判断
応接室の空気は、変わっていなかった。
穏やかだ。
静かだ。
だが、張り付くような密度がある。
ミレイアは、卓の上の追跡装置から手を離した。
一度だけ、呼吸を整える。
深くは吸わない。
作業を終える時の、いつもの癖だ。
「……直せます」
ヴァルデンの眉が、わずかに動く。
期待ではない。
確認だ。
だが。
「ですが」
ミレイアは、視線を上げた。
「直しません」
その一言で、
室内の空気が、確実に変わった。
驚きはない。
怒気もない。
ただ、
“想定外”という事実だけが置かれる。
ヴァルデンは、すぐには言葉を返さなかった。
指を組み、穏やかな声で尋ねる。
「理由を、聞いても?」
ミレイアは、頷いた。
説明は、短い。
「この装置は、人を追えます」
一つ目。
「対象の指定に、制限がありません」
二つ目。
「そして、使用後の挙動を、制御できません」
三つ目。
言い切りだった。
善悪を挟まない。
感情も、評価もない。
ただ、構造と結果だけを置く。
「私は、装置を直しますが、用途を保証することは、できません」
ヴァルデンは、少しだけ口角を上げた。
「責任は、私が持つ」
即答だった。
「用途も、私が決める。それでも、直せないと?」
ミレイアは、首を横に振らない。
同じ距離で、同じ温度のまま答える。
「それでも、触りません」
声は、低い。
「制御できない物を“動く状態”に戻すのは、私の仕事ではありません」
ヴァルデンの視線が、鋭くなる。
だが、声は崩れない。
「それは…… 商会としての判断ですか?」
ここで、
初めてラザルが口を開いた。
前に出ない。
姿勢も変えない。
ただ、事実だけを置く。
「ええ」
短い肯定。
「うちの技師は」
一つ、区切る。
「直せる物でも、直さない判断をします」
ヴァルデンが、ラザルを見る。
「その判断を」
続きは、淡々と。
「商会は、支持します」
それだけだった。
交渉の余地も、
条件提示も、ない。
沈黙。
やがて、ヴァルデンは小さく息を吐いた。
「……分かりました」
装置を、箱に戻す。
「無理を言いましたね」
謝罪ではない。
納得でもない。
受容だ。
「本日は、ここまでにしましょう」
それで、終わった。
帰りの転移は、短かった。
街の空気が切り替わり、
見慣れた回廊が現れる。
ミレイアは、何も言わない。
工具箱を持ったまま、
ただ歩く。
しばらくして、
ラザルが口を開いた。
「君が直すと言ったら、商人としては、止めなかったと思う」
ミレイアの足が、わずかに緩む。
「でも」
続く声は、少しだけ低い。
「僕個人としては、直さなくて、正解だったと思ってる」
理由は、言わない。
だが、それで十分だった。
ミレイアは、頷きもせず、否定もしない。
ただ、胸の奥で思う。
(……もし、あれが動いていたら)
(……触らなくて、よかった)
その感触が、
時間差で、静かに広がっていく。
今日も、壊さずに終わった。
そしてそれは、
偶然でも、運でもなく。
選んだ結果だった。




