打ち上げ
工房の空気は、いつも通りだった。
魔道炉の低い唸り。
金属音。
職人たちの、落ち着いた動き。
ミレイアは作業台で記録帳をまとめていた。
修理済みの札に、日付を書き足す。
その動作に、迷いはない。
——その時。
空気が、軽く跳ねた。
「ミレイアさん、聞いて」
声が、弾んでいる。
振り向くより早く、転移の気配が完全に収束した。
ラザルだった。
外套は着たまま。
だが、いつもの余裕より——少しだけ、子供っぽい。
「……どうしましたか」
ミレイアは、ペンを置く。
ラザルは、間を置かずに言った。
「君が直した魔道具。取引先の一つが、まとめて買い取ってくれた」
「……はい」
「すごい額だよ」
言い切り。
ミレイアは、ほんの一瞬だけ考える。
(……すごい、とは)
「すごい額、ですか」
「うん」
ラザルは、にやりと笑った。
「想定の、かなり上」
詳しい数字は言わない。
言わなくても、伝わる顔だ。
「追加報酬、期待して」
冗談めかしている。
だが、軽すぎない。
ミレイアは、目を瞬いた。
「……追加、ですか」
「ちゃんとしたやつ」
「……仕事、しましたから」
事実だけを返す。
ラザルは、肩をすくめた。
「そう。だから、ちゃんと払う」
それから、
少しだけ間を置く。
「で」
声の調子が、変わる。
「今日は、一区切りついたし」
一歩、工房の中を見回す。
「打ち上げ、行かない?」
ミレイアは、すぐに答えなかった。
視線を、記録帳に落とす。
書き終わっている。
次の作業まで、少しだけ空きがある。
(……仕事は、終わってる)
「……でしたら」
顔を上げる。
「少しだけ」
ラザルの目が、わずかに細くなる。
「決まり」
店は、工房街から少し離れた場所にあった。
水路沿い。
観光向けでも、貴族向けでもない。
扉を開けると、香ばしい匂いが広がる。
焼いた肉。
香草。
油。
ミレイアは、周囲を見回した。
「……賑やかですね」
「うん」
ラザルは、軽く頷く。
「会食向きじゃないし、仕事の話もしない場所」
少し間を置いて、
「だから、気が楽」
奥の席に通される。
窓際。
水路が見える。
騒がしすぎず、静かすぎもしない。
——話が途切れても、困らない空気。
注文を済ませ、
水が運ばれてくる。
ミレイアは、コップを手に取って一口飲んだ。
「……落ち着きますね」
「でしょ」
ラザルは、椅子にもたれかかる。
「“打ち上げ”って言うと、構えた店を想像されがちだけど」
視線を、店内に走らせる。
「今日は、そういうのじゃないから」
ミレイアは、頷いた。
「はい。その方が、助かります」
やがて、料理が運ばれてくる。
湯気。
皿の音。
立ちのぼる香り。
ミレイアは、スープを前にして、
一瞬、動きを止めた。
「……熱い」
小さく呟く。
ラザルが、気づいて目を細める。
「猫舌?」
「……はい」
スプーンを持ったまま、
少しだけ待つ。
吹いて。
待って。
慎重に。
その様子を見て、
ラザルが笑った。
大げさでもなく、隠しもしない。
「そんな顔、初めて見た」
「……そうですか」
「仕事中、全然変わらないから」
ミレイアは、少しだけ視線を逸らす。
「……必要が、ないので」
「今は?」
「……今は、仕事じゃないです」
その返答に、
ラザルは一瞬だけ黙った。
それから、姿勢を崩す。
「じゃあ、ゆっくりでいい」
ミレイアは、再びスープに向き直る。
吹いて。
待って。
飲む。
「……美味しいです」
小さく、そう言った。
ラザルは、満足そうに頷いた。
店内の音が、二人の間を埋める。
水路のせせらぎ。
食器の触れ合う音。
遠くの笑い声。
仕事の話は、しない。
だが、
仕事が終わった夜だということだけは、確かだった。




