試用
工房の扉が開いた。
熱と金属臭の中に、外気が一筋、流れ込む。
「ちょっといい?」
軽い声だった。
作業の音が、一瞬だけ緩む。
振り返った職人たちが、すぐに気づく。
「あ、ラザル様」
ラザルは、片手を上げる。
「少しだけ場所、借りるよ」
その言い方が、あまりにも自然で。
誰も止めなかった。
「危ない物じゃない。いや、正確には危ないけど」
肩をすくめる。
「触らなければ、ね」
笑っている。
悪意のない、いつもの顔だ。
その横で、ミレイアは一歩遅れて立っていた。
周囲の視線が集まる。
知らない顔。
王都の職人とは、雰囲気が違う。
(……広い)
だが、視線はすぐに切り替わる。
工房は、働く場所だ。
ラザルが、工房の一角を指した。
先ほど案内した区画。
「ここ、今使ってないよね」
「ええ、予備区画です」
「じゃあ、ここで」
即決だった。
相談ではない。
でも、命令でもない。
「——運ぶよ」
合図だけ出して、箱が置かれる。
結界が、一段張り直される。
ざわ、と空気が動いた。
「……あれ、封印レベル高くないか」
「誰が触るんだ、あれ」
小声が落ちる。
ミレイアは、何も言わない。
外套を脱ぎ、
袖をまくり、
指輪を外す。
その動きだけで、
空気が変わった。
「〇三年式の相転移補助炉、空いてますか」
低く、通る声。
先ほどまでのおどおどした響きは、ない。
「え、あ、はい!」
「第三炉で。出力、三・八固定」
即座に返す。
「位相拘束用の多重アンカー。偏向板は逆曲率。材質はアズ鋼で」
畳みかけるような専門語。
「あと、封呪緩和用の《沈静鍵》。旧型でいいです。癖、分かってるので」
職人たちが、思わず動き出す。
「感電死したくなければ、半歩下がってください」
淡々とした一言。
命令でも、威圧でもない。
事実の提示。
全員、黙って下がった。
——ただ一人を除いて。
ラザルは、下がらなかった。
腕を組んでいる。
口元が、楽しそうに歪む。
下がらない理由が、
「偉いから」ではないのは、見れば分かった。
目が。
子供みたいに、光っている。
ミレイアは、一瞬だけ見た。
そして、言った。
「ラザルさん」
呼び方が、仕事の音に変わっている。
「半歩」
短い。
ラザルは、素直に半歩下がった。
——半歩だけ。
ミレイアは、箱の前に立つ。
結界の層を、視線で数える。
符の重なりを読む。
逃がし先の癖を見る。
(……まだ、殺されてない)
独り言のように呟く。
そして、手袋をはめる。
口元に薄い布を当てる。
浮遊式刻印補正器を展開。
多軸魔力測定環が、淡く光った。
(……やっぱり)
箱を開く。
現れたのは、
古式多層回路を持つ魔道具。
魔導核は生きている。
だが、回路が——歪んでいる。
歪み方が、雑じゃない。
狙っている。
(沈殿じゃない)
(逆位相で、呼吸止められてる)
刻印ナイフが、回路の隙間に滑り込む。
火花。
だが、跳ねない。
制御されている。
補助炉が唸る。
魔力の流れが、薄く可視化される。
歪んだ線が、
“正しい場所”に戻ろうとして、戻れない。
ミレイアは、指先で空間を撫でた。
回路ではない。
回路の「外側」。
揺らぎを読む。
(核は正常)
(殺してるのは、外側)
一つ、切り離す。
魔導核が、低く鳴った。
工房の空気が、さらに締まる。
「……戻ってるぞ」
「嘘だろ」
小さな声が漏れた。
ラザルが、つい、と身を乗り出した。
椅子ではない。
身体が勝手に前へ行く。
目が、回路に吸われている。
「ねえ、今の——」
口が開きかけた、その瞬間。
「邪魔です」
ミレイアの声が、落ちた。
刃物みたいな冷たさはない。
ただ、作業のためだけの言葉だった。
ラザルは、ぴたりと止まる。
一拍。
それから、声を出さずに笑った。
「……ごめん」
小さく頷き、
今度はちゃんと下がった。
職人たちが、誰も笑わない。
止めもしない。
この場では、
ミレイアの判断が優先される。
ミレイアは、視線を戻さない。
手を止めない。
「今、再同期中です」
短く言う。
説明じゃない。
警告だ。
次の工程に入る。
逆曲率偏向板。
多重アンカー。
沈静鍵。
道具が揃うたび、
回路の呼吸が少しずつ整う。
“直す”のではない。
“戻す”のでもない。
——生かす。
ミレイアは、最後に指先を止めた。
魔力を引く。
刻印灯を落とす。
装置は、静かに沈黙した。
壊れた沈黙ではない。
正しく機能する沈黙。
数秒。
工房の誰かが、息を吐いた。
「……終わったのか」
ミレイアは、答えない。
布を外し、
手袋を脱ぐ。
呼吸を整える。
それから、ようやく頷いた。
「……はい」
張り詰めた空気が、
少しだけ緩んだ。
ラザルが、ぱち、と一度だけ拍手する。
我慢しきれなかった拍手だった。
「お見事」
その声で。
——ミレイアは、はっとした。
「あ……」
一番近くにいる相手を見て、
慌てて頭を下げる。
「ラ、ラザルさん……! す、すみません! さっき、その……『邪魔です』って……!」
ラザルは、一瞬きょとんとして、
それから笑った。
「え、そこ?」
本気で気にしていない顔だった。
「全然いいよ。むしろ、助かった」
「……え」
「だってさ」
ラザルは、指先で自分の額を軽く叩く。
「僕、見えると我慢できなくなるんだよね。止めてくれて、ありがと」
ミレイアは、目を瞬かせる。
視線が、ようやく周囲へ戻る。
「み、皆さんも……お騒がせしました」
今度は工房の職人たちへ。
「いや」
誰かが、笑った。
「謝るとこじゃないだろ」
別の職人が言う。
「むしろ、いいもん見せてもらったさ」
ミレイアは、目を瞬かせる。
「え……?」
ラザルは、その様子を見て、
堪えきれずに笑った。
「切り替え、極端だね」
楽しそうに。
「でも」
視線を、装置に戻す。
「仕事に真剣なところ、信用できる」
ミレイアは、少しだけ困ったように、
それでも、ほんの僅かに安堵した表情で頷いた。
——ここは、仕事の場所だ。
そして今、
その仕事は、確かに受け入れられていた。
ラザルが、我慢できずにもう一歩だけ近づく。
今度は、黙って。
ミレイアが横目で見る。
「……」
ラザルは、すぐに引いた。
その仕草が、叱られた子供みたいで。
工房の誰かが、ふっと息を漏らした。




