落札
工房の午後は、静かだった。
炉の火は落ち着き、
刻印の音も、間延びしている。
ミレイアは、作業台の前で香炉の記録を書いていた。
構造。
詰まりの原因。
使用香の条件。
——終わった仕事を、きちんと終わらせるための時間だ。
そこへ。
通信機が、短く鳴った。
ミレイアは、反射的に背筋を伸ばす。
「……ミレイア・カレヴァンです」
『あ、聞いて聞いて』
開口一番。
弾んだ声。
隠す気もない。
ラザルだ。
「……はい」
『オークション、終わった』
一拍も置かずに続く。
『あの香炉さ』
少し、間。
『総定額の——三倍』
ミレイアは、筆を止めた。
「……三倍、ですか」
声は落ち着いている。
だが、思考が一瞬、追いついていない。
『うん。三倍』
念押し。
『跳ねた。びっくりするくらい』
ミレイアは、作業台の香炉を見た。
林を模した器。
今は、布が掛けられている。
(……そんなに)
『元々ね』
ラザルは、楽しそうに続ける。
『壊れてたから、処分価格で引き取ったやつだよ? 正直、競りに出す予定も薄かった』
「……はい」
『それがさ』
声が、少しだけ低くなる。
でも、笑いは隠しきれていない。
『“修復済み・完全稼働”って札を出した瞬間、空気が変わった』
ミレイアは、目を伏せた。
(……見た人が、いた)
『観賞用魔道具の価値ってね』
ラザルは言う。
『性能じゃない。体験なんだ』
煙の兎。
林を駆ける影。
『「見た」人が、「欲しい」って思ったら終わり』
少しだけ、声を弾ませて。
『あれ、会場で焚いたんだ』
「……!」
思わず、声が漏れた。
『大丈夫、香は最小限。君のメモ通り』
当然のように。
『そしたらさ』
一拍。
『貴族席が、ざわっとした』
ミレイアは、想像してしまう。
暗い会場。
香の匂い。
煙の動物。
『「あれは何だ」「誰が直した」「どこで手に入る」』
『質問が止まらなかった』
ミレイアは、指先を組む。
「……あの香炉は」
静かに言う。
「好みが分かれると思っていました」
『分かれるよ』
即答。
『だからこそ、刺さった』
ラザルは、はっきりと言った。
『全員にウケる物は、値段が安定する。
でも、“欲しい人が欲しがる物”は、跳ねる』
少し、間。
『で』
声色が、変わる。
『もう来てる』
「……何が、ですか」
『依頼』
短く。
『“是非、うちの壊れた魔道具も直してほしい”って』
一つじゃない。
そういう言い方だった。
『貴族から』
ミレイアは、息を吸う。
(……来た)
『もちろん』
すぐに続く。
『勝手に話は進めない。全部、君に回す』
ラザルの声は、落ち着いている。
だが、どこか嬉しそうだ。
『観賞用だけじゃない。
置き時計、照明、結界装飾……死蔵品だらけ』
『“壊れてるけど、捨てられない”やつばっか』
ミレイアは、少しだけ笑った。
「……直し甲斐が、ありますね」
『でしょ?』
即返し。
『楽しくなってきた』
完全に、子供みたいな声だ。
ミレイアは、少しだけ間を置いてから言った。
「……あの」
『うん?』
「直せるものから、順番でお願いします」
『もちろん』
迷いなし。
『無理はさせない。予約も、ちゃんと切る』
一拍。
『でも』
声が、少しだけ柔らかくなる。
『君が直したあれが、ここまで跳ねるのは……正直、嬉しい』
ミレイアは、作業台を見下ろした。
工具。
記録。
香炉。
「……直しただけです」
『それが、すごい』
ラザルは、きっぱり言った。
『壊れてた物に、もう一度“欲しい”って言わせたんだから』
通信が、切れる。
工房の音が、戻ってくる。
ミレイアは、ゆっくりと息を吐いた。
(……次、か)
学会。
オークション。
そして——貴族。
静かだった仕事が、
確実に、広がり始めている。
ミレイアは、ノートを閉じ、
次の棚へ向かった。
直されるのを、
待っているものは——
まだ、たくさんある。




