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工具箱

ミレイアの部屋は、静かだった。


工房の喧騒も、

商会の足音も、

ここまでは届かない。


窓から差し込む光は弱く、

夕方とも夜ともつかない色をしている。


床に、工具箱を広げた。


いつも使っているもの。

使い慣れた配置。

順番も、癖も、体が覚えている。


一つ、取り出す。


刻印刀。

刃先は、まだ生きている。


指でなぞる。

欠けも、歪みもない。


(……これも)


元の場所に戻す。


次。


測定用の結晶片。

微細な誤差を見るためのもの。


これは、もう長い。


表面に、わずかな擦れ。

だが、まだ使える。


(……まだ)


戻す。


一つずつ。

確かめるように。

置き直すように。


急がない。

乱さない。


工具箱の隅に、小さな布包みがあった。


予備の刻印材。

緊急用。


工房に置きっぱなしにするほど頻繁には使わない。

だが、持っていると安心する類のものだ。


ミレイアは、一瞬だけ迷った。


それから、布を開いた。


中身を確認し、包み直し——


工具箱には戻さず、脇に置いた。


(……これは)


理由は、言葉にならない。


工具箱を見下ろす。


重さは、変わらない。

見た目も、変わらない。


ミレイアは、深く息を吸った。


怖さは、ない。


震えも、ない。


ただ、決めている。


(……奪われるくらいなら)


(……先に、置く)


工具箱の蓋を閉じる。


留め具を、きちんと掛ける。


乱暴には、扱わない。

最後まで、職人だった。


部屋を見回す。


特別なものは、ない。

持ち物も、少ない。


ここでの生活は、「仕事の延長」だった。


だから——

片付けるものも、少ない。


ミレイアは、上着を手に取った。


袖を通し、ボタンを留める。


動作は、いつも通りだ。


鏡は、見ない。


自分の顔を確認する必要はなかった。


(……行こう)


工具箱は、持たない。


今日は、使わない。


ミレイアは、部屋の灯りを落とした。


扉を閉める前に、

一度だけ、振り返る。


何も、変わっていない部屋。


それでいい。


ミレイアは、鍵をかけた。


その音は、

やけに静かだった。

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