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昔の道具

ミレイアは、倉庫の通路をゆっくりと進んでいた。


都市警備との覚書が交わされてから、

空気が少しだけ変わった気がする。


——忙しくなったのではない。


見えない場所から、「確認」の目だけが増えた。


(……だからこそ)


(……いつも通りに)


倉庫に来る。


棚の奥。


その中で、

目に留まったのは、札のついていない箱だった。


木箱。

刻印は最低限。

保存処理はされているが、丁寧すぎない。


(……管理番号、なし)


ミレイアは、箱に手をかざす。


魔力反応は、薄い。

だが——均一だ。


壊れた機械の濁りがない。


(……止まってるだけ)


箱を開ける。


中に収まっていたのは、

細長い金属の道具だった。


掌の半分ほどの幅。

折り畳み式。

外装は擦れている。


装飾はない。

だが、持ち手の角が丸い。


長い間、

使われてきた形だ。


(……工具?)


刻印がある。


ただし、職人工房で見る刻印とは違う。

補助刻印ではない。

“現場用”の癖がある。


ミレイアは、静かに息を吐いた。


(……これは)


(……道具だ)


遺跡出土品ではない。

貴族の収集品でもない。


現場の匂い。


ミレイアは、道具を持ち上げた。


軽い。

だが、内部に空洞がある重さ。


構造は複雑ではない。

ただ——回路が眠っている。


「……」


運搬用魔道具を起動し、

道具を工房へ運んだ。


作業スペース。


マスクを引き上げる。

手袋を嵌める。


外装を開くと、

内部は予想より整っていた。


魔力導線は短い。

集束点は一つ。

だが、分岐が多い。


(……切り替え式)


用途を変えて使う道具。


魔力の流れを追う。


——沈殿。


深い。

だが、腐ってはいない。


(……眠ってるだけ)


ミレイアは工具を並べた。


削らない。

交換しない。


起こす。


魔力を、

ごく微量、

ゆっくりと流す。


回路が、かすかに応じる。


反応は鈍い。

だが、拒絶はない。


(……焦らない)


沈殿を剥がすのではなく、

温度を戻す。


一度。

二度。

三度。


流れが、少しずつ滑らかになる。


外装を仮止めし、

起動を試す。


道具の先端が、淡く光った。


次の瞬間。


「……」


空気が、薄く震える。


目に見える変化はない。

だが、魔力の圧が整う。


(……結界の補助?)


いや。


(……狭域の固定)


(……仮止め……?)


ミレイアは、視線を落とした。


作業台の端に、ずれて置かれていた小さな金具。

それが——わずかに浮いた。


固定される。

見えない膜で。


「……固定補助具」


口から自然に言葉が落ちる。


工房の環境で使うより、

現場の強風、砂、振動の中で使う道具。


(……なるほど)


用途は分かった。

機能も回復している。


ミレイアは、記録帳を開いた。


《携行式固定補助具》

《起動成功》

《沈殿除去:低流量循環》

《用途:現場作業補助(仮固定・狭域安定)》


そこまで書いて、ペン先が止まる。


(……なんで、倉庫に?)


死蔵品の箱に入っていた。

管理番号がない。


つまり——


(……誰かの私物)


ミレイアは、一度だけ呼吸を整えた。


仕事だ。

だが、確認は必要だ。


通信機を取る。


「……ミレイア・カレヴァンです」


呼び出し音は短い。


『どうしたの?』


ラザルの声。


「倉庫から一つ、修理しました」


『うん』


「札も管理番号もありませんでした」


ほんの少し、間が空く。


『……どんな物?』


「携行式の固定補助具です。現場用の……作業補助」


『固定補助……』


そこまで言って、

通信の向こうで何かが切り替わる気配がした。


『……あ』


声が、小さく落ちる。


「……?」


ミレイアは、答えを待つ。


『それ、今、動く?』


「はい。機能は回復しています」


『……そうか』


短い息。


『……すぐ行くよ』


通信が切れる。


ミレイアは、道具を見下ろした。


(……会長の?)


可能性が高い。


だが、確証はない。


ミレイアは、道具を布で包み直さず、

そのまま作業台の中央に置いた。


隠さない。

触らない。

待つ。


工房の入口に、気配が立つ。


足音は静か。

だが、迷いがない。


ラザルが現れた。


外套は羽織ったまま。

仕事の顔だ。


しかし、

視線だけがいつもと違った。


まっすぐ、作業台に向く。


「……これ」


ミレイアは、頷く。


「起動します。沈殿していただけでした」


ラザルは、道具を見下ろした。


一瞬だけ、目の奥が揺れる。


ほんの、わずか。


「……懐かしいな」


呟きは、独り言に近かった。


ミレイアは、声を落として聞く。


「会長の物ですか」


ラザルは、否定しない。


「昔ね」


短い言葉。


「まだ、刻印を増やす前。現場に出てた頃の」


ミレイアは、目を細める。


(……現場)


(……会長が?)


