散策
社員寮の部屋は、よく整えられていた。
朝の光が、白い壁に柔らかく広がっている。
結界越しに、水音がかすかに届いていた。
ミレイアは、ゆっくりと目を開ける。
(……朝)
王都の仮家より、少しだけ空気が軽い。
湿り気を含んだ涼しい風が、窓の隙間から流れ込んでくる。
身体を起こす。
簡素だが、必要なものは揃っている部屋だった。
寝台。
机。
作業用の棚。
工具箱は、すでに壁際に置かれている。
運び込まれた形跡が、整いすぎていた。
(……早い)
それだけ、段取りが良いということだ。
本格的な勤務開始までは、まだ少し時間がある。
今日、無理に工房へ行く必要はない。
ミレイアは、身支度を整えながら考えた。
(……せっかくだし)
街を、見ておきたい。
ここで働くのなら、
この街の空気を知らずに始めるのは、落ち着かない。
外套を羽織り、鍵を確認する。
工具箱は、置いていく。
今日は、仕事ではない。
回廊に出ると、視界が一気に開けた。
白い石。
淡砂色の壁。
その合間を縫うように、細い水路が流れている。
上層の回廊は、移動のための場所だ。
人の流れはあるが、立ち止まる者は少ない。
ミレイアは、手すり越しに下を覗いた。
市場の気配。
声。
金属音。
水の跳ねる音。
(……やっぱり、綺麗な街)
自然と、足が下りの回廊へ向かう。
市場は、思ったより落ち着いていた。
呼び声はあるが、押しつけがましくない。
値札は明確で、交渉前提の空気も薄い。
食料品の隣に、簡易魔道具。
新品と中古が、区別なく並んでいる。
(……混ざってる)
魔道具が、特別扱いされていない。
水を浄化する石。
温度を保つ器。
どれも、「使う道具」として置かれている。
ミレイアは、ゆっくりと歩く。
視線は、自然と細部を見る。
接合部。
魔力痕。
補修の跡。
(……修理前提)
壊れたら終わり、ではない。
直して使う、が前提の街。
市場の奥。
少し雑然とした一角で、足が止まった。
半分、倉庫。
半分、露店。
分解途中の魔道具。
外された回路。
用途不明の部品。
だが、危険なものは、きちんと隔離されている。
(……ジャンク屋)
店主は、年配の男だった。
職人ではない。
だが、物の扱いに慣れた手つきだ。
ミレイアが覗き込むと、男は目を細めた。
「お嬢ちゃん」
軽い声。
「修理屋か?」
唐突だが、的外れではない。
「あ、はい」
ミレイアは、正直に答えた。
男は、ふうん、と鼻を鳴らす。
「なら、見る目はあるだろ」
近くに置かれていた小型の魔道具を、指で弾く。
「元は、上物だぜ」
ミレイアは、屈み込む。
手に取る。
重さを確かめる。
魔力の流れを、意識だけでなぞる。
(……確かに)
構造は古いが、無理はしていない。
致命的な歪みもない。
ミレイアは、顔を上げた。
「みたいですね」
それだけ言って、もう一度装置を見る。
「これ、ください」
即断だった。
男は、少しだけ口の端を上げた。
「分かってるなら、話は早い」
値段を告げる。
安すぎない。
だが、新品よりは、きちんと安い。
ミレイアは、何も言わずに支払う。
袋に入れられた魔道具を受け取り、軽く頭を下げた。
「どうも」
「壊すなよ」
「……ええ。壊さない前提で使います」
自然に出た言葉だった。
市場を抜け、再び回廊へ。
袋の中で、魔道具が小さく触れ合う音がする。
(……直してから、使おう)
それが、当たり前の選択だった。
回廊の上から、街を見下ろす。
水が巡り、
人が行き交い、
道具が使われている。
(……ここなら)
理由は、はっきり言葉にできない。
だが——
(……仕事が、生活の中にある)
ミレイアは、ゆっくりと息を吐いた。
社員寮へ戻る足取りは、
来た時より、少しだけ軽い。
明日からは、工房。
その前に、
この街の呼吸を、ちゃんと胸に入れられた気がした。




