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再びの出張修理

ラザルが、その話を切り出したのは、工房が一段落した午後だった。


書類を一束まとめながら、何でもない調子で言う。


「例の香炉を買った人がね」


ミレイアは、刻印具を拭く手を止めなかった。


「一番先に、予約を押さえてきた」


「……早いですね」


「うん」


ラザルは、そこで少しだけ笑う。


「昔から付き合いがある人なんだ。蒐集家でね」


説明は、それだけだった。


だが、その言い方で十分だった。

“面倒な人”でも、“一時の衝動”でもない。

長く物を集め、長く関係を続けてきた人間だと分かる。


「貴族、ですか」


「そう」


書類の端を揃えながら、続ける。


「ヴァレンティア侯爵家ってところ」


名前を出すだけで、余計な修飾はしない。


「香炉を落札した後ね『是非、うちの子たちも見てくださらない?』って」


ミレイアの手が、わずかに止まる。


「……子、ですか」


「蒐集品のこと」


すぐに補足が入る。


「壊れてるけど捨てられない。眠ったままの魔道具が多いらしい」


ミレイアは、自然と頷いていた。


直せるかどうかより前に、「手放さない」という判断をしている人間だ。


「すぐ行く、って話じゃないよ」


ラザルは、先に釘を刺す。


「向こうも準備があるし、こちらも予定を詰めたい。日程は、数日後」


ミレイアは、工具箱に目を落とした。


「……出張、ですよね」


「そうなる」


そこで、少しだけ間が空く。


「僕も、一緒に行くよ」


当然のように。


「夫人とは、商談もある。化粧関係でね。自分でブランドを持ってる人だ」


ミレイアは、顔を上げた。


「……あ」


「だから、ついで」


軽い言い方だった。


「君は修理。僕は話。役割は別」


線を引く言い方。


だが——

“一緒に行く”という事実だけは、動かない。


「……分かりました」


ミレイアは、静かに答えた。


出張修理。

貴族の邸宅。

しかも、最初の客が“蒐集家”。


緊張がないわけじゃない。

だが、不思議と嫌な予感はしなかった。


出立は、三日後だった。


馬車は、商会のもの。

装飾は控えめで、実用本位。


ミレイアは、いつもより慎重に工具箱を確認する。

予備部品。

測定器。

簡易結界具。


「緊張してる?」


向かいに座るラザルが、気軽に聞く。


「……少し」


正直に答える。


「でも」


言葉を選んで続ける。


「楽しみ、でもあります」


ラザルは、少しだけ目を細めた。


「それでいい」


それ以上、何も言わない。


馬車は、王都の喧騒を抜け、

整えられた街道を進んでいく。


時間は、ゆっくり流れた。


ヴァレンティア侯爵邸は、王都から少し離れた場所にあった。


高い塀。

だが、威圧感はない。


庭木は手入れされ、噴水の水音が、静かに響いている。


「いかにも、って感じじゃないでしょ」


ラザルが、馬車を降りながら言う。


「はい」


ミレイアは、邸宅を見上げる。


豪奢ではある。

だが、見せびらかすための建物じゃない。


——中身がある。


そういう印象だった。


扉が開く。


出迎えに現れたのは、年配の執事だった。


「お待ちしておりました、ノーム様」


深く、だが過剰ではない礼。


「こちらが……」


視線が、ミレイアに向く。


「ミレイア・カレヴァン様ですね」


名前を、正確に。


ミレイアは、背筋を正す。


「本日は、よろしくお願いいたします」


「どうぞ、こちらへ」


案内され、広間へ。


そして——


そこに、エレオノーラ・ヴァレンティアはいた。


背筋が伸びた立ち姿。

落ち着いた色のドレス。

香りは、強くないが、確かに残る。


年齢は、すぐには分からない。

ただ、“経験”だけが、はっきりしている。


「ラザル」


微笑みながら、名を呼ぶ。


「久しぶりね」


「ご無沙汰してます、夫人」


軽く頭を下げる。


形式ばらない挨拶。


そして、視線がミレイアに移る。


一瞬で、空気が変わった。


値踏みではない。

観察だ。


手の位置。

姿勢。

工具箱の持ち方。


「あなたが」


穏やかな声。


「香炉を起こしてくれた、職人さん?」


ミレイアは、一拍置いてから答えた。


「はい。ミレイア・カレヴァンと申します」


エレオノーラは、ゆっくりと頷く。


「ようこそ」


その笑みは、社交辞令じゃなかった。


「今日は、すぐに仕事をお願いしません」


先に、そう言う。


「まずは、お茶を」


それだけで——

この人が“客”として、どういう人間かが分かった。


ミレイアは、胸の奥で静かに思う。


(……この人なら)


眠っている“子たち”を、

本当に大事にしている。


そんな予感が、確かにあった。


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