3-3 <按察官の剣>
キリアン・バーソロミューは、クロムウェル侯爵が元老院本部の回廊を苛立った様子で歩いているのを静かに観察していた。
王宮内で最近様々な噂が錯綜していて、その収拾がつかないことに元老院の議員も浮き足たち、ササクレだった雰囲気だった。元老院の三重鎮は内心の苛立ちを、必死で厚い面の皮を笑みの形に歪め、動揺などしてないような態度をとっていた。しかし、今日のクロムウェル侯爵はお得意のヘラヘラ笑いも出来ぬほど苛立っているようだ。
近づいてくる、クロムウェル侯爵に挨拶の為礼の姿勢を取る。
「バーソロミュー殿が、ご苦労」
尊大な態度でキリアンに答えるクロムウェル侯爵。キリアンは内心のクロムウェル侯爵への嫌悪感を、まったく感じさせない笑顔をした上で、心配そうな表情へと変化させてみせる。
「クロムウェル侯爵、どうかされたのですか? 浮かぬ顔をされて」
そのままやり過ごしても良かったのだが、キリアンはあえてそう聞いてみる。
クロムウェル侯爵は、よほど誰かにその苛立ちを聞いて欲しかったのか、態々自分の執務室にまでキリアンを招き、感情を爆発させるかのように語り出す。
宮内官である自分の意見にいつもなら、何でも素直に従い頷いていたフリデリック王子が、よりにもよって厄介な案件について、頑なに自分の意志を通そうとしている事が腹立たしくて堪らないようだ。
もし、このままフリデリック王子の自由にさせておいたら、コーバーグという存在を毛嫌いしているヴォーデモン公爵から、どのような仕打ちをうけるかも恐ろしいのだろう。
「しかし、私にはよく分かりませんが、クロムウェル侯爵は何故そこまで、コーバーグという子供を、警戒されるのですか?」
クロムウェル侯爵は、『お前は何も分かってない』と呆れた顔をする
「いいか、コーバーグは偽善的な行動をし、元老院を批判する言動が多く政治を混乱させてきた男なのだ」
キリアンは『それは聞いています』と、頷いてみせる。
「なぜか民衆からの人望だけはあることで、扱いはかなり厄介だった」
忌々しそうにつぶやくクロムウェル侯爵。
「でも、その伯爵はもうこの世にはいませんし、テオドール・コーバーグでしたっけ?
彼はまだ十六歳でしかない子供ですよ。それほど警戒するほどの相手とは思えませんが」
「君はヤツを見たことないからそう言えるのだ!
ゴーバーグの息子は忌々しいことに金環眼をもち、民衆にも積極的に交わり人気も増してきている」
キリアンは苦笑しつつ、頷く。
「そのようですね、先日チラリとお会いました。顔は大変美しい人物のようでしたが」
実は先日、コーバーグとの間に一悶着があったのだが、キリアンは澄まして答える。
「その顔で、バラムラスやレジナルドまでも骨抜きにして意のままに操ってきておる。何処が天使だ! とんでもない魔性の存在だ」
クロムウェル侯爵はコーバーグの名を憎々しげに語る。
「私の見解では、全ての事はゴーバーグが行っているというより、王国軍が金環眼である彼の存在をそのように利用しているかに見えますが。
コーバーグはそれなりに使える人物ではあるのでしょうが、所詮子供です。さほど警戒する程の者には思えません」
クロムウェル侯爵は、その言葉に顔をしかめる。
「どちらが利用しているにせよ、厄介な存在なのにかわりない」
キリアンは内心ヤレヤレと思いながらも、ニッコリ笑ってクロムウェル侯爵にそっと顔を近づけささやく。
「でも公爵、これは逆に、我々にとって有利な展開とは思いませんか?」
クロムウェル侯爵は訝しげにキリアンへと視線をやる。
「金環眼……といえば神そのものの存在。そして国の栄光の証。絶対王位を示す者。
そんな存在がフリデリック王子の側にくるという状況は、民衆に対しても良い示しになると思うのですが。神を崇めるマギラも、そうとなれば我々の国を攻めることもままならぬ事になるでしょう。アデレートは、神が認めた王子がいる国なのですから!」
マギラの神殿の予言にも『金環眼の人物に選ばれた王が、大地に実りと平和をもたらす』というものがあるらしい。
クロムウェル侯爵は初め驚いた表情をしたが、その意味する事を頭の中で考え計算しているようだ。
「王国軍ではなく、我々がその存在を利用するのですよ!」
キリアンのささやきにクロムウェル侯爵の顔は……だんだんと明るくなる。
いつものニヤリとした嫌らしい笑みを取り戻す。
彼はヴォーデモン公爵に対して、もう手柄を立てたかのような気分になっているのだろう。
上機嫌で高慢な態度だが、『お前は思った通りなかなか見所があると』とキリアンをしきりに褒める。
そんな姿を、冷めた視線でキリアンが見ていることすら、気付いていない。
クロムウェル侯爵は、ヴォーデモン公爵にキリアンの意見を自分が思いついた事のように、自慢げに披露するのだろう。次期王であるフリデリック王子を自分の手の中で転がしているという事の優越感に、ほくそ笑んでいる。
(何処までも馬鹿で愚かな男だ……自分では何も成すこともできず、何の力もないことすら気付いていない)
キリアンは、元々ない頭脳を必死で動かし、今後の自分が行動すべき脚本を練っているであろうクロムウェル侯爵に、これ以上つきあうもの馬鹿らしくなる。適当な理由をつけて部屋を後にした。
自分の執務室に戻り、キリアンは深い息をつく。キリアンは目を閉じ、剣の柄に手をそっと添え撫でる。キリアンは、二本の剣を左の腰に下げている。通常使っているシャープで百合のレリーフが施された細身の長剣と、二種類の花のレリーフのある短めのスバタ。
今キリアンが手にしているのは柄に二種類の花のレリーフが施された方で、優美なデザインのその柄の感触がキリアンを落ち着かせる。そして静かに目を開ける。
「それにしても余計な事ばかりするのが、ベックバード一族というわけか。
王弟子といい、王子といい!
……潰すのはまず王子の方が……」
キリアンの低い声が執務室に響く。