従業員用販売
商会本館の裏手。
表からは見えない回廊を抜けた先に、
小さな窓口があった。
看板は、控えめ。
《従業員用購買》。
華やかさはない。
だが、生活の匂いがある。
ミレイアは、一度だけ立ち止まり、
呼吸を整えてから声をかけた。
「……すみません」
返事は、少し遅れて返ってきた。
「はーい……」
間延びした声。
窓口の向こうにいたのは、年齢の分からない男だった。
ぼんやりした目。
姿勢は崩れている。
だが、帳簿の並びと棚の整理は、異様に整っている。
「何、探してます?」
眠そうな声。
ミレイアは、少しだけ言葉を探した。
「えっと……香、なんですが、煙が……重いタイプで、観賞用の、古い逆流式の香炉に使うものを……」
言い終わる前に、
男の視線が、ふっと動いた。
天井ではない。
ミレイアでもない。
——頭の中だ。
「あぁ……」
短い声。
「ありますよ」
即答だった。
「高密度系っすよね。粒子粗めで、沈み気味のやつ」
ミレイアは、思わず瞬きをする。
「は、はい……」
男は、帳簿も見ない。
「84番倉庫っすね」
淡々と。
「香料区画の奥。旧規格まとめてあるとこ」
一拍。
「……今は、棚卸し中なんで」
ミレイアの肩が、わずかに落ちる。
「そ、そうですよね……」
すると、男は気の抜けた声のまま続けた。
「明日、また来てください」
顔も上げずに。
「用途、観賞用でしょ? 逆流式なら、ちょっと癖あるの混じってるんで、こっちで、選んでおきます」
ミレイアは、思わず背筋を伸ばした。
「……いいんですか?」
「いいっすよ」
あっさり。
「そういうのも仕事なんで」
それから、少しだけ間を置いて付け足す。
「……重さ、三段階ありますけど、一番重いやつ、でいいっすよね」
迷いがない。
ミレイアは、ゆっくりと頷いた。
「……はい。たぶん、それじゃないと……」
男は、満足そうに小さく頷いた。
「了解っす」
それだけ。
それ以上、聞かない。
余計な説明もしない。
仕事として、完結している。
「明日の、この時間で」
「……ありがとうございます」
頭を下げると、男は、ようやくちらりと顔を上げた。
「どういたしまして」
眠そうな目のまま。
ミレイアは、窓口を離れる。
回廊を戻りながら、
小さく息を吐いた。
(……商会、すごい)
人も。
物も。
ちゃんと、揃っている。
明日、
あの香を焚けば——
あの香炉は、
きっと、応えてくれる。
そんな確信が、
静かに、腹の底に落ちていた。




