夜の工房
夜の工房は、静かだった。
魔道炉は落とされている。
刻印の光もない。
残っているのは、
金属の匂いと、
昼間に触った道具の余熱だけだ。
ミレイアは、作業台の前に立っていた。
兵器の件は、もう終わっている。
学会への報告も済んだ。
商会の判断も、下りている。
ここには、
もう「案件」はない。
それでも、来てしまった。
記録帳を、机の上に置く。
いつも使っているものだ。
装置の構造。
修復内容。
判断理由。
感情を書く欄は、ない。
ミレイアは、ペンを取った。
少しだけ、手が止まる。
(……書く)
今日の件を、
「仕事」として残す。
そう決めていた。
頁を開く。
日付。
依頼元。
発掘品・古代装置。
そこまでは、いつも通り。
「修復不可」
そう、書く。
理由欄に、短く。
《主核部・不可逆的劣化》
《内部構造・解析不能》
《再起動試行・非推奨》
どれも、嘘ではない。
ミレイアは、そこで一度、ペンを止めた。
(……これで、いい)
誰も、困らない。
誰も、疑わない。
世界は、
何もなかったように回る。
それが、一番いい。
それだけ。
帳を閉じる。
音は、小さい。
ミレイアは、
しばらくそのまま立っていた。
(……私は)
直せた。
理解できた。
壊せた。
そして、
壊したことを、
誰にも分からない形にできた。
それが、
職人としての技術だ。
逃げようと思えば、逃げられた。
知らないふりも、できた。
でも、
そうしなかった。
ミレイアは、作業台の上にあった
小さな魔道具を手に取った。
昼間、点検だけして
後回しにしていたものだ。
接触不良。
刻印のズレ。
放っておいても、
すぐに壊れるわけじゃない。
(……直せる)
一瞬、迷う。
だが、
手は動いた。
刻印を整える。
導線を戻す。
流れを確認する。
作業は、数分で終わった。
魔道具は、
何事もなかったように動く。
ミレイアは、
それを棚に戻した。
(……これが、私の仕事)
直す。
直さない。
どちらも、
判断だ。
その判断を、
誰かに預けるつもりはない。
ミレイアは、工具箱を閉じた。
灯りを落とす。
工房は、
完全な闇に戻る。
扉に手をかける前に、
一度だけ、振り返った。
もう、怖くはなかった。
重さは、ある。
だが、背負えないほどじゃない。
「……明日も、仕事」
誰に向けるでもなく、
そう呟いて。
ミレイアは、工房を後にした。




