星空
工房を出る頃には、外の光が傾いていた。
夕刻。
だが、まだ夜ではない。
ミレイアは、布に包んだ半球状の装置を抱え直し、足を止めた。
(……暗くて)
(……静かで)
(……“見える”場所)
工房では無理だ。
社員寮の部屋も、狭すぎる。
一度、通信機を手に取る。
だが、すぐには起動しなかった。
(……相談、するべきか)
躊躇は、ほんの一瞬。
業務上、必要な判断だ。
私的な用件ではない。
ミレイアは、符を起動する。
呼び出し音は、短い。
「……ミレイア・カレヴァンです」
『どうした?』
ラザルの声。
雑音がない。
移動中ではなさそうだった。
「今、調整中の装置があるのですが……」
言葉を選ぶ。
「暗い室内で、起動確認をしたくて。
どこか、光を落とせる部屋をお借りできませんか」
『ああ』
即座に、理解した声。
『いいよ。本館の空き部屋を一つ押さえておく』
ミレイアは、静かに息を吐いた。
「ありがとうございます」
『……僕も、一緒に見ていい?』
一瞬、思考が止まる。
(……一緒に?)
「安全上は、問題ありませんが……
お仕事の方は……」
言いかけて、はっとした。
(……あ)
「私が気にするのは、違いますよね……」
声が、少しだけ小さくなる。
通信の向こうで、ラザルが笑った気配がした。
『大丈夫』
軽い声。
『用途確認は業務だし、
それに——僕も、見たい』
少しだけ、正直な響き。
「……分かりました」
短く、答える。
『場所は送る。持ってきて』
通信が切れる。
ミレイアは、装置を見下ろした。
(……二人きり)
意識した瞬間、
胸の奥が、わずかにざわつく。
(……仕事)
すぐに、切り替えた。
⸻
指定された部屋は、本館の奥にあった。
来客用ではない。
だが、簡易な応接室よりも広い。
壁は厚く、
窓は結界付きの遮光構造。
照明は魔力式。
完全に落とせる仕様だ。
「ここでいい?」
ラザルは、部屋の中央に立っていた。
すでに外套は脱いでいる。
仕事の顔。
「はい。十分です」
ミレイアは、装置を床に置く。
布を外し、
起動準備を整える。
「灯り、落とします」
「どうぞ」
照明が、一つずつ消える。
最後に、補助光が落ちた。
——闇。
完全な暗闇ではない。
結界が、最低限の視認性を保っている。
「……起動します」
操作具に触れる。
魔力を、ゆっくりと流す。
沈殿していた回路が、
静かに目を覚ます。
次の瞬間。
天井に、淡い光が広がった。
最初は、点。
次に、線。
やがて——
星空。
無数の光点が、ゆっくりと回転する。
規則正しく、
だが、硬すぎない動き。
星座は、主張しない。
知識がなくても、美しい。
「……」
ラザルが、言葉を失ったまま立っている。
ミレイアも、思わず見上げた。
(……やっぱり)
これは、結界でも、装飾でもない。
「室内用の……星図投影装置だと思います」
声を落とす。
「天候に関係なく、夜空を見るためのものです」
「多分……鑑賞用ですね」
光は、柔らかい。
目を刺さない。
静かに、星が巡る。
「元は、確か貴族の所有品だったね」
ラザルが、ぽつりと言った。
「はい」
「なるほど……」
納得したような声。
「これは、贅沢だ」
それは、商人の評価じゃない。
ただの、感想だった。
二人とも、しばらく黙る。
音はない。
あるのは、星の動きだけ。
「……綺麗ですね」
ミレイアが、先に口を開いた。
「うん」
ラザルが、頷く。
「君が起こしたから、だ」
その言葉に、ミレイアは一瞬だけ視線を逸らす。
「……直した、というより」
言葉を探す。
「眠っていたのを、起こしただけです」
「それを、直したって言うんだよ」
穏やかな返し。
ミレイアは、答えなかった。
ただ、星を見上げる。
(……静かだ)
工房とは違う静けさ。
仕事でも、
評価でもない時間。
「こういうの、嫌い?」
不意に、聞かれる。
「いえ」
即答。
「嫌いじゃ、ありません」
むしろ——
と言いかけて、止めた。
言わなくていい。
ラザルは、それ以上聞かなかった。
ただ、隣で星を見ている。
距離は近い。
だが、触れない。
その距離が、心地いい。
やがて、星の動きが一周する。
装置が、静かに減光した。
「……確認、終わりました」
操作を止める。
「うん」
ラザルは、名残惜しそうに天井を見た。
「いい仕事だ」
いつもの評価。
だが、今日は少しだけ、柔らかい。
「これ、どうする?
応接用に置くか、展示に回すか……」
ミレイアは、少し考えた。
「……誰かの部屋に、置いてもいいと思います」
正直な意見。
「一人で、静かに見る装置なので」
ラザルは、少し驚き、
それから笑った。
「なるほど。じゃあ……保留だな」
軽い声。
「欲しい人が現れるまで」
照明が戻る。
部屋が、現実に引き戻される。
ミレイアは、装置を布で包み直した。
(……仕事、だった)
確かに。
だが。
「ありがとう、ミレイアさん」
扉の前で、ラザルが言う。
「いい時間だった」
ミレイアは、少しだけ間を置く。
「……こちらこそ」
声は、落ち着いていた。
だが、
胸の奥に残った静けさは、
しばらく消えそうになかった。
星は、もう見えない。
それでも——
確かに、そこにあった。




