仕事内容
ミレイアは、瞬きをした。
取引条件でも、待遇でもない。
ましてや、引き抜きの話でもない。
技術の話だ。
(……仕事の、話)
肩の力が、わずかに抜けた。
「……種類によります」
声が、少しだけ落ち着く。
「構造が見えているものなら、全体からです。でも、戴冠機関みたいに——」
言いかけて、止まる。
相手は、豪商だ。
国家の国宝の話を、どこまでしていいか。
一瞬の躊躇。
だが。
ラザルは、急かさなかった。
ただ、待っている。
目が、さっきよりも少しだけ輝いている。
「……続けて」
声は低い。
でも、頼むみたいだった。
ミレイアは、小さく息を吸った。
「……動かない時間が長いものは、壊れている部分より、壊れていない部分を見ます」
「壊れてないところ?」
「はい」
ミレイアは、指先でテーブルの縁をなぞった。
「正常な部分が、どう“耐えているか”。そこを見ると、無理をしている場所が分かります」
ラザルは、ぱち、と瞬きをした。
「へえ」
感心の音だった。
「普通は、逆じゃない?」
「逆です」
即答だった。
「壊れたところから直すと、全体のバランスを、もっと崩します」
ラザルは、カップを持ったまま固まった。
数秒。
それから、ゆっくりと置く。
「……それ、教科書に書いてある?」
「書いてません。書けないからです」
ミレイアは、言い切った。
「状況ごとに、判断が違うので」
ラザルは、黙った。
その沈黙は、考え込むものではない。
飲み込んでいる。
「なるほど」
ぽつり、と言う。
「だから、報告書が簡素になる」
ミレイアは、少しだけ驚いた。
「……読んだんですか」
「うん」
あっさり頷く。
他国の内情をどうやって知ったのかは語らない。
「専門的すぎて、分かんないって言われてたやつ」
悪びれない。
「正直ね、僕も全部は分かんない」
そこで、にっと笑った。
子供みたいな顔だった。
「でもさ。分からないのに、壊れないって、それ一番すごくない?」
ミレイアは、言葉を失った。
評価の仕方が、想定と違う。
「……派手じゃ、ないです」
「うん」
「成果も、見えません」
「そうだね」
否定しない。
ラザルは、少しだけ首を傾げた。
「でも」
間を置いて。
「派手じゃないのに、壊れないなら、それは“当たり前”を作ってるってことでしょ」
ミレイアの喉が、小さく鳴った。
(……当たり前)
「当たり前を作れる人って、案外いないんだよ」
ラザルは、楽しそうだった。
「だからさ」
身を乗り出す。
距離が、少し近い。
「君の仕事、見てみたくなった」
商談の言葉じゃない。
条件提示でもない。
ただの、好奇心。
ミレイアは、視線を落とした。
(……危ない)
そう思った。
この人は、
値踏みをしない。
交渉をしない。
そのくせ、
核心だけを、真っ直ぐ見てくる。
「……修理、ですか」
「うん」
即答。
「売り物にならないやつ」
ミレイアは、顔を上げた。
「……は?」
「値段が付かない。危ない。触りたがる人がいない」
ラザルは、指を折っていく。
「でも、捨てるには惜しいやつ」
指を一本、立てた。
「そういうの、工房に溜まっててさ」
楽しそうだった。
「君なら、“触らない判断”も含めて、見てくれそうだなって」
ミレイアの胸の奥で、何かが、静かに音を立てた。
(……仕事だ)
逃げ場のある言葉。
条件のない依頼。
それでいて、
判断を委ねる前提。
「……失敗しても、責任は取れません」
「うん」
また即答。
「取らせない」
言い切りだった。
「責任は僕。判断は、君のものだから」
その言葉で、ミレイアの中の警戒が一段、下がった。
完全には消えない。
だが、職人としての場所が、見えた。
「……一度、見てからでいいですか」
「もちろん」
ラザルは、嬉しそうに笑った。
「むしろ、触らないって言われたら、それも見たい」
子供のような好奇心を隠そうともしていなかった。
白環亭の空気は、変わらない。
穏やかで、静かだ。
だがその席で、一人の職人と、一人の豪商が、同じ方向をようやく見始めていた。




