馴染み始める
通信機が、短く鳴った。
甲高くはない。
工房の音に紛れる、控えめな通知音。
ミレイアは、刻印灯を落とした装置から手を離し、
指先についた魔力の余韻を、軽く振り払ってから手袋を外した。
呼吸を一つ、整える。
それから、通信機を取る。
(……誰だろ)
起動符に、そっと触れる。
『あ、ミレイアさん?』
聞き慣れた声。
ラザルだ。
「……はい」
反射的に、背筋が伸びる。
工房の喧騒の中で、
その声だけが、少し距離を置いて聞こえる。
『例の平準器、早速売れたよ』
軽い報告。
だが、声色は明らかに上機嫌だった。
「……え?」
思わず、聞き返す。
自分でも分かるほど、間の抜けた声だった。
『今朝、商会経由で問い合わせがあってね。都市外縁の工房だ。魔力圧のムラで、設備が安定しないって話だった』
一拍。
その間に、ミレイアの頭の中で、
あの装置の構造と挙動が、自然に浮かぶ。
『動作確認して、そのまま契約。値段も、悪くない』
ミレイアは、言葉を失った。
(……売れた)
あの装置は、派手じゃない。
目立つ性能もない。
出力も、応答速度も、最先端とは言えない。
ただ——
きちんと、動く。
壊れず、暴れず、
想定通りに、淡々と役目を果たす。
「……よかった、です」
ようやく、そう返す。
声が、少し遅れて出た。
『うん。助かったよ』
あっさりとした感謝。
余計な言葉は、足されない。
『ああ、それと』
少し、声の調子が変わる。
ほんのわずかだが、
仕事の話に切り替わったのが分かる。
『結界投射装置の方も、正式に回り始めた』
ミレイアの指先が、わずかに止まった。
通信機を持つ手に、
無意識に力が入る。
『キャラバン部門が喜んでる。三基まとめて使えるのが、相当楽らしい』
行軍中の結界展開。
隊列の組み直し。
野営地の設営。
頭の中で、用途が静かに連なっていく。
「……そうですか」
短く返す。
それ以上、言葉は要らなかった。
『無理しなくていいからね』
軽く言って、通信は切れた。
余韻も、ためらいも残さず。
工房の音が、はっきりと戻ってくる。
金属音。
魔道炉の唸り。
乾いた刻印の響き。
誰かが笑い、
誰かが道具を置く音がする。
ミレイアは、通信機を元の位置に戻した。
(……ちゃんと、使われてる)
自分の手を離れたものが、
誰かの現場で役に立っている。
その実感が、
胸の奥に、静かに残った。
それから、数日。
ミレイアは、朝いちで工房に入り、
まず倉庫を一周してから、自分の区画に戻るのが習慣になった。
封印の状態。
結界の張り具合。
魔力の沈み方。
一つ一つを見るが、
立ち止まる時間は短い。
触ってみるもの。
そのまま戻すもの。
判断は、足を止めた瞬間に終わる。
「……これは、今じゃない」
小さく呟いて、棚に戻すこともある。
誰も、何も言わない。
それが、この工房の空気だった。
昼過ぎ。
工房の向こうで、少し困った声が上がった。
「……これ、変じゃねえか?」
ミレイアは、作業台から顔を上げる。
視線の先。
民生用の、小型魔道具。
よくある型だ。
部品構成も、珍しくない。
近くまで行き、覗き込む。
数秒。
魔力の流れが、指先に伝わる。
「……部品、一本抜けてます」
静かな声。
指先で示す。
「ここ。戻せば動きます」
職人が、目を丸くした。
「マジか」
「はい」
それだけ言って、
ミレイアは自分の区画に戻った。
——引き取らない。
数分後。
「……お、動いた」
小さな声。
「助かった」
ミレイアは、軽く会釈した。
それ以上、何も言わない。
作業台に戻り、
次の道具に手を伸ばす。
声をかけられる回数は、少しずつ増えた。
だが、どれも短い。
長話にはならない。
一言、二言で終わる。
それが、心地よかった。
一日の終わり。
工具を拭き、
布の端で刻印ナイフの刃を確かめていると、
年配の職人が通りがかった。
「お疲れ」
ぶっきらぼうな声。
だが、足は止めていない。
「……はい」
自然に、返せた。
工房の灯りが、ゆっくりと落ちていく。
魔道炉の火が弱まり、
音が一つ、また一つ減っていく。
今日も、
壊れなかった。
それで、十分だ。
ミレイアは、
翌朝に見る棚の並びを思い浮かべながら、
静かに工房を後にした。




