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給料日

初めての給料日だった。


特別な通知はない。

商会の給与は、定期的に振り込まれるだけだ。


ミレイアは、午前の作業を終えたあと、

街区の銀行に立ち寄った。


水利都市の公的金融機関。

白い石壁。

魔力保護の分厚い結界。


(……確認だけ)


期待していない。

疑ってもいない。


ただ、念のため。


端末に、個人札を通す。


魔力反応。

照合。

残高表示。


——数字が、浮かび上がった。


「……」


ミレイアは、瞬きをした。


(……?)


もう一度、見る。


桁を、数える。


一。

二。

三。


(……数え間違えた?)


思考が、止まる。


(……いや)


(……一個、違う)


指先が、僅かに震えた。


(……桁)


間違いなく、

見慣れた額ではなかった。


(……間違い、だよね)


その場で確認を取る選択肢もあった。

だが——


ミレイアは、踵を返した。


自宅に戻るまで、

ほとんど走っていた。


鍵を開け、

扉を閉め、

靴も脱ぎきらないまま、

据え置き通信機の前へ。


深呼吸。


一つ。


それから、呼び出しを入れる。


『アル=ハディード商会でございます』


受付の声。

いつも通り。

落ち着いている。


「あ、あの……」


ミレイアは、思ったより早く口を開いてしまった。


「ミレイア・カレヴァンです」


『はい、ミレイア様。どうされましたか』


「あの……」


言葉を選ぶ。


「本日、給料の振り込みを確認したのですが……」


『はい』


「……桁が」


一瞬、詰まる。


「……桁が、間違っているようで……」


沈黙。


ほんの、半拍。


『確認いたします』


紙をめくる音。

水晶板に触れる音。


ミレイアは、息を止めて待った。


『……確認できました』


落ち着いた声。


『通常業務分の給与に加え』


淡々と続く。


『遺跡出土品修復に伴う、学術的発見への追加報酬。および、貴族家出張修理分の作業給付金が含まれております』


一つ一つ、

項目を読み上げる。


『計算は、正しいです』


「……」


ミレイアの口が、

わずかに開いたままになる。


『何か、不明点はございますか?』


「あ……」


ようやく、声が出た。


「い、いえ……」


頭が、追いつかない。


「……そうでしたか、すみません……」


『いえ』


受付の声は、変わらない。


『確認のお電話は、よくございます。何かございましたら、またご連絡ください』


通信が、切れる。


部屋に、

静けさが戻った。


据え置き通信機の魔力灯が、

ゆっくりと暗くなる。


ミレイアは、

その場に立ったまま動けなかった。


(……正しい)


(……間違ってない)


もう一度、

銀行端末の数字が、頭に浮かぶ。


(……こんなに……)


胸の奥が、

じわりと熱くなる。


怖さではない。

不安でもない。


(……仕事、だったんだ)


ただ、仕事をした。

直すべきものを直し、

直せないものは直せないと言った。


それだけで。


(……評価された)


誰かに、

声高に褒められたわけじゃない。


だが、

数字は、嘘をつかない。


ミレイアは、

ゆっくりと息を吐いた。


「……」


何か言おうとして、

やめる。


代わりに、

きちんと靴を脱ぎ、

椅子に腰掛けた。


しばらく、

何もせずに座っていた。


やがて。


「……明日も、仕事だ」


ぽつりと、そう言う。


数字は、現実だ。

だが、

それに浮かれて、

判断を誤るわけにはいかない。


壊れるものは、壊れる。

直せないものは、直せない。


——それは、変わらない。


ミレイアは、立ち上がり、

工具箱の位置を確認する。


いつも通り。

変わらない。


それが、

少しだけ、

心強く感じられた。


初めての給料日は、

とても静かに、終わった。


だが。


その重みは、

確かに、

そこにあった。

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