合戦
工房の空気が、ふわりと揺れた。
「えいっ」
軽い声と同時に、幻影が広がる。
ミレイアの視界が、一瞬だけ白く霞んだ。
次の瞬間。
「――っ!?」
自分の身体を見下ろして、言葉を失う。
作業着の上に、淡い色の幻影が重なっている。
胸元は控えめだが、柔らかい布の流れ。
腰から下は、ふわりと広がるスカート。
王都で流行している、可愛らしいワンピースだった。
レースは過剰ではない。
色合いも落ち着いている。
だが――
(……スカート)
ミレイアの頬が、目に見えて赤くなる。
「な、何を……!」
思わず、両手で腰元を押さえた。
「ちょっと、会長……!」
ラザルは、楽しそうに目を細めている。
「いいじゃない。似合ってるよ」
即答だった。
「似合ってません!」
「えー?」
首を傾げる。
「でも、ちゃんと可愛い」
「そ、そういう問題じゃ……!」
ミレイアは、ぎゅっと唇を噛んだ。
「……私、スカート苦手なんです」
小さな声。
ラザルは、一瞬だけ意外そうな顔をした。
「なんで?」
「……動きづらいですし」
「幻影だから、実際は作業着だよ?」
分かっている。
分かっているのに。
視界に入る“姿”が、どうしても落ち着かない。
「……怒りました」
ミレイアは、そう言い切ると――
すっと、手を伸ばした。
「え」
ラザルが声を出すより早く、
ミレイアはステッキをひったくった。
「ちょ、君――」
「反撃します」
淡々と宣言。
次の瞬間。
「……えいっ」
幻影が、ラザルを包む。
一瞬後。
そこに立っていたのは、
ロング丈のクラシカルなメイド服に身を包んだラザルだった。
黒を基調とした落ち着いた色合い。
白いエプロン。
装飾は控えめだが、線の美しさが際立つ仕立て。
そして――
中性的な顔立ちと、無駄に整った体格のせいで。
「……」
妙に、完成していた。
清潔感すらある。
冗談に見えない。
ミレイアは、思わず瞬きをする。
(……なんで)
(……似合うんですか)
ラザルは、自分の姿を一瞬見下ろし。
それから、ふっと笑った。
「へえ」
心底、楽しそうだ。
「これはこれで、悪くないね」
「悪くない、じゃありません」
ミレイアは、少しムッとする。
「似合いすぎです」
「褒めてる?」
「褒めてません」
そのやり取りの隙を突いて。
ラザルは、ひょいと距離を詰めた。
「はい、今度は僕の番」
「……!」
ステッキが、元の持ち主の手に戻る。
「え、ちょ――」
間に合わなかった。
「えいっ」
今度は、より重たい幻影。
ミレイアの周囲に、厚みのある布の感触が重なる。
深い色合い。
絹と刺繍。
重ねられたレース。
貴族令嬢が舞踏会で着るような、格式あるドレス。
「――っ!?」
思わず、息を詰める。
スカートは、さっきよりも大きく広がる。
わずかに動くだけで、幻影が優雅に揺れた。
「……っ、な……」
声が、うまく出ない。
ラザルは、満足そうに頷いた。
「うん。これもいい」
「よ、良くありません……!」
顔が、完全に真っ赤だった。
「視線が高くなりますし、重そうですし……!」
「実際は重くないでしょ?」
「問題はそこじゃありません!」
ミレイアは、歯を食いしばる。
次の瞬間。
「……えいっ!」
今度は、迷いがなかった。
幻影が、ラザルを覆う。
現れたのは――
ダークエルフの衣装。
露出は多い。
布は少ない。
深い色合いが、肌と刺青を際立たせている。
意図していないはずなのに、
色気だけが過剰だった。
「……」
一瞬、工房が静まり返る。
ミレイアは、思わず目を逸らす。
(……これは)
(……やりすぎたかもしれません)
だが。
ラザルは、肩をすくめて笑った。
「これは、なかなか攻めてるね」
余裕。
むしろ、面白がっている。
「じゃあ」
悪戯っぽく、目を細める。
「次」
そこからは、完全に着せ替え合戦だった。
王族風。
軍装。
冒険者。
学者。
踊り子。
そのたびに、どういうわけか似合ってしまうラザル。
(……ずるい)
ミレイアも負けじと反撃するが――
最終的に。
「それっ」
ラザルが、最後に放った幻影。
そこに立っていたのは、
魔王の衣装を纏ったラザルだった。
角。
長い外套。
禍々しいのに、どこか芝居がかった意匠。
そして。
楽しそうに、笑っている。
「はは、魔王も様になっちゃうな、僕」
一方。
ミレイアは。
妖精の姫のような、軽やかな衣装を纏わされていた。
淡い光。
透ける羽根。
動くたびに、きらきらと幻影が揺れる。
「……はぁ……」
作業台にもたれ、ぜいぜいと息をつく。
「……あ、安全装置を……」
ラザルが、首を傾げる。
「ん?」
「対象は……自分限定で……」
必死に、刻印の内容を頭で組み立てながら。
「倫理制限も……付けます……」
「今さら?」
くすっと笑う声。
ミレイアは、もう返事もできなかった。
息を切らせたまま、工具に手を伸ばす。
ラザルは、その様子を眺めて、柔らかく笑った。
工房には、久しぶりに――
何も判断しなくていい、穏やかな時間が流れていた。




