暗部
ラザルは、ミレイアの方を見る。
「つまりさ」
声は穏やかだ。
「ミレイアさんは、また大きな組織が出てきて、商会ごと狙われるのが心配なんだよね」
ミレイアは、否定しなかった。
「……はい」
「分かる」
即答だった。
「だから今回は使わなかったけど」
一拍置いて、
「見せてあげる」
転移は、ほとんど揺れなかった。
視界が一度、白く裏返り、
次の瞬間には、別の場所に立っていた。
広い。
天井が高く、柱が少ない。
商会本館の中でも、会議用に確保された大きめの部屋だと、ミレイアはすぐに分かった。
だが——
空いている。
円卓はない。
代わりに、椅子が壁際に寄せられている。
人が集まる前提で作られ、
人が集まらない時間の方が長い部屋。
「……ここは?」
「臨時会議室」
ラザルは、何でもないことのように答えた。
「普段は使ってない。音も結界で外に漏れないしね」
ラザルは、部屋の中央に立つ。
片手を上げる。
合図というほど大げさなものではない。
「みんな、集合」
それだけだった。
空気が、変わる。
最初に現れたのは、部屋の隅。
次に、柱の影。
壁と壁の間。
天井近くの足場。
転移。
隠匿解除。
あるいは、最初から“配置されていた”かのような立ち位置。
音は、ほとんどない。
だが、間がない。
呼ばれてから、数秒。
互いの存在を確認する必要すらない。
気配だけが、増えていく。
十。
二十。
——そこで、増え方が変わる。
同時に現れる。
重ならない。
互いの視界と動線を、最初から計算している。
ミレイアは、息を止めて数えるのをやめた。
——数える意味がない。
全員が、同じ制服を着ているわけではない。
商会の事務服。
研究部門の白衣。
護衛用の軽装。
運送部の作業着。
一見すれば、
「商会のあちこちにいる人間」だ。
だが。
立ち位置。
重心。
視線の配り方。
全員が、
別の役割を持ったまま、同時に呼ばれている。
ラザルは、彼らを見回した。
「急に呼んでごめんね」
誰も答えない。
だが、不満もない。
呼ばれる前提。
戻る前提。
「とりあえず、今日、商会にいる分だけ」
軽い口調だ。
「今は港側が薄いから、そこは別班が回してる。都市外の拠点も、今日は動かしてない」
補足のように言う。
「他の地方にも、色々いるよ。君がいた王都にも、もちろん」
ミレイアの喉が、わずかに動いた。
——王都“にも”。
ここにいない者が、前提として語られている。
ラザルは、順に指を向けていく。
「警備と情報遮断」
「契約関係の裏取り」
「物流の調整」
「各方面の火消し」
「法務の“抜け道”担当」
一つずつ。
役割だけ。
人数も、力量も言わない。
「こっちは、僕の秘書やってる人」
そう言われて、一人の男が一歩前に出た。
書類仕事で、よく顔を合わせる、あの書記だ。
眼鏡を直し、軽く会釈する。
「どうも」
それだけ。
「で——」
ラザルは、最後に、部屋の入口付近を見る。
そこに立っていたのは、
見慣れた、気だるげな青年だった。
商会本館の売店で、
いつも菓子を並べている、あの男。
「……あ」
ミレイアが、小さく声を漏らす。
青年は、肩をすくめた。
「どもっす」
軽い。
いつも通りの調子。
ラザルは、特に間を置かずに言う。
「彼が、統括」
それだけ。
青年は、面倒そうに頭を掻く。
「一応、全体見てる役っす」
さらりと。
だが、周囲の反応は一切ない。
——否定も、確認もない。
それが、日常だからだ。
ミレイアは、ゆっくりと、全体を見回した。
武器を持っている者は、少ない。
威圧も、誇示もない。
だが。
(……これ)
(一都市、回せる)
守る。
隠す。
止める。
終わらせる。
それを、同時に行える構造。
軍備、という言葉は、違う。
行政でもない。
“都市機能を、裏から差し替えられる人数と配置”。
ラザルは、ミレイアの表情を見て、満足そうに頷いた。
「これでも」
軽く、首を傾げる。
「まだ、心配?」
問いかけは、柔らかい。
だが、
数字も、誇張もない。
ただ、
現実だけを置いた問いだった。
ミレイアは、すぐには答えなかった。
驚きは、あった。
だが、恐怖ではない。
理解が、追いついていないだけだ。
(……私が想定していた“危険”は)
(……ここまで来る前に、消える)
ラザルは、答えを急かさない。
ただ、静かに待っている。
——見せるだけ。
——判断は、相手に委ねる。
それが、
彼のやり方だった。
会議室に、重たい沈黙が落ちる。
その中で、ミレイアは、
初めて気づき始めていた。
自分は、
「商会を守れないか」を心配していたのではない。
——「この人が、どこまで背負っているか」を、知らなかっただけだ、と。
※
会議室を出て、少し歩いたところで。
ラザルが、ふっと足を止めた。
廊下の天井灯が、二人の影を長く伸ばす。
「……だからさ」
振り返らずに言う。
声は、さっきまでよりずっと軽い。
「大丈夫だよ」
ミレイアは、半拍遅れて立ち止まった。
「……杞憂でした」
小さな声だった。
否定も、言い訳もない。
「私が思っていたより、ずっと……」
言葉が、そこで切れる。
「うん」
ラザルは、軽く相槌を打つ。
振り返るとき、ほんの一瞬だけ間を取った。
それから、ちゃんとミレイアを見る。
「にしてもさ」
どこか拗ねたような、でも楽しそうな笑み。
「僕、ちょっと傷ついたな」
ミレイアが、目を瞬かせる。
「……え」
「そんなに信用なかった?」
冗談めいた口調。
けれど、完全な冗談ではない。
声の奥に、素直な感情が残っている。
ミレイアは、慌てて首を振った。
「あ、いえ、そういう意味では……」
「じゃあ、どういう意味?」
被せる。
詰めない。
でも、逃がさない。
距離は変わっていないのに、
空気だけが、少し近づく。
ミレイアは、言葉に詰まった。
数秒。
視線を落としたまま、正直に言う。
「……悪いとは、思っています」
ラザルの眉が、わずかに上がる。
「へえ」
「はい」
声は、小さい。
「勝手に、決めようとしていました。頼らない方が、正しいと思って……」
「ふうん」
ラザルは、肩をすくめた。
責めるでもなく、突き放すでもなく。
それから、何でもないことのように言う。
「じゃあさ」
一歩、近づく。
触れない。
でも、簡単には離れられない距離。
「ここに居てくれる?」
条件も、理由もない。
ただ、願いに近い問い。
ミレイアは、思わず顔を上げた。
視線が合う。
「……それだけ、ですか」
「それだけ」
即答だった。
迷いがない。
「難しい話、もう終わったでしょ」
ミレイアは、しばらく黙っていた。
胸の奥で、何かがほどけていく感覚。
それから、小さく頷く。
「……はい」
ラザルは、満足そうに笑った。
勝った時の笑みじゃない。
思い通りになった時のでもない。
ちゃんと、受け取ってもらえたと分かった顔。
「うん」
軽く言って、歩き出す。
「じゃ、帰ろっか」
言い切り。
でも、命令じゃない。
ミレイアは、半歩遅れてついていく。
歩幅が、自然に合っていく。
胸の奥に残っていた重たいものが、
いつの間にか、ゆっくり溶けていた。
ラザルは、前を向いたまま、ふと思う。
——やっぱり、手放す気なんて、最初からなかったな。
その考えに、苦笑する。
だが、足取りは軽かった。




