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送り出す

ラザルは、紙を一枚ずつめくった。


音は、しない。

だが、視線の動きは早い。


条件。

肩書き。

契約形態。


最後まで読み切ってから、

ようやく一度、息を吐いた。


「……なるほど」


感想は、それだけだった。


ミレイアは、黙って待つ。


急かさない。

評価も、求めない。


ラザルは、手紙を机に置く。


指先で、軽く整える。


「条件は、いいね」


即答だった。


「かなり、いい。正直に言って」


ミレイアは、小さく頷く。


「はい」


「年俸も、環境も、身分保証も。

 僕が出せる条件より、ずっといい」


否定しない。

誤魔化さない。


商人としての事実を、そのまま置く。


ラザルは、ミレイアを見る。


「だから」


少しだけ、間を置いて。


「君が行きたいなら、止めない」


言い切りだった。


重さも、躊躇もない。


ミレイアは、わずかに目を瞬かせる。


「……止めない、んですか」


「止める理由がない」


ラザルは、肩をすくめた。


「個人宛だしね。

 契約上も、僕に拒否権はない」


それから、少しだけ声を落とす。


「それに」


一拍。


「技師が、自分の腕を一番活かせる場所を選ぶのは、自然だ」


ミレイアは、視線を落とす。


「……でも」


言葉を探す。


「商会の仕事は……」


「回るよ」


即答だった。


「君がいなくなっても、商会は回る。

 回らない商会なら、最初から終わってる」


少し、笑う。


「アル=ハディードは、そういう作りじゃない」


それは、誇りだった。


ミレイアは、しばらく黙っていた。


それから、ぽつりと聞く。


「……正直、どう思いますか」


ラザルは、即答しなかった。


椅子にもたれ、天井を一瞬だけ見上げる。


それから、正直に言った。


「行ってほしくは、ない」


柔らかい声。


「個人的にはね」


言い訳は、しない。


「君がいない工房は、たぶん退屈だ。判断も、少し雑になる」


ミレイアは、何も言わない。


「でも」


ラザルは、続けた。


「それで君の判断を縛るのは、違う」


線を引く。


「僕は商人で、君は技師だ。君の人生の選択を、取引材料にはしない」


少しだけ、目を細める。


「それをやったら、たぶん君は、もう戻ってこない」


ミレイアの指が、わずかに動いた。


ラザルは、手紙に視線を戻す。


「話を聞くくらいは、いいと思う」


淡々と。


「条件は、確かに魅力的だ。拒否する理由は、今のところ見当たらない」


そして、最後に。


「判断は、君がしていい」


それだけ。


ミレイアは、深く息を吸った。


「……ありがとうございます」


小さな声。


「止められると、思っていました」


ラザルは、片眉を上げる。


「止めると思われてた?」


「……はい」


「心外だな」


軽く笑う。


「僕はね、人を縛って商売するのは嫌いなんだ」


一拍。


「それで逃げられた経験も、あるし」


冗談めかして言うが、

そこには少しだけ実感があった。


ミレイアは、封筒を見下ろす。


「……話を、聞いてみます」


ラザルは、頷く。


「それでいい」


立ち上がり、窓の方へ歩く。


「条件を聞いて、違うと思ったら断ればいい。それも、立派な判断だ」


背を向けたまま、付け足す。


「その時は、何食わぬ顔で工房に戻ってきて」


ミレイアは、少しだけ笑った。


「……はい」


ラザルは、振り返らない。


だが、最後に一言だけ落とす。


「あと」


「はい」


「返事を出す前に、もう一回だけ、ここに来て」


理由は、言わない。


条件も、付けない。


「それだけ、約束して」


ミレイアは、はっきり頷いた。


「分かりました」


扉を閉める前、

一度だけ振り返る。


ラザルは、もう書類に目を戻していた。


いつもの会長の仕事姿。


変わらない。


——それが、少しだけ心強かった。


ミレイアは、廊下を歩きながら思う。


(……止められなかった)


(……でも、預けられた)


その重さは、

手紙よりも、ずっと重かった。

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