ええよええよ、と彼に促されるまま、僕たちは廊下に上がって、客間らしき部屋のふすまを開ける。
「……おっと」
あちこち跳ねた髪の毛に、よれたタンクトップとショートパンツ。右手で大き目のタオルを引きずって、寝ぼけまなこでふらふらと、冷たい空気と共に部屋から出てきた鷹匠さんと、いきなりぶつかりそうになった。
「なんなん、まだ、眠いのに……」
左手に持っていた眼鏡をかけて、僕たちの方を見たところで、彼女は慌てた様子で部屋の中を振り返った。
「……あ、あれ? もうそんな時間、でした?」
「うん、まあ、こんちわ」
「わりぃ……外で待ってた方がいいか?」
「そ、そうですね。いえ、ここでいいです、いいですし」
視線で促されて部屋に入ると、背後でぱたんとふすまが閉まり、言い争う声が聞こえてきた。
「お客さん来るから起こしてって言っといたじゃん!」
「何度も声かけたやないの。それに、ちゃんとお友達って言いなさいな」
「と、友達……」
「ほら、さっさと着替えてきた方がええんやないの?」
「あー、もー……」
どたどたと階段を駆け上がる音を聞きながら、僕たちは顔を見合わせる。
「なあ、ユータ」
「なにさ?」
「鷹匠って、意外とスタイル──」
「座って待ってようか、ハカセ」
†
十分後。僕たち三人は作業場のさらに奥にあるという倉庫に向かって、廊下を歩いていた。
「店長は今日も居ないの?」
「はい。急用が入っちゃって」
ちゃんと挨拶しなければと思ってるのに、どうにもタイミングが合わない感じがする。
近いうちに、また改めて来る必要がありそうだ。
「ところでさ。一昨日の夜なんだけど、うっかり窓際にカセット置いたまま寝ちゃってさ」
「何かヤな予感がする前置きだな、おい」
ハカセの心配ももっともである。前を歩いている鷹匠さんも、ちらちらと僕の様子を窺っている。
「暑くて起きたらもう昼で、太陽の光がすげえ射し込んでて」
「って、紫外線はマズいんじゃなかったか、それ?」
「シールが貼ってありますから、たぶん大丈夫かと……最悪、消えてても一昨日のバックアップがうちに残ってますし」
ここから先は、実際に見せたほうが早いだろう。鞄から、毎度お馴染みの黒いカセットを取り出して、ふたりに見えるように差し出した。
表面のシールには、祖父直筆のタイトルと──
「こいつは……」
「あ、もしかして、あの宝の地図の話……」
鷹匠さんも思い出したらしい。宝の地図を日光にさらして一時間放置。
カセットのシールの下半分、白かった部分には、今では四桁の数字が浮かび上がっている。
「データが消えてても、番号が分かるようにはなってたんですね」
「なるほどな。あの爺さんらしい仕掛けだ」
けれど、こっちに頼る羽目にならなくて良かったなと話しながら、僕たちは廊下を進んでいった。
†
そんなわけで、祖父が遺した挑戦状に纏わる話は、ひとまずここで一区切り。
──この後、蔵の中で見つけた代物だとか、カセットと同じように手紙に隠されていた追伸のメッセージだとかが、ちょっとした騒動を引き起こすのだけれど……それはまた、別の話だ。