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出張修理

工房の昼は、音が途切れない。


魔道炉の低い唸り。

工具が金属に触れる乾いた音。

どこかで回路が起動する気配。


ミレイアは、作業台の前で工具を置いた。


通信機が、短く鳴ったからだ。


通知音。

緊急ではないが、優先度は高い。


ミレイアは、手袋を外し、通信機を起動した。


「……ミレイア・カレヴァンです」


『キャラバン管理局です』


聞き慣れた、事務的な声。


『先日、工房で調整された携行型結界装置について、現地から連絡が入りました』


ミレイアは、背筋を正す。


「はい」


『砂漠縦断中の第二商隊で、出力不安定が発生しています』

『致命的ではありませんが、現地での再調整が望ましいとの判断です』


現地修理。


ミレイアは、即座に理解した。


迷いはなかった。


「向かいます」


即答だった。


通信が切れる。


工房の音が、少しだけ遠く感じられた。


(……初の現地対応)


工具は揃っている。

装置の癖も、把握している。


問題は——


(……砂漠、か)


王都育ちではないが、砂漠を越える経験はない。


ミレイアは、一度深呼吸をしてから、別の通信機を起動した。


相手は、一人しかいない。


「……会長」


呼び出し音は、短い。


『どうした?』


相変わらず、余裕のある声。


「キャラバンから連絡がありました」

「結界装置の再調整で、しばらく工房を空けることになります」


一拍置く。


「……問題、ありませんか」


業務上の確認。

それ以上でも、それ以下でもない。


『問題ないよ』


即答。


それから、少し間を置いて言った。


『あと、僕も行く』


「……え」


思わず、声が漏れた。


『責任者だからね』


淡々とした声。


『それに』


わずかに、間。


『君、砂漠での移動、慣れてないだろ?』


ミレイアは、言葉を失った。


(……見抜かれてる)


「……はい」


正直に答える。


『なら、一緒に行こう』


軽い調子だった。

決定事項を告げるような、自然さ。


「ですが……商会の方は……」


『大丈夫』


被せるように。


『僕が全部見る必要はない。現場に行くべき時に行くだけだ』


ミレイアは、少しだけ口を閉じた。


(……責任者)


その言葉の意味が、昨日より少しだけ重く感じられる。


「……分かりました」


『じゃあ、準備ができたら合流しよう』

『場所は、送る』


通信が切れる。


ミレイアは、通信機を下ろした。


工房の音が、戻ってくる。


(……行くんだ)


砂漠へ。

キャラバンへ。


そして——


(……二人で)


余計な思考を振り払い、工具箱を閉じる。


必要なものを、頭の中で確認する。


現地修理用の調整具。

予備の結界符。

簡易計測器。


(……仕事)


それだけを考える。



集合場所は、商会の外門だった。


すでに、駄獣が用意されている。


背は低く、脚は太い。

砂地用の鞍と荷具が整えられている。


「久しぶりだな」


ラザルが、首元を軽く撫でる。


駄獣は、低く喉を鳴らした。


ミレイアは、その様子を少し距離を取って見ていた。


「……二頭、では?」


「いや」


ラザルは、振り返る。


「一頭だよ」


「え」


「近場だし、問題ない」


そう言って、先に鞍へ手をかける。


「ミレイアさん、先に乗って」


「……私が、ですか」


「うん」


当然のように。


「前の方が安定する」


操縦席ではない。

だが、体重配分と視界の都合だ。


ミレイアは一瞬迷い、

それから、指示に従った。


足場を確かめ、鞍に跨る。


思ったより、高い。


「……」


背筋が、自然と強張る。


次の瞬間、

後ろに重みが加わった。


ラザルだ。


距離は、近い。

だが、触れてはいない。


手綱が、ミレイアの脇を通って前へ伸びる。


「動くよ」


低い声。


「揺れるから、前だけ見てて」


駄獣が歩き出す。


最初は、ゆっくり。

やがて、一定のリズムに入る。


ミレイアは、前を向いたまま、息を整えた。


(……近い)


背後の気配が、はっきり分かる。


だが、触れない。

抱えない。

支えない。


ただ、そこにいる。


「……大丈夫?」


後ろから、声。


「は、はい」


少し硬い返事。


「落ちそうなら言って」


「……落ちません」


それは、意地ではなく事実だった。


手綱の操作が、安定している。

駄獣の歩みも、乱れない。


(……上手い)


商人の移動慣れだ。


商会の外門を出てしばらくは、

まだ都市の気配が残っていた。


水路の反射光。

回廊を渡る影。

遠くで鳴る鐘の音。


だが、駄獣が一定の速度に入るにつれ、

それらは一つずつ背後へ落ちていく。


砂が増え、

石畳が消え、

音が、風だけになる。


数時間の移動だ。


急ぐ必要はない。

むしろ、一定の歩調を保つ方が安全だった。


ミレイアは、前を向いたまま、

背中越しの気配を意識していた。


ラザルは、きちんと距離を保っている。

近いが、触れない。

必要以上に、寄らない。


(……慣れてる)


砂漠の移動にも、

人との距離にも。


駄獣が低く鳴き、

一度だけ歩みを緩めた。


「少し休ませよう」


ラザルの声。


駄獣は、自然と足を止めた。


ミレイアは、そのタイミングで口を開いた。


「あの……」


少し、間を置く。


「今更なんですが」


「何?」


声は、軽い。


「その……転移では、ダメだったんでしょうか」


言ってから、少しだけ後悔した。


だが、ラザルは気にした様子もなく考える。


「ああ、あれね」


一拍。


「砂漠みたいに魔力が荒れてる場所は、使いにくいんだ。着地点の誤差が出やすいし、複数人だと危険も増える」


納得のいく理由だった。


「転移が良かった?」


問い返される。


ミレイアは、慌てて首を振った。


「い、いえ、そんなことは……!」


声が、少し上ずる。


「その……同行していただけただけで、十分です」


正直な言葉だった。


責任者が来る。

それだけで、現場の空気は変わる。


ラザルは、少しだけ黙った。


それから、穏やかに言う。


「それなら、よかった」


それ以上、話を広げない。


駄獣が、再び歩き出す。


砂の上を進む振動が、

一定の揺れで身体に伝わる。


時間が、ゆっくり流れる。


やがて、風向きが変わり、

遠くにキャラバンの影が見え隠れし始めた。


旗。

荷車。

結界の薄い光。


「もうすぐだ」


ラザルが言う。


「到着したら、まず装置を見せてもらおう。現場判断は君に任せる」


いつも通りの言葉。


だが、この数時間を一緒に移動した後だと、

少しだけ意味が変わって聞こえた。


ミレイアは、静かに頷く。


「……はい」


駄獣が、速度を落とす。


砂の上に、

二人分の影が、長く伸びていた。


ミレイアは、前だけを見たまま、

一度だけ、背後の体温を意識してから——


すぐに、切り替えた。


(……仕事)


キャラバンが、こちらに気づき、

人が動き出す。


ここから先は、現地対応だ。


だが、

数時間分の距離は、

確かに、二人の間に残っていた。


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