<愚か者の絵>
王宮宝物殿の一室で、学芸員見習いのマルケスは一枚の絵に見入っていた。
百年ほど前の時代の凱旋式の様子を描いた絵画である。
アデレードが他国からの侵攻をうけた数少ない事件だったこともあり、歴史的意味も大きく、絵画、詩、歌といった様々な形で現代に伝えられている。
侵攻してきたマギラ皇国の軍を見事を撃退したレゴリス大将の活躍を誰もが讃え、国そのものが歓喜で揺れ、皆祝賀ムードで沸き一週間ほどアデレードには夜というものが無かったとまで言われている。
この絵画はその凱旋式を描いているモノなのだが、このような凱旋式の絵画があると言う事を初めてマルケスは知った。
凱旋式を描いた他の作品が、煌びやかな式典の様子、厳かに演説するウィリアム王、猛々しく行進をするレゴリス大将の雄姿といったものを題材にしているのに、この絵画に描かれているのは名もなき民衆。
興奮しながら式典を楽しむ民衆を繊細ながら瑞々しいタッチで表現されている。
描かれた民衆の歓楽に満ちた表情が素晴らしく、絵から彼らの声が聞こえてくるようだ。
「先生、コレは?」
思わず驚きの声を発し、師であるウォルフ・サクセンの方に向き直る。
「フリデリック・ベックバードが十三歳の時に描いた作品だ」
マルケスは僅か十三歳の少年がこのような絵を描いた事に驚くが、その名に首を傾げる。
ベックバードというのは王家姓であることから、その人物は王族の一人であるはずなのに、その名に記憶はない。
「金獅子レジナルドの従兄弟だった人物で七代目アデレード国、国王だ」
マルケスは首を傾け、必死にその単語から連想される人物を思い出そうとする。
「もしかして『腰抜け軟弱フリ』ですか! しかも彼って即位していましたっけ?」
マルケスは驚く。
『腰抜けフリとは』百年程前大陸全体が戦乱に陥りアデレードが最も揺れたあの時代、王族でありながら全てを放り出し無為に生きた無能の男として世間一般では認識されている人物だったからだ。
あの様々な伝説を残した激動の時代において、唯一何の証も残さず凡庸に生きた男。
あの時代を舞台にした物語や劇においても、情けない卑屈な男として表現されている事が多く、良い印象はない。
名前より愚か者を意味する『フリ』の渾名のほうが有名である。
劇において、他の者が国の為命をかけて戦っている時に、場違いな雰囲気で優雅にお茶を飲み、キャンバスに向かい絵を描いているといった演出されていることはあるが、あの腰抜けフリがこんな絵画の才能を持っていたと言う事にただただ衝撃を覚えていた。
「おいおい、学芸員を目指すなら、歴代の国王の名と在位くらいちゃんと知っておきなさい。
確かにフリデリック・ベックバードは一般的にあまり印象が良くないが、私はなかなか面白い人物だったと思う。
生まれた時代が悪かっただけで、あんな時代じゃなければ良き王になっていたのではないかとさえ思っている」
歴史をそれなりに勉強してきたマルケスだが、フリデリック・ベックバードが王だったという認識がない。
歴史の教科書においても王としての表記はなく、大公という地位にあった筈。
王に継ぐ地位でありながら、内憂外患を見て見ぬふりをして逃げた。
腰抜けフリが良き王の器を持っていたならば、あの多くの英雄が登場し活躍した時代に、国の為に立ち上がる事もせず、何故道楽的に生きる事が出来たのか? 納得いかない顔のマルケスにウォルフは愛しげに笑う。
あまりにも感情を真っ直ぐ出す様子が面白かったのだ。
「フリデリック・ベックバードは何も成さずに、残さなかったのではない。
彼は何よりも素晴らしい仕事をした。あの時代の空気を今の時代しっかりこのように伝えている。
私は、フリデリック・ベックバードは歴史を作る男ではなく寡黙な歴史の記録者だったのでは? と思っている」
マルケスは師匠の言葉に、目を見開く。
そして改めて、先程の凱旋式典の絵を見直す。その絵には、その式典にいたフリデリック・ベックバード自身の歓喜の想いと、民衆に対する優しさと愛に満ちている。
民衆にも何も興味なく、自分勝手で卑怯な男が、こんなにも優しい絵を描くのだろうか?
王族としてよりも、画家としてのフリデリック・ベックバードという人物にマルケスは興味を覚えた。
主な登場人物
※※※未来※※※
マルケス・グリント
見習い学芸員
ウォルフ・サクセンの弟子
ウォルフ・サクセン
宮内省 王立美術館 館長補佐
フリデリック・ベックバードという人物についての研究をしている
※※※過去※※※
フリデリック・ベックバード
アデレード王国の王子 十三歳 王位後継者第一位
後第七代アデレード王国 国王
レジナルド・ベックバード
アデレード王国の王弟子 二十六歳
フリデリックの尊敬する従兄弟
王国軍 金獅子師団師団長 上級大将 金彩眼をもつ
王位後継者第二位
ウィリアム・ベックバード
アデレード王国の六代目国王
フリデリックの父親
レゴリス・ブルーム
王国軍 紫龍師団師団長 上級大将
レジナルドの親友 バラムラスの息子