修復部門
回廊を下りきると、
水音が、はっきりと耳に届くようになった。
石造りの建物の扉をくぐった瞬間、
空気が変わる。
熱。
金属の匂い。
微かに残る魔力の痕跡。
——工房だった。
天井は高く、
梁がそのまま露出している。
壁際には魔道炉。
床には用途別に色分けされた作業区画。
すでに、何人もの職人が動いていた。
刻印を彫る者。
魔力の流れを測る者。
分解した部品を、言葉もなく並べ替えている者。
どの顔にも、集中がある。
視線は手元に落ち、
動きに迷いがない。
(……大きい)
王都の工房より、
ずっと実務的だった。
装飾はない。
だが、無駄もない。
ミレイアが足を止めた、その時。
「……あ」
一人が気づき、声を上げた。
「ラザル様」
次々に、視線が集まる。
「今日は来られるとは聞いていませんが」
軽い驚き。
だが、慌てる様子はない。
ラザルは、手を軽く振った。
「あ、大丈夫大丈夫」
歩みを止めない。
「今日は視察じゃないから。
気にしないで」
それだけで、空気が戻る。
職人たちは、それ以上何も聞かず、
自然に作業へと戻っていった。
(……慣れてる)
この男が、
ここにいることに。
ラザルは、歩きながらミレイアを振り返る。
「どう?」
「……整ってます」
正直な感想だった。
「動線がいいです」
「人も、設備も」
言い切り。
もう、声に迷いはない。
ラザルは、少しだけ嬉しそうに笑った。
「それは良かった」
工房の奥へ進む。
一段、床が低くなった場所に、
空いている作業スペースがあった。
広めの作業台。
可動式の魔力供給柱。
補助結界を張っていた痕跡。
「ここ」
ラザルが示す。
「今は使ってない」
「必要なら、自由に手を入れていい」
ミレイアは、無意識に周囲を見回した。
(……余白がある)
詰め込みすぎていない。
拡張を前提にした配置だ。
だが——
彼女は、まだ頷かなかった。
「次は、こっち」
ラザルは、そのまま工房の裏手へ向かう。
一枚、扉を隔てた瞬間、
空気が、さらに変わった。
冷たい。
静か。
魔力の動きが、意図的に抑えられている。
——倉庫だった。
棚が、壁一面に並んでいる。
一つ一つに、簡易結界。
封印符。
注意書き。
だが——
統一されていない。
結界の強度。
符の数。
箱の材質。
すべて、違う。
(……全部、同じ扱いじゃない)
「ここが——」
ラザルは、少し声を落とした。
「今の職人たちが、
“触らない”と判断した物だ」
触れない、ではない。
触らない。
その言い方に、
ミレイアは足を止めた。
「壊れてはいない」
「ただ、無理に触れば壊す」
淡々とした説明。
「だから、保管している」
ラザルは、ミレイアを見る。
「判断は、現場に任せている」
それだけだった。
自分は、決めない。
決めさせる。
ミレイアは、ゆっくりと棚に近づく。
結界の張り方。
符の重ね方。
魔力の逃がし方。
(……雑じゃない)
どれも、
“分からないから封じた”ではない。
“分からないから、触らない”
という判断が、形になっている。
棚の前で、立ち止まる。
「一つ、見てもいいですか」
自然と、そう口に出ていた。
ラザルは、即座に頷いた。
「いいよ」
止めない。
条件も付けない。
「君の判断で」
ミレイアは、棚の前で立ち止まった。
視線が、自然と走る。
結界が強すぎるもの。
符が重なりすぎているもの。
逆に、最低限で済まされているもの。
——だが。
その中に、
一つだけ、明らかに“違う”箱があった。
(……なんで、これだけ)
結界は、三重。
だが、過剰ではない。
符は多い。
だが、無秩序ではない。
封印の向き。
重ね方。
魔力の逃がし先。
どれもが——
「壊さないため」だけに最適化されている。
思わず、喉が鳴る。
触らない判断をした職人が、
ただ怖がって固めた封印じゃない。
これ以上は、下手に弄るな。
でも、完全に閉じるな。
そんな意志が、
はっきり残っている。
(……誰だろ)
(これ、判断したの)
結界の縁に、
ほんのわずかな遊びがある。
符も、
剥がせる“順番”が見える。
——触る余地を、残している。
ミレイアは、ゆっくりと膝をついた。
箱の前で、呼吸を整える。
(……まだ、殺しに来てない)
だからこそ、危ない。
壊れていない。
だが、均衡が薄い。
一歩間違えれば、
“次”がないものだ。
ミレイアは、指先を伸ばし——
結界には、触れなかった。
代わりに、
その“外側”をなぞる。
魔力の揺らぎ。
逃げ場の癖。
沈殿の位置。
(……やっぱり)
確信が、
静かに落ちる。
ミレイアは、立ち上がった。
視線を、ラザルに向ける。
「……これ」
短く、指で示す。
「直せます」
一拍。
「でも、ここじゃ無理です」
倉庫を、見回す。
「環境が足りません。補助炉と、展開距離が要ります」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「——工房を」
そして、はっきりと。
「お借りしてもいいですか」
それは、お願いだった。
だが、覚悟のある声だった。
ラザルは、数秒だけ黙った。
棚と、ミレイアと、箱を、順に見る。
それから。
心底、面白そうに笑った。
「いいよ」
即答だった。
「せっかくだし——」
倉庫の棚を、もう一度見やる。
「派手にやろうか」
その一言で、次の光景が、はっきりと見えた。




