変身ステッキ
工房に、規則正しい音が戻っていた。
刻印具が金属をなぞる音。
魔力導線を確かめるための、短い詠唱。
それから、布で拭う音。
ミレイアは、作業台の前に立っていた。
机の上に置かれているのは、小さな魔道具。
子供の手のひらに収まる程度の、細長いステッキだ。
先端には、色の抜けた宝石。
装飾は可愛らしいが、刻印は意外と複雑だった。
(……幻影系)
ただのおもちゃ、ではない。
短時間だけ外見を変える魔道具。
本体に触れている間、幻影魔法を本人に纏わせる仕組みだ。
「……なるほど」
ミレイアは、小さく呟く。
魔力効率を優先した簡略刻印。
だが、そのせいで魔力の流れが不安定になっている。
——使うたびに、負荷が溜まる。
「そりゃ、壊れる……」
今回の症状は、発動不良。
幻影が途中で崩れ、色が滲む。
致命的ではないが、放っておけば宝石が焼き切れる。
ミレイアは、工具を取り替えた。
刻印を削るのではなく、補助線を足す。
子供向けだからこそ、暴発しない方が重要だ。
その時。
工房の扉が、軽く叩かれた。
「やあ」
聞き慣れた声。
ミレイアは、振り返らずに答える。
「……会長。今日は、お仕事では」
「うん、ない」
即答だった。
足音が近づく。
ラザルは、作業台の横で足を止め、興味深そうに覗き込んだ。
「それ、新しい依頼?」
「はい。子供用の変身ステッキです」
「へえ」
屈み込み、目線を合わせる。
「幻影系か。意外と難しいやつだね」
「はい。安全設計が甘いので、補強しています」
ラザルは、感心したように頷いた。
「なるほど。暴発防止か」
「……ご存知なんですね」
「商人だからね。売る側としては、事故は一番困る」
さらっと言う。
ミレイアは、再び作業に集中した。
刻印の線は細い。
だが、迷いはない。
魔力を流し、反応を見る。
宝石が、淡く光った。
(……安定した)
もう一度、発動試験。
ミレイアは、ステッキを手に取る。
「……確認します」
ラザルは、少し身を引いた。
「どうぞ」
魔力を流す。
幻影が、ふわりと立ち上がる。
——成功。
歪みも、色抜けもない。
「……直りました」
ほっと、息を吐く。
ラザルは、素直に目を輝かせた。
「おお。ちゃんと直ると、綺麗だね」
「はい。短時間限定ですが、安全に使えます」
ミレイアは、ステッキを作業台に戻す。
その時。
ラザルが、何でもない調子で言った。
「それ、使ってみてもいい?」
ミレイアは、少しだけ考えた。
「……大人が使う分には、問題ありませんが」
「じゃあ、僕で」
にこっと笑って、ステッキを取る。
止めるより、早かった。
「えいっ」
軽い声。
幻影が、ラザルを包む。
一瞬。
——空気が、変わった。
そこに立っていたのは、
いつもの怪しい商人ではなかった。
刺青は消え、
露出の多い服も影を潜めている。
王都で流行している、洗練された外套。
体の線を拾いすぎない、上質な仕立て。
色合いは落ち着いているのに、どこか華がある。
中性的だった印象は薄れ、
代わりに、整いすぎるほど整った顔立ちが前に出る。
——派手ではない。
——だが、目を引く。
「……おお?」
ラザルは、自分の手を見る。
外套の袖を引き、布の質感を確かめる。
「へー、面白い!」
くるりと一回転。
「これ、子供向けにしては完成度高いね」
ミレイアは、しばらく言葉を失っていた。
(……似合いすぎでは)
幻影だと分かっている。
だが、客観的に見ても、破綻がない。
——むしろ、王都ではこちらの方が通る。
ラザルは、鏡代わりの金属板を覗き込み、満足そうに笑った。
そして、楽しそうに言う。
「じゃあさ」
一歩、ミレイアに近づく。
「次は、君だね」
ミレイアの背中に、嫌な予感が走った。
「……え」
ラザルは、悪戯っぽくステッキを構える。
「えいっ」




