ここでなら
装置が完全に沈黙してからも、
しばらくの間、工房には誰も声を出さなかった。
魔力の残響が、ゆっくりと薄れていく。
補助炉の唸りが、定常音に戻る。
——終わった。
それが、ようやく共有される。
「……」
ミレイアは、道具を一つずつ片付けていた。
刻印ナイフ。
測定環。
沈静鍵。
手袋を外し、
深く、息を吐く。
(……終わった)
肩から、力が抜ける。
「いやあ」
その沈黙を破ったのは、ラザルだった。
軽い声。
だが、軽すぎない。
工房の一角に立ったまま、
装置と、ミレイアを交互に見る。
「思ってたより、ずっといい」
感想のようで、
評価ではない言い方だった。
「直し方も、判断も」
一拍。
「何より——」
そこで、少しだけ間を置く。
「迷わない」
ミレイアは、ぴくりと肩を震わせた。
(……見られてた)
ラザルは、近づいてこない。
一定の距離を保ったまま、続ける。
「倉庫で見た時点で、腕は分かってたつもりだったけど」
視線が、装置に戻る。
「実際に動いてもらうと、やっぱり違うね」
言い切らない。
決めつけもしない。
ただ、事実を並べている。
工房の職人たちは、
もう作業に戻っていた。
視線は、向けられていない。
(……場は、終わってる)
ミレイアは、静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
声は、もう仕事中のものではない。
少しだけ、柔らかい。
ラザルは、そこでようやく話題を変える。
「ねえ、ミレイアさん」
名前を呼ぶ。
「さっきのやつさ」
一歩だけ、踏み込む。
「毎回、ああいう感じ?」
問いかけだった。
条件でも、誘いでもない。
ミレイアは、少し考えてから答える。
「全部が、ああではないですけど…… 見て、判断して、無理なら触りません」
ラザルは、満足そうに頷いた。
「うん」
それから、
思いついたように言う。
「じゃあさ、うちでやらない?」
ミレイアは、瞬きをした。
ラザルは、すぐに続ける。
「修復部門の中で、他の職人が触れないものだけ」
指を折る。
「無理に数は求めない。今みたいに見て、判断して、直せるなら直す」
一拍。
「無理なら、無理って言う」
肩をすくめる。
「それでいい」
言い切りだった。
ミレイアは、すぐには答えなかった。
視線を落とす。
工房。
設備。
人の動き。
距離感。
(……ここなら)
王都の工房が、脳裏をよぎる。
会議室。
実績。
予算削減。
「成果がわからない」という声。
胸の奥が、わずかに締め付けられる。
(……ここは、違う)
誰も、急かしていない。
誰も、結果だけを見ていない。
触らない判断が、
責められない場所。
ミレイアは、指先を握りしめた。
怖さは、ある。
責任も、重い。
でも——
(逃げる理由は、ない)
顔を上げる。
ラザルを見る。
「……すぐに、全部はできません」
正直な言葉だった。
「時間も、かかります。触らない方がいいものも、出ます」
ラザルは、即座に頷いた。
「それでいい」
被せるように。
「それが欲しい」
ミレイアは、一度だけ、
工房を見回した。
広さ。
余白。
整った導線。
(……ここなら)
ゆっくりと、息を吸う。
そして——
「……よろしく、お願いします」
小さな声。
だが、はっきりと。
頭を下げる。
ラザルは、笑った。
満足そうに。
だが、勝ち誇らずに。
「こちらこそ」
そう言って、
少しだけ近づく。
手を差し出す。
「歓迎するよ、ミレイアさん」
ミレイアは、一瞬だけためらい、
それから、その手を取った。
——契約書は、まだない。
だが、
仕事の始まりとしては、
それで十分だった。




