1-4 <王宮の亡霊>
凱旋式典も終わり、アデレードの王都アルバードは、一見穏やかな日常を取り戻したように見えた。
しかし、王宮内はどこか落ち着きがなく、ソワソワとしている。
「……バーグ……って……あの??」
「爵婦人の、生き写しだとか……」
「また 何か起こらなければよいけど……」
「これも 神の子を……祟りが……」
侍従や侍女は何やら難しい顔をして話しているのは気になるが、フリデリックが話しかけると慌てたように青ざめ、皆逃げるように仕事に戻っていく。皆不安から逃げるために何かをしゃべり、そしてしゃべったことに怯えているようにも見えた。
そんな状態は季節がかわり、夏が過ぎても続いている。しかもその内容もさらにエスカレートしていく。
「王宮の文書保管倉庫に、亡霊が現れた」
「首のない、幽霊が王宮内の回廊を歩いていた」
「処刑場に、金の髪の女性の幽霊が王宮を見つめ佇んでいた」
といった荒唐無稽なものから……はたまた
「あのレジナルド様が……色小姓を!」
「レゴリス殿もたぶらかされているとか…………」
といったトンデモナイ噂までが流れていた。
女性というものは噂が好きなのは分るものの、馬鹿馬鹿し過ぎる噂をしているのには流石に眉をひそめてしまう。
最後の内容に関しては、流石のフリデリックも放ってはおけず、その噂をしていた侍女をたしなめたものである。
マールもその状況にあからさまに眉を顰め、「いったい、皆どうしちゃったのでしょう! 困ったものです!」と苛立ちを口にしていた。
「本当に、どうなってしまっているのでしょうね? グレゴリー先生」
フリデリックは、史学の講師であるグレゴリー・クロムウェルに困ったように問いかけた。
グレゴリーはクロムウェル侯爵家の次男で、兄が宮内省のトップを勤めるほど名家出身の貴族。
年齢は四十超えた所だが、妙に達観したような部分が、彼を年齢よりも高く見せていた。
飄々としていているが、歯に衣着せぬ気さくな性格の男なので慕っている教師の一人である。フリデリックにとって、こういった事を一番相談しやすい人物でもあった。
声をかけたグレゴリーは、聞こえていなかったのか窓を外に視線をやったまま。悲しみに耐えるようなグレゴリーの表情に、フリデリックは言葉を無くす。窓の外を見ているのではなく、思いに耽っているようだ。
いつもは飄々としていて、陽気な方なのに、グレゴリーは時たまこのように寂しそうな表情をすることがある。ここ最近は、そういう表情を見せることが多くなったように見える。気のせいなのだろうか?
「先生?」
再び声をかけると、フリデリックの方に振り返り、いつもの明るい表情を取り戻す。
「どうかされました? 殿下」
そういって、目尻の皺を深め笑うグレゴリーの優しい瞳に、ちょっとホッとする。
「いえ……最近王宮内の様子、何だかおかしいと思いませんか? 皆落ち着かず、あげくに下らない噂ばかり……」
「そうですね…………たしかに、下らない噂が横行しているようですが……でも考えようによってはなかなか面白いものですよね」
クククと笑いながら、とんでもない事をいうグレゴリーにフリデリックは驚く。
「あんな人を中傷し、不用意に不安を煽る内容の噂の何処が、面白いというのですか!」
「確かに、その一つ一つは馬鹿馬鹿しい内容でも、噂って以外に真実を語っている事があるのですよ!」
意地の悪い笑いを浮かべながら言うグレゴリーの言葉にはフレデリックは納得できない。
「じゃあ、グレゴリー先生は、王宮内にさまよう亡霊とか、怨霊とかが、本当の事だというのですか!」
グレゴリーの笑みが一瞬引いたのを、フリデリックは気づいてない。
「……噂というのは……何故、起こり広がると思います?」
教師の顔に戻り、グレゴリーが質問してくる。
「人の法螺とか、悪意から作られ……そしてそれを面白がった無責任な人によって広がるのだと思います」
「噂とは植物と同じです。何だかの噂の種があり、それが適した土壌と気候の中に植えられてこそ根をはり、育つものなのですよ。だからこそ人はそれを半ば信じ、半ば面白がることで広がっていくものなのです。誰も信じられない事はそもそも広まらないものです」
「噂の種……?」
フリデリックは、グレゴリーの言葉の内容は分かった。しかしその言葉で自分に何を伝えようとしているのかが読めず、必死でグレゴリーの意志を探ろうとする。
「疑惑だったり、何だかの意志の力だったり……」
「意志って、つまりは悪意ですよね?」
グレゴリーは静かに頷く。
「まあ 悪意もその一つですね……」
結局は、人の弱さとか狡さとかが 今回の飛言を生んだという事だろう。
「先生は 今回の流言には誰のどんな意志が込められると思われるのですか?」
グレゴリーは、惚けた感じで肩をすくめる。
「さあ? そもそも、世間に疎いので噂に接する機会が少なく、どういった噂が流れているのかも私にはよく分かりませんが」
そういって笑う。答えは自分で見いだすものですよ! と暗にその表情が語る。それが、グレゴリーの教え方。
問題は出すけど答えは与えず、フリデリックに自分で探させる。フリデリックにとって一番難解な授業であるけど、有益な時間だった。
とはいえ、今回の問題だけは、フリデリックには解けそうもない。