待ち合わせ
白環亭は、昼下がりでも静かだった。
王都第三水路に面した、小さなカフェ。
水面からの反射光が、店内の壁に淡く揺れている。
落ち着いた内装。
客層も穏やかだ。
——場違いなことは、ない。
少なくとも、店そのものは。
ミレイアは、入口で一度だけ深呼吸をした。
(……話、だけ)
そう言い聞かせて、扉を押す。
小さな鐘の音。
「いらっしゃいませ」
声をかけてきたのは、若い店員だった。
柔らかな笑顔。
少しだけ、慣れた様子。
「あの……」
ミレイアは、思った以上に声が小さくなった。
「待ち合わせ、です。
アル=ハディード商会の方と……」
「ああ」
店員は、すぐに頷いた。
「こちらです」
確認はない。
聞き返しもない。
(……知ってる)
案内されながら、店内を見る。
奥まった席。
水路が見える、静かな位置。
そして——
(……あ)
視界に入った瞬間、
足が止まりそうになる。
中性的な輪郭。
長い睫毛。
落ち着いた色合いの服。
耳元には複数のピアス。
首元から鎖骨にかけて、魔導刻印が覗いている。
椅子に深く腰掛け、
その人物は、コーヒーを飲んでいた。
周囲を警戒している様子はない。
だが、無関心でもない。
視線が合う前から、こちらに気づいていたらしい。
「……あ」
ミレイアが何か言う前に、
その人が、ふっと顔を上げた。
「あ、来てくれたんだ」
声は低い。
けれど、柔らかい。
「ありがとう」
理由も条件もない、礼だった。
「ミレイアさん、だよね」
立ち上がらない。
急かさない。
ただ、向かいの席を、軽く指で示す。
「どうぞ。座って」
断る隙がない、というより、
断る理由が見つからない。
ミレイアは、戸惑いながら頷き、
言われるまま席に着いた。
距離が、近い。
(……近い)
怖い、とは少し違う。
見られている、というより、
興味を向けられている。
ラザルは、ミレイアの顔をまじまじと見て、
少しだけ目を細めた。
「……ああ」
納得したような声。
「なるほど」
何に対してかは、言わない。
ミレイアは、居心地悪そうに視線を落とした。
「すみません……」
「? 何が?」
即答だった。
本当に、分からない顔をしている。
「えっと……」
言葉に詰まる。
ラザルは、少し考えてから、
ああ、と小さく笑った。
「びっくりさせたかな」
笑い方が、軽い。
「ごめん。職人さんに会うと、つい見ちゃう癖があって」
悪びれた様子はない。
言い訳でもない。
ただの事実らしい。
「安心して。今日は、脅す話じゃない」
一瞬、間があって。
「……脅してるように見える?」
少しだけ、楽しそうだった。
ミレイアは、首を横に振る。
分からない。
けれど、悪意は感じない。
ラザルは、その反応に満足したように頷いた。
「よかった」
コーヒーに口をつけ、
それから、思い出したように言う。
「改めて。アル=ハディード商会代表のラザル・ノームです」
名乗り方は、あっさりしていた。
「今日はね」
カップを置く。
「仕事の話もするけど、それより先に、ちょっと聞きたいことがある」
ミレイアは、背筋を伸ばした。
「……なんでしょうか」
ラザルは、少し身を乗り出す。
距離が、また近づく。
目が、子供みたいに光っていた。
「国宝ってさ」
一拍置いて、
「触るとき、どこから見る?」
ミレイアは、瞬きをした。
予想していなかった質問。
取引でも、条件でもない。
——技術の話だ。
白環亭の空気は、相変わらず穏やかだった。
だがその席で、
一つの出会いが、
好奇心から始まろうとしていた。