今の姿からは想像しにくい。


だが、道具の擦れ方がそれを裏付けていた。


「固定補助に使っていたのが、分かります」


「うん」


ラザルは、道具の取っ手に指を置く。


触れない。

触れそうで、止める。


「これが壊れてからさ」


声が、少し低い。


「効率の悪い手段を、効率で潰していった」


刻印。

契約。

人員配置。

金で殴る合理。


「……結果、こうなったわけだけど」


ミレイアは、言葉を返さない。


代わりに、淡々と置く。


「壊れたら困る道具だったんですね」


ラザルは、少しだけ笑う。


「困った」


短く。


「でも、困ったって言えなかった。商人は、困らない顔をするから」


冗談めかしている。

だが、軽くはない。


ミレイアは、道具を見る。


道具は、静かにそこにある。


直った。

機能している。


「……起動、しますか」


ミレイアがそう言うと、

ラザルは頷いた。


「見たい」


ミレイアは、起動刻印に指先を置く。


魔力を、最低限だけ流す。


道具が淡く光り、

狭い範囲に、見えない膜が張られる。


作業台の端の小さな金具が、浮かない。

揺れない。


固定。


ラザルは、その動きを黙って見ていた。


声が出ないのではない。

出さない。


見慣れた物を、

もう一度“使える状態”で見る目だ。


しばらくして、ラザルが息を吐く。


「……ありがとう」


短い。


だが、

今日の言葉は、いつもより深かった。


ミレイアは、すぐに返さなかった。


返す言葉を探しているわけではない。


ただ、言葉で済ませていい種類のものじゃないと分かった。


「……直しただけです」


いつもの結論。


だが、今日はそこに

一つだけ付け足す。


「壊れていたわけではなく、戻せる状態だったので」


ラザルは、目を伏せる。


それから、ミレイアを見る。


「君はさ」


ぽつりと。


「こういうのも、直すんだね」


“こういうの”。


蒐集品でも、遺跡でも、学説でもない。

ただの——過去の道具。


ミレイアは、答える。


「動くべき物だったので」


それだけ。


ラザルの口角が、少しだけ上がる。


「……そうだね」


そして、いつもの声に戻る。


「これ、競に出したら売れるかな」


冗談。


ミレイアは、間髪入れずに言った。


「売らないでください」


即答。


ラザルが、笑う。


小さく。

声を殺して。


「冗談だよ」


笑いが消えたあと、

ラザルは道具を布で包んだ。


丁寧に。

やりすぎない丁寧さで。


「これ、僕が預かっていい?」


「はい」


ミレイアは頷く。


それで話は終わる——はずだった。


だが、ラザルは動かなかった。


包みを持ったまま、少しだけ言葉を探す顔をする。


「……ミレイアさん」


「はい」


「君が、今日これを見つけたのは」


一度、区切る。


「仕事としては、偶然だ」


当然だ。

倉庫の棚を見ただけ。


「でも」


声が、少しだけ柔らかい。


「僕個人としては……助かった」


言い切る前に、

息が混じる。


ミレイアは、視線を落とす。


(……仕事)


(……でも)


ここまで来ると、

仕事だけで片付けるのは乱暴だ。


ミレイアは、短く言う。


「次は、壊さないで使ってください」


注意だ。

職人の。


ラザルは、少し困ったように笑う。


「うん、そうする」


冗談みたいに言って、

でも、目は冗談じゃなかった。


ミレイアは、そこでようやく顔を上げる。


「……会長も」


言いかけて、止める。


この前の砂漠の夜に言った言葉が、

喉の奥に残っている。


——壊れたら、終わりです。


だが、今日は言わない。


代わりに、別の形にする。


「……壊れたと思った物でも。戻せるかどうかは、見てみないと分かりません」


ラザルは、少しだけ苦笑した。


「……商人失格だな、それ」


それから、真面目な声で。


「でも、覚えとくよ」


その言葉は、約束というより、方針の更新のようだった。


ラザルは、踵を返す。


工房の出口で一度だけ振り返る。


「……倉庫」


「はい」


「明日も行く?」


ミレイアは、迷わない。


「行きます」


ラザルの口角が、少し上がる。


「じゃあ、また何か出てくるね」


言い方は軽い。

だが、その目はどこか楽しそうだった。


ラザルが去ると、

工房の音が戻る。


金属音。

魔道炉。

職人たちの気配。


ミレイアは、作業台に向き直った。


いつも通り。

変わらない。


だが。


(……箱の中身は、物だけじゃない)


今日、直したのは道具だ。


けれど、

動いたのは——


別の何かだった気がした。


ミレイアは、工具箱を整える。


次は、何を直そうか。


倉庫は、まだ静かだ。


だが、静けさの質は、少しだけ変わっていた。

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